秋の声 亜紀子
木下闇より剥れ出る黒揚羽
軒交はす佃の路地の秋の声
烏相撲尻の真白く奉る
目覚ましの朝の鈴ふる四十雀
もの綴る楽しさ知るや鉦叩
秋草や幼な手をふる箱車
蜘蛛の囲の全きひとつ露の庭
それぞれの家路に月のさしわたり
秋の声 亜紀子
木下闇より剥れ出る黒揚羽
軒交はす佃の路地の秋の声
烏相撲尻の真白く奉る
目覚ましの朝の鈴ふる四十雀
もの綴る楽しさ知るや鉦叩
秋草や幼な手をふる箱車
蜘蛛の囲の全きひとつ露の庭
それぞれの家路に月のさしわたり
烏相撲 亜紀子
九月九日、関西同人会に参加。京都上賀茂神社重陽の儀吟行句会である。本殿での祀りごとに続いて、烏相撲と呼ばれる子供の相撲神事が行われる。このお相撲が面白いと聞いて来た。京都駅から地下鉄で市内を北上、北山駅を地上へ上がると府立植物園の北口に出る。入口のゲートから覗く緑はまだ衰えを見せぬようだ。残暑の方も衰え知らず、薄曇りながら今日も暑くなりそう。大方の参加者は既に神社へ直行した様子。私は誠子さんたちとタクシーを拾って移動。道路沿いに新しい洒落た店、家並が並ぶ。それなりにどれも落ち着いている。所々に均されてきれいに畝の付けられた畑が見える。加茂茄子が終り、これから酸茎の植え付けが始まるという。
上賀茂神社(賀茂別雷(かもわけいかづち)神社)は下鴨神社と共に古より賀茂氏の氏神を祀る。喜子先生のホームグラウンドだ。昨年は葵祭に案内していただいた。ユネスコの世界文化遺産に登録され、平安時代そのままの社殿は国宝に指定された由緒正しき神社だが、不思議と何人も拒まぬ解放感がある。古代人賀茂族の大らかさだろうか。樹々の上に空が広がる。境内を流れる楢の小川も常に外界へと通じ、この社の空間を閉じることがない。ここでいにしえに結婚式をあげたお人がいると喜子先生が言えば、下鴨社で式をあげたお人もおりますよとみゆきさん。空間も時も閉塞することなく、京人と結ばれている。あれと見れば、観光客の向うを今日の烏相撲を陪覧する斎王代一行が歩いて行く。古式床しい襲の着物にお雛さんのお顔。その後ろを付いて行く。
相撲の執り行われる細殿の前には日除けのテントが三張り張られ、その内のひとつに近隣の幼稚園の子供達が座っている。外にはさらに人が溢れている。以前はこれほどの観客は集まらなかったそうで、今日の神事をよく知る誠子さんも驚いている。今はパソコンで検索、ポンとボタンをクリックすれば烏相撲の様子がずらずらっと出てくる。私も昨晩そうやって俄か下調べをしてきた。面白いものがあれば簡単に人が集まる御時世。
さて本殿祭がなかなか始まらない。「京の祭は辛気くさい」去年の葵祭を記した阿蓮さんの文章の一節を誰ともなく口にする。祀り事、儀式は大抵じっくりと噛みしめるように進むもの。我々は相撲が始まるまでの間、境内を散策することにする。
風そよぐならの小川の夕ぐれは
みそぎぞ夏のしるしなりける 家隆
楢の小川の水は澄みきって、時おり小魚の群れが過ぎる。オイカワの稚魚じゃないかしら、誠子さんが声をあげる。咲き初めた紅萩と白い仙人草の花影がもつれるように水漬いている。「河野裕子さんは夏越祓の日はいつもあちらに佇んでいらっしゃいましたよ」手帖を手にした一行を歌人と思われたのか、見知らぬ我々に親しく声をかけてくださる人がいる。
誰かの「重陽ですから、高きに登りましょう」のかけ声で境内を抜け、裏手のお稲荷さんのある山を上がる。薄曇りながら京都タワーがくっきりと見え、京都タワーって高いのねと、京に住む人たちが再認識する。京の家並はタワーを筆頭に全てその下に収まる。
