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次は, 「太陽神殿の北の石板」(Temple of the Sun North Tablet、
マヤ文明・692年、パレンケ・太陽神殿出土、石灰岩、123×90cm)。
この石板は、太陽神殿の祠で北側前壁にあったもの。欠け落ちた破
片碑文と合わせると、" パレンケ王であるキニチ・カン・バフラムの神
である○□△ "と読まれ、欠損部には神殿に祀られていた神3の名が
あったと推測される。
中央に描かれた槍を持った戦士は、ジャガーの毛皮草履を履き、胸
飾や腰飾りを付けており、キニチ・カン・バフラムであろう。特に胸に
掛けたペンダントはテオティワカンの嵐の神で、後にアステカ人にト
ラクロと呼ばれた神を表している。
このような壮麗な装いは、戦争時のものではなく儀礼用であろう。ト
ニナへの勝利を祝う祭礼によるスタイルと考えられる。
トーハク(台東区上野公園1-3-9)
マヤ文明・692年、パレンケ・太陽神殿出土、石灰岩、123×90cm)。
この石板は、太陽神殿の祠で北側前壁にあったもの。欠け落ちた破
片碑文と合わせると、" パレンケ王であるキニチ・カン・バフラムの神
である○□△ "と読まれ、欠損部には神殿に祀られていた神3の名が
あったと推測される。
中央に描かれた槍を持った戦士は、ジャガーの毛皮草履を履き、胸
飾や腰飾りを付けており、キニチ・カン・バフラムであろう。特に胸に
掛けたペンダントはテオティワカンの嵐の神で、後にアステカ人にト
ラクロと呼ばれた神を表している。
このような壮麗な装いは、戦争時のものではなく儀礼用であろう。ト
ニナへの勝利を祝う祭礼によるスタイルと考えられる。
トーハク(台東区上野公園1-3-9)