ちょっとマンネリですが・・・

ダラダラ過ごしている毎日のことあれこれ・・・・

クレームを言うお客様は怒っていると思いがち。

2013年05月16日 | Weblog
「逆境こそ成功のチャンス」中谷彰宏著より。

お店をはじめとする何らかのサービス業に従事しているなら、クレームが発生するのはあたり前だと思うしかないだろう。むしろクレームが発生しない仕事などはないと考えた方がいいのかもしれない。

お客様の中には、確かに人間的に神経質でちょっとしたことでも大げさにクレームをいう人はいるものだ。ここでのタイトルは“クレームは、お店でさみしい思いをしたお客様から出る”とあったが、確かにそうかもしれないと思った次第。

きっと自分もしっかりと対応してくれないような接客を受けたら、さみしいかもしれない。また逆に、常連になっているにもかかわらず、初めて来た時と同じようなバカていねいな口調で対応されてもがっかりするものだ。

お客の立場から言えば、顔や言動を少しでも覚えていてくれて、それなりの応対をしてくれればうれしい。また営業面からみれば、親しくなればなるほど、クレームは減っていくというのが、今まで仕事をして実感したことだ。

しばしば、クレームだと思われているものに、問い合わせや依頼がある。何だがわからず、お客様がクレームを言っていると判断されてしまうことがあるが、実際は単に説明を聞きたかったり質問だったりすることもある。


サービス精神というのは、知らない人とどれだけ話ができるか・・・

2013年05月15日 | Weblog
「逆境こそ成功のチャンス」中谷彰宏著より。

ここでのタイトルは“サービスマンは、たわいない話を楽しめる”となっていた。まず、知らない人と話をするのはそう簡単ではないだろう。

そして、知らない人と話を続けるためには、こちらにサービスマンとしての受信能力がないとダメなようだ。相手がどんな人で何を望んでいるかを考える必要がある。

そして、サービス精神がない人はムダなおしゃべりをバカにするという。そんなものかなぁと思ってしまう。余計な会話だと思っていても、意外にもそれが、楽しかったりするものだ。

サービスをする側の人はお客様と、取るに足りない話、たわいのない話、余計な会話をどれだけできるかが、大事なようだ。

つまりは雑談ということになる。もしできれば、そこにエンターテイメント性があれば最高なのだろう。そのためには、普段からさまざまな雑知識を仕入れておくこともポイントなのだろう・・・な。

その価格がはたして高いのか安いのか、原価とはまったく関係がない・・・

2013年05月14日 | Weblog
「逆境こそ成功のチャンス」中谷彰宏著より。

まず、この本の目次を眺めていると、“サービス”とか“サービスマン”という言葉が何度も出てくる。なんだかこの本の題名とはちょっと違和感を感じた次第。

そしてさらに読んでいくうちに、かなり以前に読んだことがあったこと思い出したのだ。しかも、その時の本の題名は「全身サービスマンで行こう!」(1999年7月発行)だった。たまたまその本が自宅にあったので確かめられた。

さて、このフレーズがあった部分のタイトルには、“たった10円で、高級感が出せる”となっていた。現在とは状況がかなり異なっているが、筆者がいつも行っている美容院のことが述べられていた。当時はまだその店には公衆電話があったようだ。

今なら誰でもスマホやケータイを持っているので、公衆電話はほとんど必要性ないだろう。その公衆電話の横には、10円玉の入ったお皿が置いてあったという。それは「どうぞご自由にお使い下さい」という意味だったのだ。つまりたった10円でも高級な感じがしたようだ。

話はやや異なるが、喫茶店でのコーヒーの原価はかなり安いものだが、いちいちそれを高いと考える人はいない。そこで買える時間、気持ちにお金を払っているからだ。その人が価値があると思えば原価など関係なくなってしまうものだな・・・


まず行動せよ、やる気は後からついてくる。

2013年05月13日 | Weblog
まず行動せよ、やる気は後からついてくる。

「継続は、だれも裏切らない」内藤誼人著より。

実にシンプルでわかりやすいフレーズだ。内藤氏はある本からの対話を引用していた。「どうすれば、やる気が出ますか?」「売ることです」/「その売るためのエネルギーが出ないんですよ」「すぐにセールスに出かけることです。やる気は後からついてくるんです」と。

つまり頭の中であれこれと思い悩むよりも先に、身体を動かしてしまえというアドバイスをしていたのだ。日本語でのことわざにも「案ずるより産むがやすし」というのがあった。

