とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

あちこち「SYOWA」 289 赤木圭一郎・芦川いづみ/霧笛が俺を呼んでいる

2018-01-25 23:52:29 | 日記
赤木圭一郎の相手役には芦川いづみがいちばんしっくりしていていい感じだと自身今でも信じています。日活映画の看板女優としては浅丘ルリ子や吉永小百合もいるが、ほのかで繊細な女性らしい香りがする芦川いづみは誰にも負けない雰囲気を持った素晴らしい女優だと思います。赤木圭一郎の男らしい存在感に負けずに対等に伍していける稀有な女優ですね。


赤木圭一郎/霧笛が俺を呼んでいる


芦川 いづみ(あしかわ いづみ、1935年10月6日 - )は日本の元女優。本名:伊藤 幸子(旧姓:芦川)。松竹歌劇団時代に付いた愛称は「おムギ」(有馬稲子に顔立ちが似ており、彼女よりもたくましいということから「稲」ではなく「麦」だというシャレからついた愛称)。日活の黄金期を代表する女優として知られる。


来歴

東京市滝野川区田端町(現・北区田端)に生まれる。1952年法政大学潤光女子高校(現・法政大学女子高等学校)を中退し、松竹歌劇団付属松竹音楽舞踊学校に入学する。同期に野添ひとみ、姫ゆり子、山鳩くるみ(小林夕岐子の母とは別人)らがいた。このとき、芸名を「芦川いづみ」とする。1953年、ファッション・ショーに出演中、偶然いあわせた松竹の川島雄三監督に認められ、川島監督の『東京マダムと大阪夫人』に、月丘夢路の妹役でデビューする。その後、1955年、日活に移った川島監督の推薦で松竹歌劇団を退団し日活に入社する。
その後、『幕末太陽傳』などの川島監督の作品をはじめ、様々な役に挑戦し、松竹から移ってきていた北原三枝とともに日活の中心的な存在となった。

また、1956年には、田坂具隆監督の『乳母車』で石原裕次郎と初共演する。裕次郎はこの作品の演技で、新しい魅力を遺憾なく発揮し代表作の一つとしたが、芦川もさわやかな演技で人気を不動のものとした。以降、北原三枝とともに裕次郎の相手役として欠かせない存在となる。若い浅丘ルリ子にその座を譲ってからも日活を代表するトップ女優として活躍した。

一時、葉山良二とのロマンスが噂されたが、1968年に藤竜也と結婚して引退。家庭の人となった。
2007年11月17日、新宿の京王プラザホテルで開催された日活出身の俳優で構成する「俳優倶楽部」とスタッフらで構成する「旧友会」の合同パーティーに、渡哲也・浅丘ルリ子・宍戸錠・川地民夫・沢本忠雄・鈴木清順監督・井上梅次監督・齋藤武市監督・舛田利雄監督らと共に出席。久々に公の場に姿を見せ、話題になった。

2009年には石原裕次郎の二十三回忌、南田洋子の死去に際して、スポーツ新聞にコメントを寄せている。(Wikiより)



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