ふぉるもさキッチン(台湾厨房)

台湾あれやこれや、色々なトピックスをご紹介したいと思います。(すでに閉店してしまった施設、店舗もあります。悪しからず。)

頭城老街

2012-09-04 22:21:13 | 町を訪ねて
    
 宜蘭縣の頭城老街へ行ってみました!老街は台鐡頭城駅の出口から外へと向かって広がっていました。



 老街は主に和平街に沿って残っていました。そこで北から順に歩いて行くことに。まずは老街には必ずあるお宮を拝見。北門福徳祠です。町の繁栄を願って1863年に建てられたという歴史あるお宮なんですよ。



 福徳宮のすぐ手前には「十三行街屋」があります。木造建築の平屋で、横に長い造りになっています。門には赤い“対聯”という対句を書いた紙が貼り付けてありました。
 その昔、この町が栄えていたとき、13軒の商家がここを倉庫として使っていた建物なんだそうです。



 扉に近づいてそっと中をうかがってみましたが、ここは一般住居になっているらしく、今も民家として人が暮らしていました。



 十三行街屋の向かい側にはこんなスペースがありました。昔の頭城老街を再現した絵が煉瓦の壁に描かれていて、なんともノスタルジックな味を出しています。



 昔懐かしいポンプ式の井戸もありました。



 少し南に行くと、立派なお屋敷がありました。ここは宜蘭縣の初代縣長だった廬纘祥さんのお宅です。1928年(昭和3年)に建てられた閩南式建築の邸宅なのだそうです。



 和平街を挟んで廬さんのお宅の向かい側には、大きな池があります。池の中に緑の草の生えた浮島みたいな物が二つありますが、これはかつてここに東屋があったということです。今はもうその東屋は壊れてしまってありませんが、柱の根元だけが残っています。
 ところで昔はこの池が海につながっていました。青雲路から向こうはかつて海だったのです。海から船がこの池に入ってきて荷揚げなどをしていたそうです。


    
 更に南に向かって歩きましょう。道にもちゃんと「頭城老街」の文字が書かれています。


    
 和平街と民鋒路の角にこんなおうちを発見。白い壁にアーチ型の煉瓦造りが埋め込まれています。おそらく昔はこのアーチ型の所は通路になっていたのでしょう。うちの中の敷地を広げるために通路を壊してしまったのでないかと思われます。


    
 この老街ではデッサン画や以前使われていたのであろう表札などをディスプレイされていて、なかなかサービス精神旺盛だなと思いました。



 こちらは慶元宮というお寺の向かい側に広がっているスペースです。静かで広々としたところですが、その昔殺人事件が起きた場所なのだそうです。記憶がぼけてしまって恐縮ですが、確か二二八事件関連じゃなかったかと思います。



 更に和平街を南に行くと、こんなに味のある赤煉瓦の建物に出会います!



 ほら!かなり年季の入った建物ですよね。ここ、昔は大きな商家だったようです。



 バロック風の建築で、通路の上部がアーチ型になっているのもまたいいですね。ここにはもう誰も住んでいない様子でした。



 赤煉瓦が黒ずんでしまった部分もあったり煉瓦と煉瓦の隙間から草が生えていたり、年月を感じます。



 屋根の彫刻の美しさも、まだちゃんと残っています。


    
 和平街の南の突き当たりには南門福徳宮がありました。北側の福徳宮と対になっているんですね。こちらも北側の宮と同様1863年に建てられたものだそうです。南北のお宮がこれから先もずっと頭城老街を守っていくのでしょう。



 南門福徳宮の隣には、これまた赤煉瓦造りのスペースがありました。老街の地図も描いてあります。



 おっと、地図だけではなく、頭城老街についての簡単な説明もあります。北から下って来るよりも、先にこの地図と説明をよく見てから北へ進んでいった方がよかったかも・・・



 カメさんの石像も置いてありました。なんだかおめでたいのですが、子供はついついカメさんにのっかっちゃいますね。



 ところで、開蘭路から開蘭舊路に分かれていく道沿いに頭城鎮史館があります。



 建物の前には古井戸の跡も残っていました。




 ここにはガイドさんがいて、頭城老街の説明が聞けます。中国語以外に英語でも説明してもらえます。建物中に入って見学できますよ~。中が畳敷きの和風スタイルになっていることに驚きました。


    
 板の間の廊下、障子に木の天井と、純和風です。



 実はここ、頭城鎮史館となっていますが、かつて頭城小学校の校長先生の宿舎だったんだそうです。今は頭城に生まれ育った小説家、李栄春氏の文学館となっています。



 李栄春氏は私小説を書いた人で、彼の小説の中には頭城の町のことが詳しく描かれているということです。
 李栄春氏は波乱に富んだ人生を送った作家で、童養嫁(トンヤンシー)(将来そのうちの男の子と結婚させる目的で子供のうちから養女にする女の子のこと)との結婚を嫌い、うちを飛び出し中国へ八年間逃亡生活をした後、ふるさと頭城にもどってきて童養嫁(トンヤンシー)と結婚します。しかしその後まもなく離婚、絶望した童養嫁(トンヤンシー)は自殺してしまいます。
 李栄春氏は自転車修理工でしたが、この仕事はあまり得手でなかったようです。李氏のお兄さんの方は商売上手な商人で、いろいろ工夫して順調な暮らしをしていたようです。
 しかし、李栄春氏の自転車修理があまり上手でなく、私小説を書くことに没頭したていたおかげで、今を生きる私たちは昔の頭城の人々の暮らしを知ることができ、頭城に根付いてきた文化に触れることができるのです。



 頭城鎮史館の前には李栄春文学地図がありますので、これを参考にして頭城老街を歩いてみるのもお勧めします。

頭城老街:台鐡頭城駅を出てまっすぐ行き、三つめの十字路が和平街とクロスしています。和平街を中心に老街が広がっています。

にほんブログ村 海外生活ブログ 台湾情報へ




最新の画像もっと見る

コメントを投稿