ちょっとマンネリですが・・・

ダラダラ過ごしている毎日のことあれこれ・・・・

本当に「頭がいい」と思える人に共通する資質がある。

2015年06月15日 | Weblog
本当に「頭がいい」と思える人に共通する資質がある。

『「つまらない大人」にはなるな』川北義則著より。

それはズバリ「頭のやわらかさ」だと筆者は語っていた。その要素を5つあげていた。1、視野が広い。2、想像力が豊かである。3、偏見がない。4、常識にこだわらない。5、好奇心が旺盛である、だった。

筆者がその一人として挙げているのが立川談志さんだった。確かに頭の回転がいいと思えた。彼は「オレは意志が強いから、タバコはやめない!」と言ったそうだ。これも超常識だった。

もう一人は伊丹十三さんだった。クイズで「世界の火事の被害額の問題で、その原因で一番多いものは?」という質問で、即答で誰もが選択肢になかった「戦争」を挙げていたのだ。

とても、凡人には考えられない回答だったろう。つまり常識にとらわれない考え方がどれだけできるかがポイントだった。それには頭がやわらかいことが条件のようだ。


型を習うのは誰でもできるが、型をつくるのは天才の仕事だ。

2015年06月14日 | Weblog
型を習うのは誰でもできるが、型をつくるのは天才の仕事だ。

『グッとくる「はげまし」言葉』斉藤孝著より。

筆者によれば、棋士の升田幸三の魅力は、なんといってもその後の定跡となるような創造的な手をいくつも生み出したところにあるという。

自分が初めて編み出した戦法が、その後の棋士たちの戦術の基本になっていったそうだ。そう考えれば、すごい仕事をしたことがわかる。

仕事でもすでに出来上がったパターンを利用するだけなら、誰でもできるものだ。またそれがうまく行ったところで感動もないだろう。しかし、その必要性を実感して、考え出すのはそれなりの苦労もある。

身近なパソコンにしても、ケータイにしても使うのは誰でもできるが、それを考えて作りだすのは天才に近い人たちだろう。われわれはそんなごく一部の天才たちの恩恵にあずかっているのかもしれない。


全身の力をすべて一点に籠めて出し切る。

2015年06月13日 | Weblog
全身の力をすべて一点に籠めて出し切る。

『グッとくる「はげまし」言葉』斉藤孝著より。

幸田露伴は娘の文に薪割りを教えたときに、「おまえはもっと力が出せる筈だ、働くときに力の出し惜しみするのはしみったれ・・・」と語っていた。

タイトルに挙げたフレーズは、要するに「渾身」という意味だった。筆者の斉藤氏はスポーツや武道をやって全身の力を一点に籠める練習を大量にやってきたという。

それが今の仕事にもつながっているようだ。なかなか普段の生活で渾身というシーンには出合わない。しかし、それが仕事にも生かせるとなれば、効率もあがりそうだ。

また露伴は「弘法筆を択ばずなんていうことは愚説であって、名工はその器をよくすというのが確かなところだ」とも語っていた。道具の良し悪しが、技に影響するというのも事実だろう。

いい仕事をするには、まずはしっかりした道具も必要だということだ。また、いい道具を持てば、それなりに気持ちも充実してくるものだ。


机の前で知恵を出そうとしているだけでは本当の知恵は出てこない。

2015年06月12日 | Weblog
机の前で知恵を出そうとしているだけでは本当の知恵は出てこない。

『グッとくる「はげまし」言葉』斉藤孝著より。

松下幸之助は「知恵があっても、まず汗を出しなさい。・・・」と語っている。それはある会社の社長が、「知恵のある者は知恵を出せ、無き者は汗を出せ、・・・」と話していたのを幸之助が聞いて、「あかん、つぶれるな」と言ったそうだ。実際その会社は数年後に本当につぶれてしまったのだ。

大事なことは、まず汗を流して実体験を積めということだった。水泳を例にとればわかりやすい。いくら達人の先生から講義を受けても、すぐには泳げない。まずは、実際に水に浸かって水を飲んで苦しむ必要があったのだ。

