東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

柳井市 馬皿方面の史跡調査散策(1/3)

2021年03月17日 | 歴史探訪他ウォーキング

 これまで史跡巡りした柳井市の史跡は、余田,新庄,大畠,伊保庄,そして柳井市街ばかりでした。今回は、これまで行ったことがなかった馬皿方面の史跡を散策してみました。今後は、今回散策する馬皿以外に、柳北,日積などを散策しようと思います。さて、今回散策した地域は、柳北小学校,黒杭川ダム,そして石井ダムに挟まれた馬皿地域です。柳北小学校近くにあるコンビニで食料を購入してから歩き始めました。落合橋で柳井川と別れ、黒杭川の上流に向かって歩きました。最初に向かった史跡は黒杭川に沿う山裾にある龍岩神社です。龍岩神社は石段の参道がとても長い神社です。伊勢の猿田彦神社から勧請した神社です。

         伊勢の猿田彦神社から勧請した龍岩神社


 猿田彦神社は、3年前に熊野三山(熊野速玉大社,熊野那智大社,そして熊野本宮大社)を訪れた時に参拝しました。龍岩神社の鳥居に延享五年(1749年)と刻まれていました。江戸時代中頃、わざわざ柳北から伊勢に行って勧請してきたのでしょう。ちなみに境内に龍岩と呼ばれる立派な岩が鎮座しています。そして、その岩の前に灯篭が二基並んでいます。黒岩神社へ行くには、石の階段を相当登らなければなりません。しかし、今は車で参拝できるように道が作られています。

   長い登りの石段     龍岩神社の拝殿    岩政次郎右衛門の水路跡
  

 龍岩神社を参拝し終わると、黒杭川ダムに向かいました。途中、江戸時代後期に黒杭川から新庄にむけて岩政次郎右衛門が掘削した水路跡がありました。明治以降も改修されながら使われたようです。今、水路跡には落葉が溜まっており廃棄されていることが分かります。今のような工事機械が無い江戸時代、何キロもある水路を作るのは難工事だったと思います。

  黒杭川を堰き止めた黒杭川ダム      黒杭川古道近くのお地蔵様1
 

 水路跡を見終わると、黒杭川ダムを渡りました。ダム中心部から下を見下ろすと、腰が引けるような高さです。黒杭川ダムを渡り終えると、県道をまたいで古道側に行きました。すると、民家が一軒ありかわいい老猫が顔を出しました。老猫の年齢は10歳以上とのこと。古道を下っていると、道が県道の歩道になりました。その歩道を歩いているとお地蔵様1が安置されていました。黒杭川ダムが完成する前から、道を見守ってきたお地蔵様です。

          史跡散策をした柳井市馬皿周辺ルート


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