老いの途中で・・・

人生という“旅”は自分でゴールを設定できない旅。
“老い”を身近に感じつつ、近況や色々な思いを記します。

「おもてなし」=“裏ばかり”に思う

2018年03月22日 19時25分38秒 | その他
 「おもてなし」という言葉が一躍脚光を浴びたのは、2013年9月7日にアルゼンチンのブエノスアイレスで開催されたIOC総会で、2020年度のオリンピック開催に立候補した東京への招致をフランス語でプレゼン中の滝川クリステルさんが、その中で手ぶりを交えて日本語で「お・も・て・な・し」と表現し、日本人がお迎えするお客様のことをいかに大切にするかを理解してもらうのに非常に効果的だったとされた時です。

 そもそも「おもてなし(御もて成し)」は「もてなし」の丁寧語で、「もてなし(もて成し)」はWeblo辞書では。下記のような意味になっています。
① 客に対する扱い。待遇。
② 客に出す御馳走。接待。
③人や物事に対する振る舞い方。態度。
④ 物事に対する扱い。とりはからい。処置。

 但し、古語辞典などによると、本来の意味は③④が主だったようで、①②のように接待に関して用いられるのは中世以降になってからだそうです

 いずれにせよ、相手のことを思ってする心のこもった待遇を表す言葉だったのに、最近ややもすると「おもてなし」と聞くと、“おもてなし(=表なし ⇔ 裏ばかり)”と、まるで大阪のダジャレである「黒犬」(尾も白ない⇔面白ない)のごとく、捻くれて思い興すことが多いのはなぜでしょうか。

 そもそも、2020年のオリンピック誘致に関しては、安倍首相の“福島原発はコントロールされている”という実情からかけ離れたまるで虚偽のような発言もありましたし、誘致立役者であった猪瀬東京都知事がその後に5,000万円騒動で辞任したり、また昨年のオリンピック競技開催場所に対する小池東京都知事とオリンピック委員会とのゴタゴタなど、余り良い印象が残っていません。

 更に、最近の政界や行政官僚の動き、特に森友問題を巡る国会討議などを見ていると、表の言葉とは余りにも反する実際の行動(表裏離反)が目立ち、“表なし”ばかりの世界に対する拒否感があるからでしょうか。

 因みにこの“おもてなし=裏ばかり”については、上記のオリンピック誘致活動直後から面白おかしく言われており、一説では作家の赤川次郎さんが岩波書店の小冊子「図書」に連載している「三毛猫ホームズの遠眼鏡」2014年1月号“スリッパはどうした”からだとも言われていますが、私としてはまだ確認できていません。

 何れにせよ、いつの日にか、本当に国民の方を向いて裏表のない誠実な政治家が出現し、官僚も変な忖度がないようになるのを待ちましょう。(まさ)