やはり、現場主義ということを考えると、同じ創業者の本田宗一郎とも似ているような気もする。新しいものを作り上げるには、単なる理屈だけではどうにもならないものがあるのだろう。

また頭でわかることと腹でわかることは別と言う表現もあった。腹でわかるとは、汗を流して経験を積み、事柄の細部までわかることだった。それには地道な創意工夫が大事だとも言えそうだ。


得意なことを自分から進んで宣言すれば、そこにはプライドも責任も生まれる。

2015年06月11日 | Weblog
得意なことを自分から進んで宣言すれば、そこにはプライドも責任も生まれる。

『グッとくる「はげまし」言葉』斉藤孝著より。

「能ある鷹は爪を隠すというのが大嫌いなんだ」とは、ホンダの創業者、本田宗一郎が語っていたことだった。このあとには「タカはタカで、おれはタカだぞと、おれはスズメはだぞ、・・・と、これでいいんじゃないか」と続いていた。

本田の得意のフレーズは「得手に帆をあげて」だったという。みんな得意なことで働くべきだという意味だった。そうすることで、人からは苦労に見えても、本人には一番楽なことで認められるということだった。

これは実に理にかなっている。個人も会社も双方ともウィン、ウィンの関係だとも言えそうだ。得意なところを徹底して伸ばせれば、結果的にもよくなるということは想像できる。

心の張りが力を伸ばしてくれるからだった。やはりやりがいを実感しながら仕事ができるときは嬉しいものだ。しかも、自分の得意なことが生かせれば次への励みともなる。


人間の脳は好奇心を持ち続けることで活性化される。

2015年06月10日 | Weblog
人間の脳は好奇心を持ち続けることで活性化される。

「男の品格」川北義則著より。

人間の一大特徴は好奇心を持つことだと筆者は語っている。人類はそれで進歩、発展してきたからだった。何にも関心がなくなったら、もう歳をとっている証拠かもしれない。

また感動することがなくなったら、面白くもない日々を過ごしているともいえそうだ。精神科医の斉藤茂太さんの言葉があった。長寿を保っている人の特徴は「心に余裕のある人々」だそうだ。

具体的には、人付き合いがうまい、友人が多い、前向きの姿勢を持っている。本業以外の趣味を持っている。好奇心が旺盛なこと。ストレスを恐れずむしろ楽しむこと。仕事を道楽と心得ること。ユーモアを忘れないこと。何事も後悔しないこと、などだった。

実に参考になることばかりだ。そのためにどうしたらいいかをSTRESSの6文字で表現していた。S・・スポーツ。T・・トラベル。R・・レクリエーション。E・・イート(食べることを楽しむ)。S・・スリープ(よく眠る)。S・・スマイル(笑う患者ほど治りが早い)。実にうまくアルファベットを見つけたものだ。

遊び心を忘れないことが、老化防止につながるなら、これはアンチエイジングにも役に立つということらしい。

魅力的な不良はどこか憎めない要素も大切だ。

2015年06月09日 | Weblog
魅力的な不良はどこか憎めない要素も大切だ。
「男の品格」川北義則著より。

まずは魅力的な不良という言葉自体が気にかかる。どんな人かと興味深いが、数人の例があった。岡本太郎、宇崎竜童、立川談志、北方謙三、新庄剛志、仰木彬、北大路魯山人などだった。あくまである雑誌でのアンケートで集計したものを抜粋していたのだ。

ここにある名前の誰もが個性が強いことはわかる。しかも人気者だった。画家の岡本太郎さんは権威をものともしないエネルギッシュな個性が魅力的だったという。不良っぽいが憎めないキャラクターの代表だろう。

誰もがそんな人になりたいと思ってもなかなかなれるものではない。やはり生まれや育ちや性格が左右するのだろう。雑誌に掲載された「不良であること七箇条」がここにあった。

1、自由でヤンチャで無頼なる者。2、文化的要素をもつ者。3、お洒落で我がスタイルを持っている。4、色香を持ち女にうっとりもされる。5、「破滅性」をはらんでいる。6、「少年っぽさ」を持ち続けている。7、都会的で優しさを持ち合わせている。

