続いては、「書状 正月廿日付」(江戸時代、本阿弥光悦筆、紙本墨書、
33.4/36.2cm、一幅)。宛先は不明ながら、光悦が預かったとみられ
る刀剣の鑑定に関する書だ。
その内容は、“昨日のお刀をみなに見せましたが、三郎兵衛が留守の
ためなんとも決めかねます。いかにも古い刀のようですが、お急ぎの
ようなので一先ずお返しします。三郎兵衛に見せて、明日改めて相談
したいので、また持ってきてください”と伝えている。
この三郎兵衛は、本阿弥家の宗家当主の通称である。日付に年代は
ないが、字姿から元和年間(1615〜24)のものとみられ、宗家九代光
徳は元和元年に隠居し4年後に没している。そのため宗家十代光室で
ある可能性が高い。
光悦が刀剣について記した数少ない書状で、宗家当主を中心にした
一族の合議によって刀剣を審議・判定していた鑑定内容がうかがえる。
TNM(台東区上野公園13-9)
33.4/36.2cm、一幅)。宛先は不明ながら、光悦が預かったとみられ
る刀剣の鑑定に関する書だ。
その内容は、“昨日のお刀をみなに見せましたが、三郎兵衛が留守の
ためなんとも決めかねます。いかにも古い刀のようですが、お急ぎの
ようなので一先ずお返しします。三郎兵衛に見せて、明日改めて相談
したいので、また持ってきてください”と伝えている。
この三郎兵衛は、本阿弥家の宗家当主の通称である。日付に年代は
ないが、字姿から元和年間(1615〜24)のものとみられ、宗家九代光
徳は元和元年に隠居し4年後に没している。そのため宗家十代光室で
ある可能性が高い。
光悦が刀剣について記した数少ない書状で、宗家当主を中心にした
一族の合議によって刀剣を審議・判定していた鑑定内容がうかがえる。
TNM(台東区上野公園13-9)