明日がある社長ブログ(モール前不動産)

2006年9月からブログを書き始めて17年が経過しました。<不動産のこと、趣味のことなど話題が盛りだくさん>

零戦から見た

2014年12月07日 | おどろきの出来事
1991年湾岸戦争が連日、テレビ放送された。
多国籍軍の猛烈なイラク空爆の映像を見て「面白い」と受け止めた
日本人がいた。日本はまた戦争を起こすのではないか、と不安になっ
た原田要さん(98)。8000時間に及ぶ零戦の操縦席から見た戦
争の罪悪、それを伝えることがせめてもの償いと思った。

1941年12月8日、日本海軍が米ハワイ真珠湾を奇襲して、日本
は3年9ヶ月に及ぶ太平洋戦争に突入した。
零戦は機首の7.7ミリ機銃に威力はないが、両翼に1門ずつある
20ミリ機銃は最強だった。弾は1門60発だけ。時速500キロ以
上で飛ぶ敵機に命中させるには相手を追いつめ、至近距離で撃つ必要
がある。5m~10mにも迫る。敵機操縦士の目と目が合い「やめて
くれ」「助けてくれ」と訴える様子の相手にとどめを刺すと火だるま
になって落ちていく。殺さなければ殺される。それが戦争だ。
でも相手の恨めしげな表情は今になっても消えない。

1942年6月5日のミッドウェー海戦は負け戦の始まりだった。
戻ってきた駆逐艦に救助されると至る所に、負傷兵と遺体の地獄絵だ
った。「苦しむ兵隊を先に見て下さい」「君、ここは戦争最前線。軽傷
者が先、弾の撃てない銃はいらない。重傷者は最後だ」。

内地に帰って4ヶ月、今度はガダルカナル島奪還作戦。妻と最後の別
れをするため東京・上野で待ち合わせた。長野から長男を背負って駆
けつけた妻は「あんたが死んだら私は自決します」と言った。

私は敵機に背後を取られ、左腕を打ち抜かれて密林に墜落した。
海軍の参謀がやってきて「特攻隊として突っ込んでくれなければ日本
は敗れる」。「ここまで言われれば、俺は死ぬ」と言い残し、戦友の
佐藤さんは台湾沖で特攻隊として戦死した。・・・・


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