お相撲が始まるというので急ぎ戻る。賀茂氏の祖に八咫烏伝説があり、烏相撲とはこれに因むものらしい。神事ではかーかー鳴きながらの烏を模した奉仕者の所作が面白い。東西に別れた力士は皆氏子の子供で、よく日焼けした小学生の男の子たち。取り組みの前にそれぞれの本名が呼ばれると、辛気くさい神事は俄に活気づいた。白い回しに手をかけての本格的な試合もあれば、なんとも可愛らしい取り組みもあり、観客の歓声に沸き返る。土俵を掃くのは烏相撲保存会の人々。我が氏神の祭として、誰も幼い頃から親しみ守ってきたのだろう。つい応援に熱が入っていた私は、どなたかお知り合いが出ていらっしゃるのですかと問われて、いえ観光で参りましたと答えてから、ふいと旅愁のような感慨にとらわれた。私の目は旅人である。
全ての取り組みの後、少年たちは砂の付いている身体のまま、斎王代のお姉さんを真中に記念撮影。あの幼稚園児たちが次代の力士の卵というわけであろう。
橡11月号選後鑑賞 亜紀子
仙翁や昼の灯洩るる辰雄書庫 市村一江
信州軽井沢の地をこよなく愛した堀辰雄は晩年を信濃追分で過ごした。その住居と彼の愛蔵書を納めた書庫が、その他数々の資料と共に軽井沢町立の文学記念館として整えられている。仙翁と呼ばれる花には外来種、和種いくつか思い浮かぶが、ここでは日本固有種のフシグロセンノウ(節黒仙翁)のことと思われる。森下の影に咲くオレンジ色のナデシコだ。軽井沢にある千百メートルほどの小さな山、愛宕山を登ると節黒仙翁のなだれ咲く谷間の斜面があり、ミヤマカラスアゲハがいくつも飛び回っていたことを思い出す。羽打つたび、青緑色の妖しい輝きを放った。掲句、木陰に昼を灯す書庫のほとり、センノウの花に辰雄の親しんだ信州の風情を伝えている。
冬瓜を頒つ布令来る路地住 寳来喜代子
路地住の顔馴染みも若い者は皆巣立って久しく、今は老齢の独り、二人の暮らしが多いのだろう。大きな冬瓜一つ求めて来ても持て余してしまう。これといって味らしい味もせぬ冬瓜であるが、歯触りは優しく、汁、煮物、炒め物とどのようにも使えるから、案外便利な食材である。仲良い何軒かで分けましょうと即連絡が回ってくるのも、長い下町付き合いの良さが偲ばれる。布令という語を上手く使った。
献上の桧皮書きをり小重陽 松本美貴
京都上賀茂神社の重陽の儀の吟行で、松本さんと偶然にお会いした。美貴さんは京都在住であるから、驚きではないのだが、少し前に病を克服された話を伺ったばかりで、たった一人俳句を詠みに来られた気概に感じ入った。小重陽というからには、翌十日もまた神社に通われたということか。一日目では納得のいく句を詠めなかったのかもしれない。神社では平成二七年が第四二回式年遷宮で、桧皮屋根の葺替えを大々的に行うそうだ。掲句の桧皮はそのための奉納であろう。折り目正しく詠みあげて、下の句の小重陽が効いている。
尖閣は潮洗ふのみ星月夜 谷本俊夫
南海の小島尖閣諸島。全天には降るような星、秋の潮が岸壁に寄せ返す音。昨年来、私たちは如何に脆弱な地の上に生きて居るのかを思い知らされた。そうして最も被害を受けた人々の救済は終っていない。小さな島々が突如潮の渦に呑み込まれる幻を見るのはおかしいだろうか。我々は集団というものになった時、救い難い愚かさを呈するのは何故だろう。自戒を込めて、所有という観念の罪深さを考える。
何時よりか厄除生姜買ふならひ 篠崎登美子
生姜は古来生薬として用いられ、これを厄除にするところは各地にあるようだが、掲句は東京都あきる野市二宮神社の秋季例大祭(しょうが祭り)だろうか。神輿が繰り出し、露天も並び、賑やかな祭礼だそうだ。参道で売られる葉付きの厄除生姜を求めて関東一円から人々が集まってくるという。近隣に住む作者もいつの頃からか年に一度の祭りを楽しみにしている。穏やかに詠みあげて、その歳月の長さを振り返る。爽やかな秋の一日が想像される。
みんみんや聞き耳地蔵やや傾ぎ 山本十千
聞き耳地蔵とはどのようなお地蔵様だろうか。悩みを聞いてくださるのか、願いごとを聞いてくださるのか。古いお地蔵様ゆえお体が傾いでいるのかもしれぬ。耳を傾けていらっしゃるかに見えるのだろう。緑の樹下、みんみん蝉の声のなか、小さな地蔵尊の姿がお伽噺の場面のように見えてくる。