橡の木の下で

俳句と共に

「選後鑑賞」令和6年「橡」5月号より

2024-04-30 12:59:47 | 俳句とエッセイ
 選後鑑賞   亜紀子

軒下の凍み餅外し焼く匂ひ  伊藤裕通

 冬の寒さ厳しい地方に冷蔵庫も冷凍庫も、脱酸素剤も無かった昔より伝わる食品保存の知恵。私には信州の凍み豆腐(高野豆腐)が馴染みだ。掲句の凍み餅は福島の郷土食の一つらしい。寒中、軒下に薄く切った餅を吊るし一旦凍らせ、そのまま寒さの中で乾燥させる。最低一と月くらいはかかるようだ。食べる際は水で戻してから加熱。今はネット販売や道の駅等で買うことができるようだが、掲句作者のところでは長年伝統を守っているのだろう。あるいは父母のもとで守られていた頃の思い出とも取れる。軒の紐から外す具体的な動作、鼻をくすぐる焼き餅の匂い、言うに言われぬ懐かしさに包まれる。
 現代はフリーズドライ(瞬間凍結・真空乾燥)、便利でそこそこ食べられるけれど、懐かしい味はしないだろう。

赤信号渡り慣れたる恋の猫  鈴木月

 雌猫を追いかけたのか、ライバル猫を追い出したのか、人間の交通規則など猫の眼中にはない。いくら俊敏な動物でも車には勝てまいからちょっとハラハラしたが、渡り慣れたるで成る程とホッとした。赤信号皆んなで渡れば、、という古いギャグを思い出し、笑ってしまった。

輪の中に恩師を囲み卒業歌  髙橋榮子

 卒業式も滞りなく終わり、校庭に出て各々の写真撮影の時。担任の教師の周りに自然に集まった生徒達が卒業の歌を。多くの学生に慕われた先生。そんな情景を思い浮かべた。袴姿の女学生か、セーラー服と詰襟の生徒たちか。ちょっと郷愁を覚えたが、現代的な光景であるのかもしれない。

被災地の起重機動く春動く  高沢紀美子

 正月、激震に見舞われた能登の状況はなお厳しいようだ。全国から応援に入る自治体職員の宿舎が完成、学校に寝泊まりしている先生たちの個人スペースを確保という記事などには少しホッとさせられる。掲句の春動くに、季節と共に前に動き出した被災地の状況、そしてどうか少しでも早く前進できるようにという願い、全てが込められているように感じた。

夕映の仏間あかるき入彼岸  星照子

 西の夕日の入る仏間。日は永くなり、開かれたお仏壇、古き畳や壁を照らしている。穏やかに暮れていく彼岸の一と日の情緒。

ひな市の店主にこやか異国人 中川幸子

 異国とはどこの国だろうか。明るいお国柄らしい。過疎化進む今、地方都市に暮らす外国人が増えていると聞く。何を売っているのだろう。小さな町の小さな雛の祭に出店している店主に興味津々。地域に溶け込んでいる人のようだ。

捉へたる風と売らるる風車  武藤ふみ江

 前の句の雛市で売られている風車と考えても面白い。この頃はまだ風の上州。売られて手渡される風車がくるくる回る。少し肌寒いが、光は明るく、確かに春は来ている。

山茱萸や声くぐりゆく四十雀 田村美佐江

 林の中でいち早く目を覚ます山茱萸の花。同様に誰よりも早く囀り始める四十雀。早春の喜びの時。

春市を出すぞと海女の心意気 長井恒治

 一月の地震によって輪島の海岸は大きく地盤隆起。専門家と共に海女さんたちが磯の被害調査をしたというニュース。四月は藻場の調査も。安全確認されれば海女さんたちは皆海に潜りたいそうだ。掲句の心意気が尊い。