崖の石段 亜紀子
故郷の家は崖下に建っている。信州と群馬の境、碓氷峠に端を発する碓氷川に沿って形成された河岸段丘の底近くにあり、静かな夜などは川音が聞こえてくる。谷津の地名が示す通り、崖からは絶えず水が湧いていて父はその水を庭に引いて鯉を飼っていた。お城を中心とした安中の旧市街は崖上に広がっており、父の実家、すなわち私の祖父母の家や、伯父の家は父の家のすぐ真上に位置し、上の家(かみのいえ)と呼び慣わしていた。
崖上に父母の灯小さし雁のころ 星眠
上の家と崖下の家を石段が結んでいる。八十段ほど、一段ごとが高く、崖をほぼ垂直に切り開いた急登である。途中二ヶ所の踊り場で僅かばかり斜面を巻いている。父は伯父と二人で崖上の診療所で働いていたのでこの石段を通勤路として毎日上り下りし、それはいよいよ引退するまで続けられた。
崖上る出勤遅しかたつむり 星眠
子供の頃、ランドセルを背負ってこの石段を駆け下り、途中で勢いがつき過ぎて止らなくなったことがある。自分の意志に反して足は段抜かしにすっ飛んで、このままでは転げ落ちると思った瞬間、踊り場に至ってようやく止ることができた。心臓のどきどきは止らなかった。石段の端の雨水を流す細い側溝をするするっと音を立て、凄い早さで蛇が滑るのに出くわしたこともある。この時もしばらく鼓動が止らなかった。
小綬鶏は崖を砦に営巣期 星眠
営巣期鴉声いよいよ愚かなる 星眠
目をみはる雛に夜語り青葉木菟 星眠
崖の木のつぎつぎ伐られ緑の日 星眠
崖に立つ欅の巨人寒夕焼 星眠
崖の木々は大木である。その下草の何処からか、まだきの小綬鶏の声。椋の木は鴉営巣の定位置。青葉木菟も毎年決まった木に飛来する。父が九十一歳という長命を保ったのは、緑豊かなこの崖の石段で鍛えられていたからかもしれない。
先日久方ぶりに帰郷して石段を登った。もはや踊り場での息継ぎなしには登り切れなかった。茂った竹薮、さらに伸びた木々、頂きから眺めた碓氷川と広がる田畑。風景も年を取った。
十月一日、山河集同人の鈴木寿美子先生が亡くなられた。九十七歳。入院された病院のベッドで俳句が次々といくらでもできると仰っていたそうだ。最後の句稿は枕元に書き溜められてあった句の中から、お弟子の梅沢先生が代筆して送ってくださった。ご主人が亡くなられ、ご自身も病を越え、その後の長きをお一人で俳句、書、謡の研鑽を積まれながら常に前を向いて歩まれた。そうして良き仲間、お弟子さんたちに囲まれていらした。
昨日より今日、今日より明日、長生きをしたからここ迄来れたのですと仰ったこともある。その物事を継続して極めようとされる姿勢、頭脳の明晰さ、そしてか細く小さな身体に似合わぬ朗々としたお声。ちょうど九十九歳で没する直前まで小説『森』を書いていた野上弥生子によく似ている。山河集入りされた折にそのことを申し上げた。それから暫くたって届いた葉書に、野上弥生子を引き合いに出されたので大変緊張し、ちょっと俳句が出来なくなってしまって困りましたと書かれてあった。純情な方だった。
寿美子先生が病院に入られる折、ご自身の体力の衰えをこれは摂理ですからと仰ったそうである。目標としてきた人々との別れ。寿美子先生は目標の一人である。喜びも悲しみも、全て摂理であると、今はそう信じる他はない。