ちょっとマンネリですが・・・

ダラダラ過ごしている毎日のことあれこれ・・・・

準富裕層はビジネスターゲットにしやすい・・・

2008年07月16日 | Weblog
「富裕層ビジネス 成功の秘訣」中谷彰宏著より。

真の富裕層は自由に使えるキャッシュも持ているが、お金の使い道もちゃんと知っている人だという。モノの価値を知っている人だともいえる。だから、世間で流行っているとは言っても、興味がなければ買うこともない。

ところが、いきなりお金持ちになったような人はむしろ準富裕層だという。こういう人たちをビジネスターゲットにして、「限定車で、世界に2台しかない」などといって売り込むと効果があるようだ。

世界で2台限定といのが本当かどうかはわからないがもしかしたらウソかもしれない、でも準富裕層の人はそれで、自慢できると思うのだろう。

この話にはちょっとオチがあって、同じ車を街で何台も見たよ、と言われることがあるかもしれない。そんな時はディーラーは「あれは内装が全然違うんです」と言い逃れる・・・らしい。(実際は分からないが)

ついでに隠れ富裕層というのがあった。それほど、お金持ちではなくても1点豪華主義というやつだ。安い賃貸アパートに住んでいても高級車に乗っている人などは近所で見かける。高級時計や宝飾品に関心があって身につけてはいても、そのほかは意外に質素だったり。

このような人も見込み客になるらしい。店に来た時にかなりみすぼらしい身なりだからといって馬鹿に出来ないタイプかもしれない。だから、いったい誰が高額品を買うお客かどうかを見極めるのはそうそう簡単ではなさそうだ・・・な。


高層ビル内のオフィスで毎朝ラジオ体操・・・

2008年07月15日 | Weblog
昨日会った会社社長との雑談より。

(前日の話題の関連から言えば、この社長も間違いなく富裕層に属するだろう。豪邸の自宅は昨年新築していた。高級外車ばかりでなくクルーザーもお持ちだった。趣味の一つには日本の伝統芸能である歌舞伎や能の鑑賞があった。ちょっと庶民からはほど遠い感じもするが。)

約20年前から知り合いのこの会社社長をお訪ねした際に、しばし雑談をした。話はその方が最近ダイエットに励んで洋服のサイズを小さめにしたということだった。そんなことからどんなことをされているかをお聞きした。

基本的に毎週二回スポーツジムに通ってウェイトトレーニング、ストレッチと少しのスイミングで汗を流しているという。またも元々腰が悪いらしく、朝起きるときにもベッドでストレッチをしているようだった。その他、気をつけているのは食事とアルコールの分量を減らしたことだそうだ。

そして、意外だったのは近代的な高層オフィスのなかで、社員全員で毎朝ラジオ体操をしていると聞いたからだった。(これは直接ダイエットおは関係ないだろうが)毎朝ラジオ体操といえば、工場や工事現場ではその姿を見かけたことはあるが、オフィスで全員でする会社があるとは珍しい。

あとで考えたら、体操ができるほど広いスペースで仕事ができるとは実に余裕があるな、と思った次第。私の仕事場ではとてもそんなスペースなどないな。ということで、できるだけ毎朝起きたら寝室で15分エクササイズだけはやるようにはしているが、ダイエットまではまだまだかな・・・

お金を使える富裕層と、使えない富裕層がいる。

2008年07月14日 | Weblog
「富裕層ビジネス 成功の秘訣」中谷彰宏著より。

実際に資産があるといっても、すぐに使える現金がなければ“お金を使える富裕層”とはみなされないだろう。そういう人をビジネスのターゲットにするのはかなり難しそうだ。広大な土地を持っていても、すぐに売れるとは限らない。

私の知り合いにもマンションのオーナーさんがいるが、そのローンの支払い残が億単位で残っているし、毎年税金も数千万円支払わなければならないのでそうそう贅沢はできないと言っている。また株も持ってはいても現在のところ低迷しているので売買はできないという。売ればまたそれに税金もかかってくるし、とも言っていた。

