強者・権力の論理に立ち向かうには、「開かれた道理」で闘う 第二回
現代の日本社会で悪とされるものは、「フェミナチ(ジェンダー)女性解放運動」、「反日」、「左翼」、「人権派・リベラル派」、「弱者」などは皆悪とされ非難される。弱者に対しては「あれは弱者ではなく無能力者だ、弱い者に味方することは悪いことだ」とか「人権派・リベラル派」に対しては「民族や国家を弱体化させようとする陰謀に加担している」といった倒錯した論理が権力側から発せられる。こうして強者は善人のふりをして、弱者は悪人とされてゆく。「小さな政府」、「美しい日本」とか強者は勝ち組の論理をふりかざすのである。そんな世の中に抗って意思を貫き闘争とすれば、それは「悪人」がじたばたした「悪あがき」になるのだ。07年参議院選挙で勝った薬害エイズの原告川田龍平氏の父は「悪あがき」が出来ず世間体が悪いといって、離婚して妻(この女性も一期だけだが参議院議員に当選した)と川田龍平氏から去っていった。この世間体が悪いという心情が「悪あがき」を躊躇させ、願望に挑戦する意思を挫いている。その結果「不正義」、「不平等」、「不公正」が温存されるのである。
親鸞が生きた中世鎌倉時代では支配者(荘園・領主)は虫一つ殺さず富を搾取する時代で、殺生は最下層の人間にやらせるのである。そして浄土教の教えでは自分は善人だから極楽へ行けると言っていた。親鸞はこれをひっくり返し収奪する側の犯罪性を指摘したのだ。「悪人正機説」の「悪人なおもて往生す、況や善人おや?」生きてゆくことが悪だとすれば救われるべきは悪人である。「開かれた善」、「開かれた道理」の実現を一番希望しているのは、差別され虐げられた弱者すなわち親鸞が言うところの「悪人」である。
現代の日本社会で悪とされるものは、「フェミナチ(ジェンダー)女性解放運動」、「反日」、「左翼」、「人権派・リベラル派」、「弱者」などは皆悪とされ非難される。弱者に対しては「あれは弱者ではなく無能力者だ、弱い者に味方することは悪いことだ」とか「人権派・リベラル派」に対しては「民族や国家を弱体化させようとする陰謀に加担している」といった倒錯した論理が権力側から発せられる。こうして強者は善人のふりをして、弱者は悪人とされてゆく。「小さな政府」、「美しい日本」とか強者は勝ち組の論理をふりかざすのである。そんな世の中に抗って意思を貫き闘争とすれば、それは「悪人」がじたばたした「悪あがき」になるのだ。07年参議院選挙で勝った薬害エイズの原告川田龍平氏の父は「悪あがき」が出来ず世間体が悪いといって、離婚して妻(この女性も一期だけだが参議院議員に当選した)と川田龍平氏から去っていった。この世間体が悪いという心情が「悪あがき」を躊躇させ、願望に挑戦する意思を挫いている。その結果「不正義」、「不平等」、「不公正」が温存されるのである。
親鸞が生きた中世鎌倉時代では支配者(荘園・領主)は虫一つ殺さず富を搾取する時代で、殺生は最下層の人間にやらせるのである。そして浄土教の教えでは自分は善人だから極楽へ行けると言っていた。親鸞はこれをひっくり返し収奪する側の犯罪性を指摘したのだ。「悪人正機説」の「悪人なおもて往生す、況や善人おや?」生きてゆくことが悪だとすれば救われるべきは悪人である。「開かれた善」、「開かれた道理」の実現を一番希望しているのは、差別され虐げられた弱者すなわち親鸞が言うところの「悪人」である。