「やる気」が先にあって「行動」があるというのが理想だろうが、いつもそういうわけにはいかないもの。むしろどうやってやる気を引き出したらいいかを考えてしまうほうが多そうだ。

行動を先にやってしまうことで。「やる気」も出てくるというのも本当だった。というのも、感情は行動の後に引っ張られるようにして出てくることもあるからだ。

たとえば、庭の草むしりもやる前は面倒だが、いったん始めると、ついついもっと別の場所までやりたくなってしまうことがある。これも、同じような理屈かもしれない。

言い訳をしていると、どんどん人間の器が小さくなる。

2013年05月12日 | Weblog
言い訳をしていると、どんどん人間の器が小さくなる。

「継続は、だれも裏切らない」内藤誼人著より。

ここでの小タイトルには“言い訳を自分に許すな”とあった。ついつい言い訳を先に考えたりしてしまうこともある。たとえば、「これだけの不況じゃどうしょうもない」とか「親も頭が悪いから自分も悪いのはあたり前だ」など。

うまい言い訳が見つかるほど、努力もしなくなってしまうようだ。悪いのは、自分以外にあると思ってしまうこともある。

いずれにしても、何でも言い訳をするのが当たり前になってしまうと、諦めも早い。「どうせ~」と思った時点で、もう人の器は小さくなっているのかもしれない。

しばしば、「みんなが~と言ってるから」などと自分のことは棚に上げて、自分で判断せず言い訳する人がいる。やはり自分の考えをまず述べず人をダシに使ううちは、やはり器が小さいと思わざるを得ない。

ものごとがうまくいかない時は、やはり自分の努力不足を認めねばならないようだ。何ごとも言い訳を考えるようでは、人にアピールするのも難しそうだな。

「結びつかないものを結びつけてみよう」という発想をすればいい。

2013年05月11日 | Weblog
「結びつかないものを結びつけてみよう」という発想をすればいい。

「佐藤可士和の新しいルールづくり」佐藤可士和・齋藤孝著より。

(前日のつづき)
アイディアを生むための一つの発想方法として、「結びつかないものを結びつける」というのがあった。ここでも関数の考え方が生きてくる。具体例が面白くてわかりやすい。

たとえばカラオケボックスなら、y=f(x)の「f」がボックスで、ボックス化して面白いものは何かと発想していって、そこにカラオケを入れたらできたものだと齋藤氏は語っている。

つまり「何々化」ということでもあった。「ミニチュア化」「リバーシブル化」など、「何々化」を考えるとアイディアは出やすいようだ。

氏はさらに、別のヒットした例もあげていた。ガリガリ君をfとしてxにポータージュ味を入れたら、「ガリガリ君ポタージュ味」が出来たという。しかもそれがすごい売れ行きだったとか。

すると、佐藤氏はAKBも関数化して成功した例だと気づいたようだ。そこに地名を入れることで、AKT,JKT…などいくらでも戦略的なシステムが確立していたからだ。

スタイルを関数としてとらえる。

2013年05月10日 | Weblog
スタイルを関数としてとらえる。
「佐藤可士和の新しいルールづくり」佐藤可士和・齋藤孝著より。

齋藤氏はさまざまなものにはスタイルが存在するという。たとえば、自分のスタイル、会社のスタイル、商品のスタイル・・・など。そのスタイルは場合によってはコンセプトにも近いようだ。

齋藤氏はまた、「変形のしかたに一貫性がある」という考え方が、関数の考え方だと説明している。これまで関数と言えば、数学でのことだとばかり思っていたが、そうでもなかった。

これを聞いて佐藤氏も、意外だと思ったらしい。関数とはy=f(x)というもので、、そのfに注目することだった。このfは「○○変換」ということだった。

つまりあるスタイルがあると、そのスタイルなりの変換が起こることになる。齋藤氏はたとえば、「ゴッホ変換」なら、世界全体が黄色くて、ゆがんでいて、あの太陽がギラギラするみたいな感じになる、と説明していた。

そして、もしfが「佐藤可士和」だと、みんな(整理されて)シンプルになってしまう、などとたとえているのも面白い。つまり物そのものより、変形のしかたであるfがポイントだとわかる。