ビジネスのお客さんとして富裕層を狙うならやはり、不動産などの資産がいくらあっても現金を使ってくれるかどうか見極めないと難しそうだ。別の知り合いの人で地主さんがいたが、父親が亡くなった際に相続税でやはり億単位を払わねばならなかったようだ。そしてそれまで住んでいた土地を切り売りした結果、やはり以前ほどはお気楽に買い物もしなくなったようだ。

とはいえ、一般の安サラリーマンに比べれば自由になるお金は多いようには思える。いくら以上の年収があるから富裕層だということも聞いたことはない。もっとも、いくらお金を貯めたところでそれを実際に有効に使って楽しまなければ意味はないようにも思えるが。

数年前ある高齢の女性が、「定期預金を崩してでも欲しいと思うようなものに出会わない」と語っていたことを思い出した。富裕層相手のビジネスって、結局その人(お客さん)にとって本当に魅力あるサービスなり商品を提案できるかどうかにかかっているのかな~

お金を使える富裕層と、使えない富裕層がいる。

2008年07月14日 | Weblog
「富裕層ビジネス 成功の秘訣」中谷彰宏著より。

実際に資産があるといっても、すぐに使える現金がなければ“お金を使える富裕層”とはみなされないだろう。そういう人をビジネスのターゲットにするのはかなり難しそうだ。広大な土地を持っていても、すぐに売れるとは限らない。

私の知り合いにもマンションのオーナーさんがいるが、そのローンの支払い残が億単位で残っているし、毎年税金も数千万円支払わなければならないのでそうそう贅沢はできないと言っている。また株も持ってはいても現在のところ低迷しているので売買はできないという。売ればまたそれに税金もかかってくるし、とも言っていた。

ビジネスのお客さんとして富裕層を狙うならやはり、不動産などの資産がいくらあっても現金を使ってくれるかどうか見極めないと難しそうだ。別の知り合いの人で地主さんがいたが、父親が亡くなった際に相続税でやはり億単位を払わねばならなかったようだ。そしてそれまで住んでいた土地を切り売りした結果、やはり以前ほどはお気楽に買い物もしなくなったようだ。

とはいえ、一般の安サラリーマンに比べれば自由になるお金は多いようには思える。いくら以上の年収があるから富裕層だということも聞いたことはない。もっとも、いくらお金を貯めたところでそれを実際に有効に使って楽しまなければ意味はないようにも思えるが。

数年前ある高齢の女性が、「定期預金を崩してでも欲しいと思うようなものに出会わない」と語っていたことを思い出した。富裕層相手のビジネスって、結局その人(お客さん)にとって本当に魅力あるサービスなり商品を提案できるかどうかにかかっているのかな~


ゴールのさらに一歩先をイメージする。

2008年07月13日 | Weblog
「続ける力」伊藤真著より。

確信を持てずに努力をするのは不安がつきまとうもの。受験を経験した人なら誰でもそうではなかったろうか。そんな時、伊藤氏は「ゴールからの発想」という考え方をすすめている。具体的には受験生には「毎日3時間の勉強を二年間すれば、合格に必要な知識は身につく」と明確な数字を出している。

早い段階で、勉強の全体像を示し、ゴールを示している。しかし、本当のゴールは試験に合格することではなく法律家になって自分のやりたい仕事をするところにあるはず。

就職活動も同様で、いくら第一志望の会社に入社できたからといって、すぐさま自分なりに好きな仕事ができるわけはない。またいくら受験して資格を得たとはいえ、早い時期に自分のペースで仕事ができるほど甘くはない。

元Jリーガーの八十祐治さんは現役引退後、31歳のときに法律家になることを志していた。仕事をしながら受験勉強を続け、4回目の挑戦で最終合格(司法試験)していた。

モチベーションを維持できたのは、合格後まで考えていたことも要因のようだ。つまり弁護士として法廷に立つ自分の姿や、困った人たちを救済する自分を想像していたからだと、伊藤氏は考えている。

「ゴール」だと思っていても、意外にそれは「通過点」に過ぎないことが多い。大学合格、就職(入社)、結婚などを振り返れば、そうだったことが分かってくるな。どれだけ、その後をイメージできているだろう・・・