かなりハードルが高いことがうかがえる。そう考えると、はじめにアンケートの結果として出てきたメンバーはそんな要素をそなえているような感じもするな。


「面白そうなこと優先」の生き方の賜物のように思われる。

2015年06月08日 | Weblog
「面白そうなこと優先」の生き方の賜物のように思われる。

「男の品格」川北義則著より。

これも先日触れたことと似ているが、別の人物を引き合いに出していた。その彼とはタレントの片岡鶴太郎さんだった。そう言われて初めてそうそう彼はそんな人物だと気づく。

はじめデビューした時はモノマネお笑い芸人だった。その後ボクシングの資格をとって、実際の試合ではセコンドまで務めている。並みの努力ではそこまではいかない。

さらに有名なのは水墨画でも一流になっていることだった。テレビで講師をやっていることもあった。またあちこちで展覧会を開催し、美術館もいくつかできている。

通常は役者としてテレビドラマに出演している。幅広い役者としての活躍ができるのもすごいことだ。苦労を楽しんだからこそ、今の地位があるのだろう。凡人には決してできない。

ここでの小タイトルには「自分に合った喜びの型を見つける」とあった。なるほど、これがポイントなのだろう。

うつつを抜かす・・・とは「心を奪われる」「夢中になる」ということだ。

2015年06月07日 | Weblog
うつつを抜かす・・・とは「心を奪われる」「夢中になる」ということだ。

「男の品格」川北義則著より。

学問を研究するということなら、一つのことに深く入り込んでいくことが必要だった。また仕事でも自分の専門を決めたら、脇目も振らずに打ち込んだほうが業績も上げやすいとも言える。

狭い分野で自分なりに時間をかけて努力することで、新しい分野を切り開くという考えもありだろう。人と同じことをしていても、成果はそれほど望めないものだ。

石毛直道さんという民族学者は「食物民俗学」という新しい分野を切り開いている。それは自分の性格にあったやり方で研究を重ねたからできたのだった。

そんな氏の言葉に「人生は何かを達成するための生産の時間ではなく、面白いことをするための消費時間。結果として何かが残ればいい」とあった。まずは面白いことをもっと優先した生き方をした方がよさそうだ。

道楽と趣味的遊びの違いは「節度」にある。

2015年06月06日 | Weblog
道楽と趣味的遊びの違いは「節度」にある。
「男の品格」川北義則著より。

そもそも道楽という言葉自体日常生活ではあまり使わないものだ。むしろ趣味の方が一般的だろう。そして節度のないレベルまで入ってしまうのが道楽ということだった。

ある人は「楽しいってことは、羽目をはずすってことなのさ」とも言っている。苦労して大金を稼いでも、ストイックに生きて本当に楽しいのかということだった。

たとえば、ダイエットも盛んに行われているようだが、決してそれが楽しいからやっているわけでもなかった。やせる必要がある、やせているほうがかっこいいから、という思いで努力しているのだった。

そういえば、先日テレビでモデルが痩せることに懸命になって栄養失調で死亡するという番組があった。痩せた体をみると実に異常で気持ちが悪かったものだ。

話がそれてしまったが、人間は自分の人生を楽しく充実させるためには、時に羽目をはずしてみる必要もあると、筆者は語っている。ここでの小タイトルは「楽しくない人生なんて生きる価値はない」となっていた。なるほど!


力が弱ければ、知性で勝負するしかない。

2015年06月05日 | Weblog
力が弱ければ、知性で勝負するしかない。

「ズルい奴ほど成功する」内藤 誼人著より。

これは「おわりに」という部分で触れられていた言葉だった。この本の根底にはマキャベリの「君主論」があるという。

弱いイタリアをいかにして強国にしていくか「戦略的悪徳」がマキャベリズムというものらしい。確か学生時代に耳にしたことがある「君主論」だが、中身はまったく知らなかった。

