続いて、「書状 今内様宛」(江戸時代、本阿弥光悦筆、紙本墨書、17
/101.9cm、一巻、京都・光悦寺所蔵)。宛名は、加賀藩重臣の今枝内記
重直で、光悦は父光二の代から藩主前田家や加賀藩士たちと交流があ
り、特に今枝重直とは能を通じて密に交誼していた。
複数の光悦書状の中で本品もその一つ、慶長12年(1607)、光悦50
歳の暮れに書かれたと推測される。
その内容は、観世左近の演能の評判や藩内での能の流行、刀剣や屏
風の制作状況など多岐にわたっている。特に注目なのが、中納言様こ
と前田利長から所望されて「剣尽」を書いたということで、光悦が刀
剣目利きとして高く評価されていたことがわかる。
また、仲介者が古田織部と金森可重だったため断れず、浮世に長く
いるような憂目をみると嘆いており、光悦の心情がうかがえる。
TNM(台東区上野公園13-9)
/101.9cm、一巻、京都・光悦寺所蔵)。宛名は、加賀藩重臣の今枝内記
重直で、光悦は父光二の代から藩主前田家や加賀藩士たちと交流があ
り、特に今枝重直とは能を通じて密に交誼していた。
複数の光悦書状の中で本品もその一つ、慶長12年(1607)、光悦50
歳の暮れに書かれたと推測される。
その内容は、観世左近の演能の評判や藩内での能の流行、刀剣や屏
風の制作状況など多岐にわたっている。特に注目なのが、中納言様こ
と前田利長から所望されて「剣尽」を書いたということで、光悦が刀
剣目利きとして高く評価されていたことがわかる。
また、仲介者が古田織部と金森可重だったため断れず、浮世に長く
いるような憂目をみると嘆いており、光悦の心情がうかがえる。
TNM(台東区上野公園13-9)