勉強が気分転換として、生活の一部になって・・・

2008年07月12日 | Weblog
「続ける力」伊藤真著より。

これは伊藤さんのところに届いた、ある合格者からの手紙のワンフレーズだった。この人(男性、北海道)は30歳間近で結婚していて子どももいる中で、司法試験の勉強を始め7年目で合格を果たしていた。

勉強を始める前には漠然と法律家にあこがれていたという。そして、伊藤氏の本を読んだきっかけで勉強をスタートしている。本業の仕事、子育て、妻の入院、母の病気、幼稚園の役員などやり、十分な時間もなくスローペースで続けたそうだ。

ポイントは勉強を楽しめたことだと思える。それが上記のフレーズにもあげた「わたしにとっては勉強が気分転換として、生活の一部になっていました」という一文に表れている。

「攻略」「克服」というような意気込みよりも「習慣をつくる」、ときには「自分の仲間に引き入れちゃおう」ぐらいの、少し力の抜けた姿勢のほうがうまくいく、と伊藤さんは語っている。

「例外」を「原則」に替えれば続けられる。

2008年07月11日 | Weblog
「続ける力」伊藤真著より。

伊藤さんはまず自らの失敗のパターンを振り返っている。その一つがダイエットだった。これはかなり多くの人が経験しているのではないだろうか。(私も腹囲が気にかかっているが)

氏は40歳を過ぎてから腹周りが気になり、通販で宣伝している腹筋マシーンなどを次々に購入しては挫折を繰り返している。(私も似たようなパターンだ)そして、自己流スクワットのやりすぎで膝を痛めたのが契機となって失敗のパターンから抜け出していた。

結局、食生活を振り返ると仕事柄、深夜の食事を何十年も続けた結果、体重がオーバーしていたことに気付いたのだ。そこで、食事の時間帯を変えたことだけで、1年間で10キロの減量に成功したと語っている。これなら筋トレより随分とラクだ。

つまり、マシンを使った筋トレは生活パターンからすれば「特別な時間」「例外時間」だったのだ。新しいことを始める場合は「生活の原則にする」という意識の組み換えこそがポイントだったようだ。

要するに継続したいこと(運動にしても勉強にしても)が、毎日の歯磨きや入浴のように自然に「習慣として」できるなら、半分は成功しているのかも・・・

変化を求める世の中だからこそ、変わらずに続けることに価値がある。

2008年07月10日 | Weblog
「続ける力」伊藤真著より。

この本を手にするまでは、筆者についてなにも知らなかった。伊藤さんは弁護士で、司法試験のカリスマ塾長らしい。そして仕事、受験で成功する王道はやはり頭のよさより続けられるかどうかが重要だと指摘している。

27年間にわたる司法試験の受験指導の経験かがそう言わせているのだろう。使い古された言葉に「継続は力なり」というのがあるが、どんなことも少し続けるだけで単純で退屈になってしまうもの。氏は「単純で退屈なこと」を長続きさせるコツについて述べている。

効果的なのはやるべきことを徹底的に絞り込んで、飽きや退屈のハードルを下げることだという。氏の経験が語られている。中学生の時ペン習字に取り組んだものの1か月もしないうちに投げ出していた。次に司法試験の論文で文字を書かねばならないということで、再びペン習字を始めていた。

この時はポイントだけ絞って毎日5分づつ頻出語句だけを書く練習を1年間続けていた。この効果はあったと振り返っている。つまりこれが飽きや退屈のハードルを下げるということだったのだ。できるだけ短い時間、しかもやることは限られたことだけに絞っていたのだ。

もっとも、根底には試験に受かりたいという切実な願いがあったからこそ、1年間もペン習字の練習がつづけられたのだろうな・・・(合格後はまた元の文字に戻ったらしいが)

「性格のオセロ理論」

2008年07月09日 | Weblog
「その日本語が毒になる!」吉村達也著より。

筆者は実に面白い言葉を思いついたものだ。つまりこれは、一瞬にして正反対の人間になれる、という意味だったのだ。よく耳にすることだが、凶悪犯罪の犯人が捕まると隣人や友人は「まさかあの人が・・・」という言葉を発する。そして「仕事ぶりは真面目で、会えばきちんと挨拶をする人だった」というようなパターンだ。

