今日は、YHさんのお話をします。
彼女と最初に会ったのは、私の叔母が病院に入院していた時のことです。
たまたま、彼女のお母さんが同じ病室にいたのをきっかけに、
知り合いとなり、伸一塾に来ることになりました。
彼女は、名門高校に通っていましたが、勉強についていけず、
いわゆる、落ちこぼれ生徒で、「大学は、入れる所ならどこでもいい」
という状態でしたが、妹のHHさんが塾に来ると言い出したのをきっかけに、
一緒に入塾することになったのです。
彼女の希望を聞くと、大学で英語を勉強したいということでした。
受験まで、19ヶ月で挑戦できる大学を検討し、
青山学院大学文学部英米文学科を目指すことになりました。
彼女の家は、塾から一駅だったので、
平日は、夕方5時から10時半まで勉強し、
休日は、朝9時から夜10時半までの猛烈な勉強を開始しました。
2才年下の妹(中学3年生)と英語は同じレベルから勉強を始めたことが、
幸いしました。勉強から逃れようとしても、同じ範囲の勉強をしているため、
怠ける事も、逃げることもできず、妹と必死の競争が始まったのです。
こうして、二人の姉妹の受験勉強が開始されました。
姉のYHさんは、夜に強く、朝に弱い体質でした。
一方、妹のHHさんは、朝に強く、夜に弱い体質でした。
お互いの弱点を二人で協力することにより、見事に乗り越え、
数ヶ月後には、超受験人間に変身していました。
来る日も、来る日も、二人のスクラムとなったチームワークで、
合格から逆算したスケジュールをやりきっていったのです。
19ヶ月が過ぎ去った時、彼女は栄冠を勝ち取っていました。
そうです、青山学院大学文学部英米文学科に合格したのです。
この二年後、妹のHHさんは、横浜国立大学教育人間科学部に合格しました。
まさに、姉妹の力で合格を勝ち取ったといえます。
友達であれ、姉妹であれ、ライバルは、とても大切だという証明です。
このブログをご覧になっている皆さんも、良きライバルを作ってください。
「自分なんかもう駄目だ」と思うような瀬戸際のときはだれにもある。
じつは、そのときこそが、自身の新しい可能性を開くチャンスである。
人生の勝利と敗北、幸福と不幸、その分かれ目が、ここにある。
自分という人間を決めるのは、だれか。自分である。
自分という人間をつくるのは、だれか。
これも結局は自分以外にいない。
頑張れ!! 受験生!!
彼女と最初に会ったのは、私の叔母が病院に入院していた時のことです。
たまたま、彼女のお母さんが同じ病室にいたのをきっかけに、
知り合いとなり、伸一塾に来ることになりました。
彼女は、名門高校に通っていましたが、勉強についていけず、
いわゆる、落ちこぼれ生徒で、「大学は、入れる所ならどこでもいい」
という状態でしたが、妹のHHさんが塾に来ると言い出したのをきっかけに、
一緒に入塾することになったのです。
彼女の希望を聞くと、大学で英語を勉強したいということでした。
受験まで、19ヶ月で挑戦できる大学を検討し、
青山学院大学文学部英米文学科を目指すことになりました。
彼女の家は、塾から一駅だったので、
平日は、夕方5時から10時半まで勉強し、
休日は、朝9時から夜10時半までの猛烈な勉強を開始しました。
2才年下の妹(中学3年生)と英語は同じレベルから勉強を始めたことが、
幸いしました。勉強から逃れようとしても、同じ範囲の勉強をしているため、
怠ける事も、逃げることもできず、妹と必死の競争が始まったのです。
こうして、二人の姉妹の受験勉強が開始されました。
姉のYHさんは、夜に強く、朝に弱い体質でした。
一方、妹のHHさんは、朝に強く、夜に弱い体質でした。
お互いの弱点を二人で協力することにより、見事に乗り越え、
数ヶ月後には、超受験人間に変身していました。
来る日も、来る日も、二人のスクラムとなったチームワークで、
合格から逆算したスケジュールをやりきっていったのです。
19ヶ月が過ぎ去った時、彼女は栄冠を勝ち取っていました。
そうです、青山学院大学文学部英米文学科に合格したのです。
この二年後、妹のHHさんは、横浜国立大学教育人間科学部に合格しました。
まさに、姉妹の力で合格を勝ち取ったといえます。
友達であれ、姉妹であれ、ライバルは、とても大切だという証明です。
このブログをご覧になっている皆さんも、良きライバルを作ってください。
「自分なんかもう駄目だ」と思うような瀬戸際のときはだれにもある。
じつは、そのときこそが、自身の新しい可能性を開くチャンスである。
人生の勝利と敗北、幸福と不幸、その分かれ目が、ここにある。
自分という人間を決めるのは、だれか。自分である。
自分という人間をつくるのは、だれか。
これも結局は自分以外にいない。
頑張れ!! 受験生!!