どんなことでも、正面突破できればいいのだが、必ずしもそれで成功するとは限らない。むしろいろいろと幅広く戦略を練った方がうまくいくこともあるようだ。

筆者は、ズルさという戦略性を発揮して駒を進めていく人は、立派な賢者だともいう。やはりそれなりの結果を出すためには、綿密な戦略を練ることは必要だろう。


自分をいかにして元気づけるか、持ち物レベルから考えてみよう。

2015年06月04日 | Weblog
自分をいかにして元気づけるか、持ち物レベルから考えてみよう。

「ズルい奴ほど成功する」内藤 誼人著より。

これも前日触れたこととやや似かよっている。女性はしばしばストレス解消の手段としてショッピングを挙げる人が多いらしい。またうつ気味のときは服を買ったほうがいいという研究結果もあるそうだ。

新しい服を身につけることで、リフレッシュも図れるのだろう。買い物もそれを楽しめれば気分転換にもなるものだ。

買うことによって、新しい自分を手に入れる、という表現もあった。自分の持ち物まで含めて自分ということだった。

また、新しいペンなどの筆記具を買うのも、少しはいいかもしれない。それで仕事へのモチベーションがあがればしめたものだ。

それから、いま思いついたことだが、朝起きて体が軽いと感じた時は気分もいい。やはり元気のモトはその日の体調が左右しそうでもあるな。それがあってこそ買い物も持ち物も楽しめる。

中身は外見によってつくられる。

2015年06月03日 | Weblog
中身は外見によってつくられる。
「ズルい奴ほど成功する」内藤 誼人著より。

筆者は、男は中身で勝負だ、などと思っているなら、即刻考えを改めるべきだという。もし、服装がだらしなければ、きっと性格(=中身)もそうに違いないと思われてしまうからだ。

やはりファッションにも気をつかうべきだったのだ。確かにしっかりした服装なら、気後れしないということも事実だ。

また身につけるものでも、高級時計を身につけてみると、やはりそれなりに自信をもつこともできる。やはりいい時計を腕につけていれば気分もいいものだ。初対面の場合などは、安っぽい時計をしているとやはり気になってしまうだろう。

アカデミー賞に参加するハリウッドスターたちは、会場には大きいリムジンで乗り付けてくる。それは自分を大きく見せるためにも必要なことだった。それでこそレッドカーペットを堂々と歩けるのだ。

服装、身につけているモノなど、それらすべて含めての自分ということになる。だから、中身は外見でつくられるというのも本当かもしれない。気をつけねば。


感動はすべてクレームと連動しています。

2015年06月02日 | Weblog
感動はすべてクレームと連動しています。

「スピード情報術」中谷彰宏著より。

要するにクレームが起こらないようにすれば、感動にもつながるということだろうか。かなり以前に夜、最寄駅からタクシーで帰ってきた時のことだ。

運転手は途中で当然曲がるだろうと思っていた角を曲がらずに進んでしまったのだ。おやっと思っていると、すいません間違えましたといって、メーターを下し料金をそのままにして、目的地まで進んでくれたのだ。

普通ならちょっとの遠回りぐらい、それで済ましてしまうかもしれない。なかなか良心的な運転手もいるものだなと思った次第だ。

ちょっとしたクレームになるかもしれないが、それがサービスにもつながっているとも思えた次第だ。不快な印象はまったく起こらなかった。

今まで当たり前だと思っているなかに、かなりひどいサービスになっていることもあるのだろう。疑問を感じない方がおかしいのだ。そんなところが、サービスのチャンスとも言えるのだろう。

筆者は「最近感動をうけたことがないという人は、クレームを言ったこともない人です」と語っていた。それは真実かもしれないな。


お金に代えられない何かをしてくれることが無償のサービス。

2015年06月01日 | Weblog
お金に代えられない何かをしてくれることが無償のサービス。

「スピード情報術」中谷彰宏著より。

これも、前日述べたこととも似ている。無償のサービスとおまけとは同じものではなかった。また値引きイコールサービスというものでもなかった。

やはりサービスは人の気持ちが通じた時だろう。それをしたことでどれだけ感動があったかを考えればわかりやすいのかもしれない。

今までどれだけ感動するサービスを受けただろうか。あまり思い出せないものだ。だからこそ工夫してやる価値があるとも言える。

また、こちらがサービスと思っていても、相手には別に当たり前のことと思われてしまうこともあるだろう。そんなサービスは始めから不要だったのかもしれない。