つまり白だと思っていたことが一瞬で黒に変わってしまうことからオセロという言葉を使っていたのだ。人は常にきっと無意識のうちに白か黒かに分けて人を見ているのだろう。人は誰でも善悪双方の因子を持っているものだそうだ。

真面目だと思っていた銀行員が巨額の横領をしていた事件は何度もニュースとして目にしている。また聖職者だと(かつては)思われていた学校の教師が生徒に対してわいせつ行為があったなどもたまに聞く。警察官や裁判官も賄賂で便宜を図ったり。火消しの専門家の消防士が放火犯人だったことも。数え上げたら切りがない。

もっと身近では、信じていた人に裏切られた場合などもあるだろうし、仕事上でも意外な一面を見た場合など(責任転嫁などで)を目にした時などもあるだろう。白が51%で黒が49%なら白になるが、その配合が2%移動しただけで白が逆に黒になってしまう。人の心のなかでグレーはありえない・・・のだな。

クレーム自体に商品価値がある!

2008年07月08日 | Weblog
時どき受け取る“メールマガジン”より。

一昨日、クレームについて触れていたのでちょっと思い出したことがありました。もしかしたら、すでにご存じの方も多いかと思いますが、このメルマガは時どき「苦情・クレーム博覧会」から送られてくるものです。

この博覧会は福井商工会議所が2003年から毎年開催しているものでした。苦情・クレームとはいっても実際にクレーマーが店やメーカーに言いがかりをつけるようなものとは異なります。

むしろ、こんなものがあったらもっと便利、とか日常生活での製品や使用方法などに関する不平不満などを募集していたのです。そして企業がそれを見てそれならこんなモノができそうだとアイデアを作り上げるヒントにするわけです。

要するに、インターネットで全国から苦情・クレームを募集→それを審査しデータベース化する→このデータベースを有料で公開するというものでした。

実際に企業はその情報をもとに、いくつもの新製品を開発していました。やはり数が多ければそれなりに宝の山ともいえますね。ちょっとしたアイデアも侮れないもの。もちろんクレームから製品化されればそれなりの報酬はあるでしょう。

ご参考のためホームページは下記。
http://www.kujou906.com/

「おはようございます」に相当する適切な昼の挨拶は、・・・

2008年07月07日 | Weblog
「その日本語が毒になる!」吉村達也著より。

このあとには「いくら探してもないのだ」と続いていた。吉村氏は例を出している。朝、社長と廊下ですれ違った平社員は「おはようございます!」と元気に挨拶できる。

しかし、昼や夜に社長とすれ違った時に「こんにちは」「こんばんは」では馴れ馴れしすぎる、と指摘する。

これらの言葉に「ございます」をつけたとしたら、「こんにちは(で)ございます」と、変な日本語になってしまい笑われるだけだ。実に盲点となっている日本語の挨拶に思えた次第。

もしこれが英語なら「グッド・モーニング」「グッド・アフタヌーン」「グッド・イブニング」で済ますことができる。いかに日本語は不便であるかにも気付かされる。

ただし、芸能界では最初に会った時の挨拶は、昼でも深夜でも「おはようございます」で済ませられる。これも面白い世界に思える・・・な。

店員はどこまでもかしこまってクレームを承るものと信じ込んでいる人がいる。

2008年07月06日 | Weblog
「その日本語が毒になる!」吉村達也著より。

かつて演歌歌手の三波春夫が「お客様は神様です」という有名なフレーズを流行らせたことがあった。もう30年以上前のことだったろう。確かに彼にとってコンサートの来場者やレコードを買ってくれるファンは神様に思えたかもしれない。

しかし、一般のお店の店員は「お客様は神様」などと思っている人は稀だろう。とくに不当な苦情を持ち込むようなクレーマーに対しては客という意識もないだろう。クレームをつけられた店員は、その客が帰ったあとにはその客について、いかにヒドイ人間であるかまたは店のブラックリストとして社内に通達しているかもしれない。

一方的に怒られた店員だって黙って引っ込んでいるわけではない。たまたま立場がお客と店員というだけのことだったに過ぎない。そのクレーマーは再度同じ店に入れば冷たい視線を浴びることになろう。(もともと無神経な人間はそれも気にしないか)