この関数を技化するといろいろと応用ができるようだ。もしそれができるようになれば、関数はルールそのものだということだった。実ユニークな考え方でもあるな。

もし努力を継続する精神力を養いたいなら、まずは体力をつけることが先決・・・

2013年05月09日 | Weblog
もし努力を継続する精神力を養いたいなら、まずは体力をつけることが先決・・・

「継続は、だれも裏切らない」内藤誼人著より。

打たれ強い人はみな、体育会系出身である、と述べられていたが、確かにその可能性はあるだろう。人生のある時期で、本気でスポーツに取り組んだ経験が、あとでものを言うようだ。

精力的に仕事をしている営業マンは、たいていスポーツの経験者であることが多いとも言える。体育会系出身者ほど精神力が強い理由は、体力があるからのようだった。

体力と精神力は密接に関係しているというのも事実だろう。体力のない人は、精神力もなく、落ち込みやすくて、打たれ弱い傾向があるという。

確かに体調が悪くて体力に自信がない時などは、仕事でも強気に出ることは難しい。しかも説得力も欠けてしまうだろう。迫力ある仕事をするためには、まずは体力をつけることだった。


劣等感があるからこそ、それを克服してやろうという努力が生まれる。

2013年05月08日 | Weblog
「継続は、だれも裏切らない」内藤誼人著より。

つまりコンプレックスも利用次第では、やる気に転換できるという意味だった。逆から考えるとわかりやすい。コンプレックスなど感じないで、そこそこ幸せにいければ、自分を変えようとか、努力する必要性もないのだろう。

よく、ボクシングのチャンピオンになったり実業家になるような人は、子どもの頃、いじめられたとか、貧しかったという経験を持っていたりする。

ハングリー精神があるからこそ、それがバネになっているのは事実だろう。どうしたら夢が実現できるか、心身ともに限界まで挑戦し続けた結果、成功を手にすることができる。

中途半端なコンプレックスではなく、エネルギーに変えるためには、相当な決意があるに違いない。本当かどうか疑わしいが、内藤氏も中学生の時までは偏差値が40台だったことがコンプレックスで、その後むさぼるように本を読み続けたという。

というこことから、コンプレックスのある人は、必ずしも不幸だとは言い切れないのかもしれない・・・


あたり前のことを言わないために、三つ考えて一つを言う。

2013年05月07日 | Weblog
「佐藤可士和の新しいルールづくり」佐藤可士和・齋藤孝著より。

新しいルールをつくるためには、あたり前を疑うことが必要だと齋藤氏は指摘している。そして、あたり前を疑うためには、普段からあたり前のことを言わない、聞かない、考えないことも重要だと述べていた。

一見簡単そうだが、難しいことだ。ちょっとしたアイデアも、一つ思いつくだけでも大変なことだから。それもかなり一般的なことしか思いつかないものだ。

やはり人にアピールできるアイデアは、そこまでやるか!と思わせるものであることも必要だろう。佐藤氏は、プレゼンで五つのロゴ案を出すとしたら、100から200は考え、検証を繰り返しデザインの精度を高めたものを厳選して提案するという。

やはりプロの世界は並みの努力ではないことがうかがえる。また齋藤氏は、経験から質問についても、三つ考えてそのうちの一つを選んで言えば、かなりまともな質問ができるともいう。

たしかに、思いついたまま、すぐに口に出したりすると、かなり見当違いな質問になる可能性もある。学生には、「とにかく三つ考えてから一つ言え」と教えているそうだ。実に頭が疲れそうだな。


クライアントとの打ち合わせは、自分の思考を言語化するためにやっているようなもの・・・

2013年05月06日 | Weblog
「佐藤可士和の新しいルールづくり」佐藤可士和・齋藤孝著より。

実際はこの二人による対談になっていて、その聞き手が齋藤氏だった。佐藤氏は相手と話して、ブレインストーミングなどでピタッとする単語や文脈がみつかると「そうだ、そうだ」と思考が言語に置き換えられるという。

しかし、そこにたどり着くまでは、かなりの時間を費やすことだろう。また自分の好きを言語化するとも表現している。「ただ何となく言えないが、好き」ではいけないようだ。つまり抽象的なことを理由をはっきりさせて、具体的に説明できるかどうかがポイントのような気もする。

これは、いいと思っても、思考はそこで止まってしまうことが多いようだ。しかし、佐藤氏の仕事では、「何でいいのか」と「こういう理由だからいい」、が言えなければいけなかった。つまりロジカルであることが必要だった。

