「老いの才覚」曽野綾子著より。
老人かどうかは単なる実年齢とは関係ないと思えることがある。若くても反応が鈍い人は、老年に近いのではないだろうか。
曽野さんは、老齢になって身につける「老人性」には、二つの柱があるという。一つは、利己的になること、もう一つは忍耐がなくなることだそうだ。
これを読んでみて、わがままな老人にはなりたくないものだ、と今は思っている次第。ジコチュウな人は、若くても老年でも見ていて、いい気はしない。
筆者は、たとえば電車の中で足を投げ出して座っていたり、眠りこけている人は二十歳でも老年だと指摘していた。
逆に他者への気配りがあれば、70代でも壮年だともいう。その年齢になるまでに、いろいろと身につけなければならないこともあるのだろうな・・・
老人かどうかは単なる実年齢とは関係ないと思えることがある。若くても反応が鈍い人は、老年に近いのではないだろうか。
曽野さんは、老齢になって身につける「老人性」には、二つの柱があるという。一つは、利己的になること、もう一つは忍耐がなくなることだそうだ。
これを読んでみて、わがままな老人にはなりたくないものだ、と今は思っている次第。ジコチュウな人は、若くても老年でも見ていて、いい気はしない。
筆者は、たとえば電車の中で足を投げ出して座っていたり、眠りこけている人は二十歳でも老年だと指摘していた。
逆に他者への気配りがあれば、70代でも壮年だともいう。その年齢になるまでに、いろいろと身につけなければならないこともあるのだろうな・・・