また客が「二度とこんな店には来ない!」怒鳴ったところで、一人の売り上げなどその店にとっては痛くも痒くもないことだろう。むしろ、そう言った手前、行けなくなって不便で困るのはタンカを切ったその客だったりして・・・。

初めからコメント欄を設定しないブログ形式・・・

2008年07月05日 | Weblog
「その日本語が毒になる!」吉村達也著より。

いろいろなブログを訪問していると、しばしばコメント欄を外してあるブログに出会う。もし、そこにメール機能があっても、そこまでしてコメントを送信しようとは思わない。

ブログはあまりじっくり考えたりしないで、頭に浮かんだことを次々にキーボードから打ち込んでいってしまうことが多い。またその時々にある写真なども添付すれば日記としていい記録ともなろう。表現形式はそれぞれ自由に設定できるが、ブログとして不特定多数に公開すれば、それを目にした人は何らかの感想や意見を持つこともあるだろう。

しかし、読んでいくら感動したからと言ってもコメント欄がなければせっかくの賞賛のひと言も添えられない。それはちょっと残念なことでもあるな。なかにはブロガーが有名人で批判的なコメントを恐れている場合もありえるが。

もし、コメント欄があればそこからネット上の交流もはじまり、貴重な意見も得られる可能性もあるだろう。とくにブログは感情の赴くままに書いてしまうことが多いので、独りよがりな文章になってしまいがち。(もちろん日記だからそれでもいいのでしょうが)

また、ブログ(日記)に対して他の人が書いたコメントを読むのも参考になる場合もありますがね・・・

筆無精の人がキーボード入力だとスラスラ書ける・・・

2008年07月04日 | Weblog
「その日本語が毒になる!」吉村達也著より。

すでにファンやご存知の方も多いとは思いますが、吉村氏はミステリー作家でした。(総著作数はもう200作品にもなるというが私は読んだことはなかった。)小説家という職業柄、言葉には敏感なのだろう。この一冊には日本語の弱点について述べられていた。

で、タイトルのフレーズになるが、実際かなり筆無精の人でもケータイではかなり頻繁にやり取りをしているはず。またネットでの書き込みを覚えると実に能弁になったりしているものだ。ところが、そんな人もハガキや手紙を書くことが好きというわけでもない。

キーボードを打つという行為はやや話すことと似ているが、喋るよりもむしろ声を発しないだけ楽にさえ思える。いま書いているこの日記も同様で、込み入った漢字も一瞬で変換してくれるから、ペンを持つより時間はかからない。

もし、実際に紙に書こうとすればもっとじっくり考えなければ書けないだろう。ということで、キーボードはほぼ感情のまま表現できる。むしろ言いっぱなしのことが多いかもしれない。気をつけねばな。

とにかく、どんなことがあっても「Fine」・・・

2008年07月03日 | Weblog
「私塾のすすめ」齋藤孝・梅田望夫著より。

梅田氏の経験から、「How are you?」ときたら、必ず「Fine」になるという。どうしてなんだろう?日本的感覚なら、「調子、どう?」なんて聞かれることもしばしばだか、そんなときは「イマイチ」だとか「う~む、あまりぱっとしない」などと答えてしまいそうだ。

齋藤氏も、大学生のときマンツーマンで英会話を習っていたが、そのとき先生に「How are you?」ときかれた時、「昨日空手でここを痛めた・・・」というようなことを言ったら「Fine」でなければならないと言われたそうだ。

その2つはペアになった言葉のようだ。もし、「Fine」でなければ、人はやってこないし、チャンスは無くなってしまうらしい。ある意味厳しい。つねに体調をよくして、テンションをあげておかねばならないからだ。

日本だったら、躊躇したり「まあまあ」や「まあなんとか」となることも多そうだが、それではアメリカでは通用しないようだ。常にポジティブでないと仕事の機会は失われてしまうということらしい。

イエスとノーの中間はないようだな。だからどんなことがあっても「Fine」か・・・。(関係ないでしょうが、最近スカッとした青空も見ませんがね~)