また佐藤氏は、デザインとは、直感とロジックが最適なバランスで組み合わさってできているものだと述べている。実にクリエイターらしい表現だと思った次第。


「ルーティン」にも「型」にも継続と改善が必要。

2013年05月05日 | Weblog
「プロフェッショナルの習慣力」森本貴義著より。

単に習慣を継続すればいいというものでもなかった。時にはより効果的なものに改善していくことも必要だったのだ。

これはスポーツ選手だけではなく、ビジネスパーソンでも同様だった。商談の際に笑いで相手の心をつかもうという人もいるかもしれないが、それも相手の性格によって内容を変えることも必要になるようだ。

ここに、「ルーティン・型・小さな目標」の定義について一覧表があったので、一部抜粋してみたい。「ルーティン」・・・本番のための準備のうち、習慣化された段取り。「型」・・・手順化・定型化された動作。問題発生時の作業マニュアルのようなもの。「小さな目標」・・・日々達成すべき、小さな目標。

これをたとえばある営業マンに当てはめてみると、次のようになっている。「ルーティン」・・・商談前30分は喫茶店でシミュレーション。商談後、反省事項をメモに書きだす。「型」・・・プレゼン構築時の一連の作業。(ストーリー作り、データの積み上げなど)。「小さな目標」・・・相手の期待を上回る提案をする。

引用がやや長くなってしまったが、こんなふうに、具体的に表現されると、理解がしやすくなってくる。

「小さな目標」を達成し続けることで、自信も結果も生まれる。

2013年05月04日 | Weblog
「プロフェッショナルの習慣力」森本貴義著より。

営業マンなら、日々、または月々の売り上げ達成が当面の目標だろう。確かに小さいとは言えないかもしれないが、それが半期、年間を通じて達成できれば、自信にもつながるはず。

しっかりした、自分なりのビジョンをもって、創意工夫と努力を重ねた結果であれば、それはその後のノウハウともなりうるものだ。

筆者はまた、「小さな目標達成は、日々の習慣と型づくりから始まる」とも述べていた。つまりどんなことを習慣として継続しているかが問題なのだろう。

そういえば、数年前からウォーキングの記録をつけているが、自分なりに万歩計で3000歩で1キロと換算して、日々何キロ歩いたかを簡単にちょっとした表を作って○と日付けだけで記入している。

その後、ストップウォッチで自宅から最寄り駅までに要した時間も、記録するようになった。すると所要時間もほぼ予測できるようになり、歩いていても到着時刻の予測がついて安心感も出てきた。


丸くなる、角がとれたというのは、実は老化したということ・・・

2013年05月03日 | Weblog
「ワルの作法」中谷彰宏著より。

老化するのは、必ずしも年齢によるものとは限らないのだろう。考え方や生き方が、柔軟でなくなったり、諦めが早くなったりしても、そう言えるのではないだろうか。自分のことかもしれない。

ワルであるということは、まだ若いことだと筆者は語っていた。もちろんここでのワルはすばしっこい、とか要領がいい、ダンドリがいいなどという積極的な意味で使っている。

年をとるにつれて、むちゃとか冒険はしなくなるものだ。そうなると、面白味もない。刺激もほとんどなくなってしまう。そう考えると80歳を超えてエベレスト登頂にチャレンジする三浦雄一郎さんはすごい!できれば丸くなったり角が取れるのも遅らせたいものだ。

ここに筆者が考える老化の3条件があった。1、さびる。血管が硬くなると恐ろしい。2、しぼむ。確かに水分は若いうちのほうが多い。3、すさむ。精神的にヤル気がなくなることだった。こんな現象に気をつけねば。


特上を持つと、上が当たり前になる。

2013年05月02日 | Weblog
「ワルの作法」中谷彰宏著より。

これは別にモノを持つことだけを意味していなかった。たとえば、自分よりはるかにむちゃくちゃ、あるいはでたらめをやっている人を基準に置いた場合だった。

すると自分がやってることなど大したことがないと感じることがある、というような意味だった。自分がやっていることなど実に小さなことに見えるものだ。

私自身はファッションにはあまり関心がないが、もしファッションでもちょっとだけカッコいい人をターゲットにしていると、ファッションの幅はどんどん狭まるらしい。

アイデアも同じようなものだった。とてつもないアイデアを基準にすると、普通よりかなり飛躍的なアイデアが出てくるようだ。

ここでの結論として、筆者は次のようにまとめていた。“「さすがに、ここまでは」というモデルを持とう”、と。極端はけっこうおもしろい。常に、上にはさらに上があることを自覚せねば・・・