正林寺御住職指導(H26.12月 第131号)
三大秘法とは、「本門の本尊」「本門の戒壇」「本門の題目」のことをいいます。宗祖日蓮大聖人が説き顕された独自の教法であり、本宗宗旨の根本となります。ゆえに大聖人は『法華取要抄』に、
「秘法何物ぞや。答へて曰く、本門の本尊と戒壇と題目の五字となり。」(御書736)
と仰せであります。
日寛上人は『観心本尊抄文段』に、
「弘安二年の本門戒壇の御本尊は、究竟の中の究竟、本懐の中の本懐なり。既に是れ三大秘法の随一なり、況んや一閻浮提総体の本尊なる故なり」(御書文段197)
と御教示のように、本門戒壇の大御本尊が三大秘法随一の究極の御法体であり、一閻浮提総与の大御本尊であります。
また日寛上人は『依義判文抄』に、
「三大秘法を合すれば則ち但一大秘法の本門の本尊と成るなり。故に本門戒壇の本尊を亦は三大秘法総在の本尊と名づくるなり」(六巻抄82)
と一大秘法である「本門戒壇の大御本尊」が三大秘法総在の御本尊であることを御指南であります。この一大秘法は全世界に「本門戒壇の大御本尊」しか存在しません。
故に「本門戒壇の大御本尊」の建立がなければ、大聖人の三大秘法の御化導は成就されず、末法濁悪の一切衆生は仏道を成就することができません。大聖人の出世の本懐は三大秘法総在の「本門戒壇の大御本尊」の建立にあります。
日興上人が『日興跡条々事』に、
「日興が身に宛て給はる所の弘安二年の大御本尊」(御書1883)
と記される「弘安二年の大御本尊」こそ、大聖人から日興上人が身に宛て給わった究竟の御本尊が本門戒壇の大御本尊であります。
御歴代上人の書写された御本尊には、「奉書写之」と認められております。本門戒壇の大御本尊の御内証を、代々の御法主上人が唯授一人金口の血脈をもって書写されたことを示しています。
現在、本門戒壇の大御本尊は総本山大石寺の奉安堂に厳護されております。
大聖人は『三大秘法抄』に、
「霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべき者か」(御書1595)
と仰せであり、また『日蓮一期弘法付嘱書』に、
「富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり」(御書1675)
と御遺命のように、広宣流布の暁には大聖人の御遺命である本門寺の戒壇建立の実現があります。この御遺命を心に刻み、時の御法主上人猊下の御命題を着実に成就させていくところ、未来に一天四海広宣流布の実現があります。
また日寛上人は『文底秘沈抄』に、
「三大秘法随一の本門戒壇の本尊は今富士の山下に在り」(六巻抄64)
と御指南であり、さらに、
「富士山は是れ広宣流布の根源なるが故に。根源とは何ぞ、謂わく、本門戒壇の本尊是れなり」(六巻抄68)
と富士大石寺に安置される本門戒壇の大御本尊は広宣流布の根源である事を御教示であります。
大聖人の出世の本懐である本門戒壇の大御本尊を拝する御開扉は、御法主上人猊下の御許可のもと日蓮正宗の僧俗だけが内拝を許されます。大聖人は『阿仏房御書』に、
「信心強盛の者に非ずんば見する事なかれ。出世の本懐とはこれなり」(御書793)
と大聖人からの御指南を堅持するため日蓮正宗以外の方は拝する事が許されていません。
以上の伝統を護持しながら全世界への広宣流布が現実と成るまで、日蓮正宗の僧俗が根本と拝していく御本尊が「本門戒壇の大御本尊」であります。
なお補足として、『日興跡条々事』の偽作説が、まことしやかにささやかれている現実があり、信じている方がいます。偽作説を主張する方には、第五十九世日亨上人の『富士宗学要集』に収録の『富士史料類聚』「第二僧俗譲状置文及び官憲文書等」(富要8巻17~18頁)を確認頂き、さらに高橋粛道御尊師の著書『日蓮正宗史の研究』の「日興跡条々事」(278~291頁)を一読され、偽作説を改められることを望みます。