橡の木の下で

俳句と共に

「令和六年五月の青啄木鳥集の中から」令和6年「橡」5月号より

2024-04-30 13:03:17 | 俳句とエッセイ
 令和六年五月の青啄木鳥集の中から   亜紀子

 昨年令和五年八月号の文章のページで、青啄木鳥集の中から秀句鑑賞に取り上げていない句をピックアップしてみました。毎月、橡に寄せていただく皆さんの作品を読むことがどれほど勉強になるか、刺激になるか、言い尽くせません。
 今月もまた同じ試みをしてみます。

目白二羽友が遺愛の紅椿  岩井治子

 作者と掲句の友とはどのような関係であったのか、本当のところ分かりません。けれど紅椿を愛おしむ人柄、きっと俳句仲間に違いないと、考えを巡らすことなく即座に解しました。そしてかつてその椿について二人で語らったこと、共に学んだ句会の様子、毎月楽しみ励んだ吟行などなど、懐かしい月日をまるで自分ごとのように思い浮かべました。目の前の目白の動きが記憶を活き活きと蘇らせてくれたようです。

こともなく耕人土竜抛りけり 岡本昭子

 黙々と春耕しに励んでいた人がひょいと石ころか何かを放り捨てたと思いきや、何とそれは土竜でした。
土竜は地上で飢えて死んでしまったのかもしれません。句材を探しに近郊を歩いていた作者は淡々としたその様に驚いたのでしょう。しかしこれまた事もなくひょいと一句にまとめた掲句作者に私も驚きました。

春雪を掃く僧二百永平寺  伊與雅峯
 
 福井生まれの作者に永平寺は親しく思い寄せる大寺。雪深い彼の地も季節は巡り、境内のそこここで修行僧たちは黙々と春雪を掃き浄めている朝です。その数二百というのだから、訪れたことのない者にとってもいかに荘厳な寺院であるかが理解されます。昔、永平寺一泊参禅体験をしたことが思い出されました。修行僧の佇まいが清々しく、おそらく皆実年齢よりもずっと若く見えました。清浄な空気の中で良いものを適量食し、体を使い、頭を使い規則正しい日々を送っているからだろうと、一緒に体験した友人と感嘆したものです。ところで掲句は句会の時に出されました。その時作者の夫人もまた同様な景として
百人の僧の足音冬深し
という句を出されました。百と二百では数が違いますが要は大寺院の沢山の修行僧という事でしょう。実際には百と二百の間くらいのお坊さまが勤めているようです。

探梅や鶫に先を越されつつ 岩嵜妥江

 里山の探梅行。鶫はまだ帰らぬのか人に親しく付かず離れず同行。鄙びた辺りの様、ようやく春らしくなってきて気持ちにもゆとりの作者。読者も梅の香りにほっと深呼吸です。

雛の間に桑の枝を持つ蚕神 吉藤淳子

 古くから伝わるお雛様を飾り展示している文化財施設で詠まれた句のようです。かつて養蚕王国だった上州、蚕は御と様を付けて「お蚕さま」と呼ばれました。その蚕の守り神、東北ではおしら様でしょうか。どのようなお姿であったか思い出せないのですが、、桑の枝を持つの描写に想像が膨らみました。華やかなお雛様と並んでいるところ、かえって目を惹かれます。

ショベルカー雪像くづし祭り果つ 岩壽子

 札幌雪まつり、二月初旬に今季も無事開催、閉幕したようです。鎌倉住まいから故郷札幌に戻られた作者。その作者だからこそ目にすることのできる風景です。ショベルカーで崩されていく様に荘厳だった雪像、祭の賑わいを夢の跡のように彷彿。解体も安全第一、そうそうお手軽な作業ではないのでしょう。一度眺めて見たいものです。

 さて青啄木鳥集にはもっと触れたい作品があるのですが誌面尽きましたので、次の機会に。


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