国会議員の園田氏は、30年近い議員生活で政党を渡り歩いた。
自民党を行ったり来たりしながら、新党さきがけ、たちあがれ日本、
太陽の党、日本維新の会、次世代の党の経験をした。自民党のベテラ
ンからは「政界の渡り鳥だ。よく当選できるものだ」と冷ややかな
声も出ている。自民党には、政界再編という命題があると思い2回自
民党を出た。1回目は成功しかかったが、2回目は大失敗だった。
・
政治と金の問題などで自民党の信頼が失墜した1993年、最初の離
党に踏み切った。当時は「健全な保守が二つに分かれて争わないと
政治はよくならない」と考え、新党さきがけに参画し非自民の細川政
権樹立にかかわった。だが6年後、さきがけがじり貧になると、自民
党への復党を希望した。復党後は高い調整力で党内から一目置かれる
存在とななった。小泉政権では、郵政民営化法案の取りまとめ役に携
わり、福田政権では谷垣政調会長を政調会長代理として支えた。
・
ところが2009年に自民党が野党に転落すると、再び「悪い虫」が
うずいた。「自民党内で改革を実現するのは難しい」と言って、総裁
になった谷垣氏に後ろ足で砂をかけ、自民党を離党した。
谷垣氏は「総裁時代、最もつらかった出来事は、信頼していた園田に
裏切られたことだった」と周辺に語った。
・
その後園田氏は迷走する。「大事な5年半を、何と見当はずれなこと
をしてしまったのだろう」、失意の中、自民党に再び戻ることを許し
たのは、安部政権で幹事長になった谷垣氏だった。「2度も党を出て
いる札付きを、よく迎えてくれた」と谷垣氏に感謝した。
信頼が大きいほど、裏切られた時のつらさはそれ以上に大きい。
谷垣氏の園田氏を許した心の寛容さは素晴らしい。
H27年モール前不動産 http://www.geocities.jp/sennenhome/
H27年スタッフブログ http://nanappemame.blog108.fc2.com/
自民党を行ったり来たりしながら、新党さきがけ、たちあがれ日本、
太陽の党、日本維新の会、次世代の党の経験をした。自民党のベテラ
ンからは「政界の渡り鳥だ。よく当選できるものだ」と冷ややかな
声も出ている。自民党には、政界再編という命題があると思い2回自
民党を出た。1回目は成功しかかったが、2回目は大失敗だった。
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政治と金の問題などで自民党の信頼が失墜した1993年、最初の離
党に踏み切った。当時は「健全な保守が二つに分かれて争わないと
政治はよくならない」と考え、新党さきがけに参画し非自民の細川政
権樹立にかかわった。だが6年後、さきがけがじり貧になると、自民
党への復党を希望した。復党後は高い調整力で党内から一目置かれる
存在とななった。小泉政権では、郵政民営化法案の取りまとめ役に携
わり、福田政権では谷垣政調会長を政調会長代理として支えた。
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ところが2009年に自民党が野党に転落すると、再び「悪い虫」が
うずいた。「自民党内で改革を実現するのは難しい」と言って、総裁
になった谷垣氏に後ろ足で砂をかけ、自民党を離党した。
谷垣氏は「総裁時代、最もつらかった出来事は、信頼していた園田に
裏切られたことだった」と周辺に語った。
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その後園田氏は迷走する。「大事な5年半を、何と見当はずれなこと
をしてしまったのだろう」、失意の中、自民党に再び戻ることを許し
たのは、安部政権で幹事長になった谷垣氏だった。「2度も党を出て
いる札付きを、よく迎えてくれた」と谷垣氏に感謝した。
信頼が大きいほど、裏切られた時のつらさはそれ以上に大きい。
谷垣氏の園田氏を許した心の寛容さは素晴らしい。
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