
炭鉱とネコの町、猴硐へ行ってみました。ここは近年人気の観光スポットとなっています。

猴硐煤礦博物園区は猴硐の駅前に広がっています。ここはその昔炭鉱で賑わっていた町です。

それからもう一つ、最近では野良ネコさん達が集まるスポットとしても注目されていて、休日ともなると大勢のお客さんでいっぱいになります。

こちらが台鐡猴硐駅の駅前広場。食べ物や飲み物のお店が建ち並び、大賑わい!

ネコのイラストの看板もそこかしこに見られます。

駅前広場の向かいにはインフォメーションセンターがあり、いろいろなイベントを紹介してくれたり、スタンプラリーの抽選などの活動も受け付けていたりしています。

そのお隣には猫村カフェがありました。カフェの中にはネコちゃんたちに関するグッズなんかも売っていますよ。


本物のネコちゃん発見!

バイクにちょこんと乗っている子も!人慣れしているんでしょうか、触られても逃げません。

いるいる!よく見たらあちこちにネコちゃんがいました!

ネコの村へは駅から延びる歩道橋を渡らなければならないので、何はともあれ駅の構内に入ります。駅の中にもネコちゃんグッズを売るお店があり、お客さんで溢れていました。

幸福ポストというネコちゃんが描かれた緑のポストがありました。

歩道橋につながる階段を上がっていくと、「ネコ出没、気をつけて」という看板が・・・あらま、ホント、確かに後ろの植木鉢の陰にネコちゃんが隠れていました。

駅構内の木製テーブルの下にもネコちゃんが!お昼寝中の模様・・・つっついても起きません。

これが猫村につながる歩道橋です。丘の上の集落とのパイプとなっています。

向こう側に渡ってから辺りの景色を見渡すとなかなかいい眺め。かつて大活躍していた炭鉱工場の跡が、すっかり廃れてしまった今も尚黒々と聳え立っています。

ネコ村にはネコちゃんたちがのんびりくつろいでいました。どこにネコちゃんがいるか、探索してみるのも面白いです。

大勢やってくる人間達を上手に避けながら逃げていくネコちゃんもいました。

このネコさんは雌ネコ。もうすぐ赤ちゃんが生まれるのでしょうか、ちょっとしんどそう・・・

民家の外の壁にネコのイラストが描かれていました。

再び駅に戻り、柴寮路を東の方に向かって歩いて行くと、かつての選炭工場が見えます。この建物は1920年にできたときには、台湾でもっとも立派な選炭工場だったそうです。各坑道で採掘された石炭は、当時みんなここで洗浄選別されていたと言います。

道を歩いていてもネコちゃんがあちこちから出てきました。頭が痒いよ~。

柴寮路にあるかつての商店街です。当時は石炭採掘のため、多くの炭鉱夫がここに住んでいました。当時の炭鉱夫達のショッピングスポットだったのでしょうね。

この道沿いにもネコちゃんが思い思いの体勢でくつろいでいました。

植え込みに怪しい人影発見!いえいえ、これは炭鉱夫の人形でした。

商店街を抜けるとディーゼル機関車の倉庫だった建物が見えてきました。

日本語でも説明がありました。

こちらは地質生態館、そしてその奥が炭鉱夫紀念館になっています。

紀念館には当時の炭鉱夫の仕事場が再現されており、炭鉱夫が当時使用していたロッカーなどが設置されています。ロッカーは木製で、白墨で炭鉱夫のニックネームが書かれていました。

選炭工場から川の向こう岸へ橋が架かっていますが、これは運炭橋といって、採掘した石炭をトロッコで工場へ運ぶ線路となっていました。当時は軽便鉄道と炭鉱と駅とを結んでいたとのことです。

今ではこのトロッコも使われなくなり、今では観光客の写真撮影ポイントとなっています。

橋の上から見ると、選炭工場はすっかり崩れてしまっているのがわかります。

復興坑という町で最も早く開かれた炭鉱跡にも行ってみました。民國79年(1990年)に閉山されたそうです。今ではこの坑道の中を通るトロッコもなく、ひっそりとしていました。

日本統治時代には多くの日本人がこの猴硐にも住んでいたそうです。日本人が建立した猴硐神社の跡もここには残っていました。ほら、石でできた鳥居は今も健在です。この神社には天照大神を祀っていたそうです。

猴硐路から神社へと続く階段は「百階段」という名前がついています。本当に百段あるのか数えてみましたが、それ以上ありましたので数字はいい加減なのねと思いましたが。

階段の下には「介壽橋紀念碑」が建っていました。基隆河にかかる介壽橋が造られた記念でしょう。

猴硐煤礦博物園区:鉄道台鐡の猴硐駅を下車してすぐ
