「ワルの作法」中谷彰宏著より。
これは別にモノを持つことだけを意味していなかった。たとえば、自分よりはるかにむちゃくちゃ、あるいはでたらめをやっている人を基準に置いた場合だった。
すると自分がやってることなど大したことがないと感じることがある、というような意味だった。自分がやっていることなど実に小さなことに見えるものだ。
私自身はファッションにはあまり関心がないが、もしファッションでもちょっとだけカッコいい人をターゲットにしていると、ファッションの幅はどんどん狭まるらしい。
アイデアも同じようなものだった。とてつもないアイデアを基準にすると、普通よりかなり飛躍的なアイデアが出てくるようだ。
ここでの結論として、筆者は次のようにまとめていた。“「さすがに、ここまでは」というモデルを持とう”、と。極端はけっこうおもしろい。常に、上にはさらに上があることを自覚せねば・・・
これは別にモノを持つことだけを意味していなかった。たとえば、自分よりはるかにむちゃくちゃ、あるいはでたらめをやっている人を基準に置いた場合だった。
すると自分がやってることなど大したことがないと感じることがある、というような意味だった。自分がやっていることなど実に小さなことに見えるものだ。
私自身はファッションにはあまり関心がないが、もしファッションでもちょっとだけカッコいい人をターゲットにしていると、ファッションの幅はどんどん狭まるらしい。
アイデアも同じようなものだった。とてつもないアイデアを基準にすると、普通よりかなり飛躍的なアイデアが出てくるようだ。
ここでの結論として、筆者は次のようにまとめていた。“「さすがに、ここまでは」というモデルを持とう”、と。極端はけっこうおもしろい。常に、上にはさらに上があることを自覚せねば・・・