ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート 渡辺将人著 「アメリカ政治の壁」 岩波新書 2016

2018年07月20日 | 書評
利益の民主政と理念の民主政のジレンマに、アメリカのリベラルに答えはあるのか 第5回

序(その5)

③ 渡辺靖著 「アメリカン・デモクラシーの逆説」(岩波新書 2010年)

アメリカにおいてはこれまで共和党と民主党の政権交代は何回もあったが、左右の政策の軌道修正に過ぎず、相手の否定には及ばない。すなわち共和党と民主党の価値観は基本的に同じである。アメリカは1776年の建国以来連邦政府の独裁を防止する様々な仕掛けを憲法草案に盛り込んだ。1861年に始まる南北戦争では北部の商工業と南部の農業勢力が対立したが、保護貿易や国立銀行をもとめる北軍が勝利した。南北戦争後は北部主導の国家的統一が進み、アメリカは近代国家として急成長した。ところが共和党の自由放任主義は1929年の金融恐慌を招いて、社会的弱者救済と公正で自由な社会への軌道修正を図るルーズベルト大統領の「ニューディール政策」が取って代った。リベラリズムとは第2次世界大戦後の福祉国家(修正資本主義)や1960年代の公民権運動を下支えした民主党を担い手とした政治思潮である。アメリカでは「保守主義」も「リベラリズム」も自由主義を前提としており、もともとイデオロギーの幅は狭い。保守主義は自由主義右派に過ぎず、リベラリズムは自由主義左派といえる。1980年代のレーガンニズムの「保守大連合」とは、①強いアメリカを目指すネオコン、新保守主義、②小さな政府をめざすネオリベラリズム、新自由主義、③伝統的価値を重んじる宗教右派、④穏健保守の寄り合い世帯であった。最大公約数はセルフガバナンス(自己統治)という考え方である。 アメリカの繁栄を支えた様々な思想はどこまで普遍性があるのだろうかという事を検証するのが本章の目的である。アメリカの国内の多様性を脅かす原理主義と市場主義はグローバル化に乗って国外にも投影されてきた。「文化戦争」、「人権外交」、「反イスラム文明との闘い」などである。保守派の原理主義のみならずリベラル派の「多文化主義」にも一定の検討が必要である。公共的な道徳観にどこまで普遍性を持ちうるかということである。アメリカだけは例外であると云う「アメリカニズム」は抜き難い基盤をなしてきた。アメリカは建国以来、自由、平等、人権、法の支配という啓蒙思想に基づく普遍性の高い理念に根ざしていることが特徴である。その根底には強烈な自意識がある事は疑いない。トクヴィルの「アメリカのデモクラシー」は1930年代はファッシズム批判として、1950年代はマッカーシズム批判として、今やネオコン批判としてトクヴィルをみる人も多い。アメリカが世界で自らが掲げる理念に叛く行動を展開してきたという批判は、アメリカ例外主義やアメリカニズムは正義と普遍性を装った偽善や過信に矮小化され、説得力を失ったという。中南米での独裁政権転覆工作は冷戦期の「自由の帝国」の逆説であった。ミードはアメリカの外交政策には4つの特徴があるという。① 国益と通商の実利を巧みに追求するハミルトン主義 ② 国益追及には威嚇的手段も辞さないジャクソン主義 ③ 普遍的理想で世界を先導しようとするウイルソン主義 ④ 世界の範たることを目指すジェファーソン主義 いずれにせよ神学者ニーバーが懸念するように「長所も頼りにしすぎると 、皮肉なことに短所に変わる傾向がある」という逆説(陥穽)にはまるのである。アメリカ人は思想的に多岐にわたり、かつ先進的である。反米主義もアメリカ内のひとつの原理主義かもしれない。反米で思考停止しているとアメリカ人に笑われるほど、アメリカ人は既にその先を議論しているのである。アメリカが海外から借金をして消費を続け、世界経済を成長させる役割、いわゆる「世界の最終消費市場」としての役割が維持困難となったときこそ、世界経済の破綻である。そのときには中国も日本もあったものではない。アメリカは世界130カ国に700以上の基地を持つ世界警察国家である。

(つづく)