東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

平生町 干拓の史跡を巡る下見ウォーキング(2/2)

2020年01月15日 | 歴史探訪他ウォーキング

 荒砂神社で少し休憩した後、人島地区を迂回するようにして歩きました。かつて運河ではなかったかと思われる両岸が石垣でできた川に沿って歩きました。運河と思う理由は船が一艘通ることができる幅が続いているからです。また、かつてその周辺がは海を干拓してできた塩田だったからです。私が子供の頃、この川底でシジミが取れました。祖母と一緒に川底をさらいながら歩いてシジミを取っていました。今、川底を歩く人はいません。この川でシジミが取れたことを知っている方はいるでしょうか。

     平生町にあった蘭樋の跡、ここで海水が入るのを遮断


 田布施川と灸川の合流地点(灸川河口)の堤防脇でお昼休憩にしました。本番ウォーキングでは、八海橋を渡って八海公会堂でお昼休憩を取る予定です。お昼休憩が終わると、竪ヶ浜に向かいました。ここまでずっと、トイレの場所がなかったためやむなくパチンコ店前でトイレ休憩をしました。

  竪ヶ浜のお地蔵様     竪ヶ浜の祠      竪ヶ浜の金毘羅社
  

 竪ヶ浜の由来は、400年以上前にあった海岸一帯の名前です。江戸時代の記録によると、竪ヶ浜の各家は船を何艘か持っていました。当時の人々が海にが頼った生活をしていたことが分かります。また、干拓の後に塩田が作られました。竪ヶ浜塩はブランドになっており高値で取引されたようです。品質がとても良い塩を生産していたのでしょうね。私が幼児の頃に平生湾側に塩田がありました。たくさんの浜子さんが働いていました。そして、入浜式から流下式に変わったのを覚えています。

    磯崎の高台にある公会堂     街に残る蘭樋跡の立札
 

 竪ヶ浜の旧道を通りながら、祠や金毘羅社を見学しました。この旧道を歩いていると、旧家跡や倒壊寸前の民家が何軒かありました。その昔に街道だった頃、行き来する人が多く賑やかな道だったことが分かります。今は昔です。竪ヶ浜の磯崎に着くと、高台にある磯崎公会堂に行きました。ここからは平野を見下ろすことができます。磯崎の名前のとおり、かつては海に突き出た場所でした。次に平生街の中心にある蘭樋跡を見学してからスタート地点に戻りました。下見に参加された方々お疲れ様でした。

              平生町の干拓地跡や塩田跡を下見のため歩いたコース



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