ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート 権左武志著 「ヘーゲルとその時代」 岩波新書

2014年12月13日 | 書評
フランス革命とドイツ統一を前にしたドイツ観念論の完成者 第1回

序(1)
 ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル(1770年8月 - 1831年11月)は、ドイツの哲学者である。フィヒテ、シェリングと並んで、ドイツ観念論を代表する思想家である。優れた論理性から現代の哲学研究も含め、後世にも多大な影響を与えた。ドイツ観念論哲学の完成者であり、近代哲学と現代哲学の分水嶺として位置づけられることも多い。なお、同時代人にナポレオン、作家ゲーテ、シラー、詩人ヘルダーリン、音楽家ベートーヴェン、画家のカスパー・ダーヴィト・フリードリヒがいる。ヘーゲル死後、一時期ドイツの大学の哲学教授のポストはヘーゲルの弟子(ヘーゲル学派)で占められた。1830年代から1840年代にはヘーゲル学派の中でもヘーゲル左派が興隆したが、ヘーゲル左派の思想はマルクスらによって批判的に受け継がれ、次第に勢いが衰えていった。ヘーゲルの影響を受け、ヘーゲル哲学を批判的に継承・発展させた人物としては、セーレン・キェルケゴール、カール・マルクスなどがいる。ヘーゲルの主著の1つである『精神現象学』(1807年)は、元の表題を「学の体系 」といい、主観的精神(「意識」「自己意識」「理性」)から絶対知を説き、「精神」「宗教」も含む。他の著作に『大論理学』(1812年ー1816年)、『エンチクロペディー』(1817年、1827年、1830年)、『法哲学綱要』(1821年)などがある。なお、『歴史哲学』『美学』『宗教哲学』などはヘーゲルの死後、弟子たち(つまりヘーゲル学派)によって彼の講義ノートと聴講生のノートとを中心に編纂されたものである。
ヘーゲルのドイツ内(まだ統一ドイツの概念もなかった時代なのでドイツと言っても語弊があるが)での足跡をたどる。

① シュトゥットガルト  ヴェルテンベルグ公国   1770年生誕ー1788年テゥービンゲン大学神学部に入学ー1793年卒業 (0歳―23歳) 
② ベルン        スイス            1793年ー1796年 家庭教師生活 (23歳―26歳)  1793年草稿「民衆宗教とキリスト教」 1795年草稿「キリスト教の実在性」
③ フランクフルト    ヴェストファーレン王国   1797年ー1800年 家庭教師生活 (26歳―30歳)  1797年「カル親書」翻訳 1798年草稿「愛」 1799年草稿「キリスト教の精神とその運命」 1800年「1800年の体系断片」
④ イェーナ       ザクセン王国        1801年ー1806年 イェーナ大学講師(31歳ー36歳)  1801年「フィヒテとシェリングの哲学体系の差異」 1801年草稿「ドイツ国制論序文」 1802年「信仰と知」 1807年「学の体系1 精神現象学」
⑤ バンベルグ      ヴァイエルン王国 1806年ー1808年 「バンベルグ新聞」編集(36歳―38歳)
⑥ ニュルンベルグ    ヴァイエルン王国     1808年ー1816年 ギムナジウム校長(38歳―46歳)  1812年、1813年、1816年「(大)論理学」
⑦ ハイデルベルグ   バーデン大公国      1816年ー1818年 ハイデルベルグ大学教授(46歳ー48歳) 1817年「エンチクロペディ」
⑧ ベルリン       プロイセン王国      1818年ー1831年 ベルリン大学教授―総長(48歳ー61歳) 1820年「法哲学綱要」

(つづく)