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次の古書は、公家・坊城俊克の日記「俊克卿日記草」で、天保11年
(1840)、同12年、弘化2年(1845)、嘉永元年(1848)、安政3年(1856)
から同5年までの記録。
俊克は安政5年に議奏、安政6年から元治元年(1864)まで武家伝奏
を務め、日米修好通商条約問題や将軍継嗣問題、和宮降家一件などに
関与し、朝廷と幕府の間の交渉を担っている。全12冊。
安政5年9月3日、孝明天皇が “彗星出現” や “異病流行” (コレラ)、
“蛮夷参” (欧米列強の接近)のため、七社七寺へ祈祷を命じる。議奏の
徳大寺公純に意向が伝えられ、蔵人へ伝達される。
七社とは伊勢神宮、石清水八幡、賀茂下上社、松尾社、平野社、伏
見稲荷大社、春日社を指し、七寺とは延暦寺、園城寺、東大寺、興福
寺、仁和寺、広隆寺、東寺を指す。
NAJ (千代田区北の丸公園3-2)
(1840)、同12年、弘化2年(1845)、嘉永元年(1848)、安政3年(1856)
から同5年までの記録。
俊克は安政5年に議奏、安政6年から元治元年(1864)まで武家伝奏
を務め、日米修好通商条約問題や将軍継嗣問題、和宮降家一件などに
関与し、朝廷と幕府の間の交渉を担っている。全12冊。
安政5年9月3日、孝明天皇が “彗星出現” や “異病流行” (コレラ)、
“蛮夷参” (欧米列強の接近)のため、七社七寺へ祈祷を命じる。議奏の
徳大寺公純に意向が伝えられ、蔵人へ伝達される。
七社とは伊勢神宮、石清水八幡、賀茂下上社、松尾社、平野社、伏
見稲荷大社、春日社を指し、七寺とは延暦寺、園城寺、東大寺、興福
寺、仁和寺、広隆寺、東寺を指す。
NAJ (千代田区北の丸公園3-2)