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橡の木の下で

俳句と共に

「遠藤正年先生」平成28年『橡』10月号より

2016-09-26 11:44:37 | 俳句とエッセイ

  遠藤正年先生           亜紀子

 

冠省

御清祥お慶び申し上げます拙稿何卒宜しくお願い申し上げます

                          啓白

                    遠藤正年

 

 ペン書きの一筆が添えられた遠藤先生の山河集句稿を七月十九日に拝受。宛名は毛筆、表に赤いボールペンで(稿在中)の断り書き。父が亡くなってから先生の稿を真っ先にいただいた。爾来ひと月たりとも変わらず、先生その人そのもののように思える文字の句稿を頂戴する。

 父星眠が病とは無関係でずっと元気であった頃、芝庭の手入れをしながら「自分に何かあったような時には遠藤さんに橡を任せたい」ということを私に言った。それから何年も経って、先生の言葉添えで父は私にあとを手伝うかと初めて聞いたのだ。

 遠藤先生が茅舎が好きだということを知り、同好の士と秘かに喜んだ。同時に、茅舎が見せた玄人と月並みのあわいの微妙な味わいを先生の句に見出すのを納得した。その文章にも俳句にも、好きだの嫌いだのあからさまな感情は乗せない先生が「さとうきび畑」のざわわの歌をお好きでないと書かれたものを読んだ。本当の体験とそこから出る言葉、そのことを考える。

淡々と真面目な顔にちょろと出る滑稽。人柄と句境、これは真似ができるものではない。

 八月、来る日も来る日も暑かった。先生の句稿は届かない。

 遠藤先生御逝去

  平成二十八年七月三十一日 (享年九十二歳)

 

遠藤正年作品抄(平成二十二年六月〜平成二十八年九月)

 

獺が祖を祀るにつどふ忌ありけり

雀とぶ土用なかばのあきかぜに

三伏の黒富士あるをみつめけり

食進むをかしさ秋のたしかなる

ひと声をこころみ挙げし小鳥かも

愉しみのかけらつくりて鏡割

引鳥のほりかへしたる朽葉かな

咲きうつりゆく日数あり畑の梅

甘茶仏甘茶煮る香にきて拝む

引かずゐる懶け鶇と過ごしけり

蓑虫の厚着に習ふ朝あり

生り年の榠樝が落ちて踏所なし 

木々はみな木膚を異に春を待つ

赤んちと春鮒子等に呼ばれけり 

いつまでも童女ふたりの花の下

朝焼を穴の小啄木鳥と迎へけり

鮎うるか口上書きを卓にたて

戦熄み帰りし日なり夷講

黒ぼこに何を囲ふや十二月

凧にだく与へて風に乗せにけり

狭山けふ雑木が笑窪つくりけり

風待ちて五月の林虫とばす

蒟蒻の咲ける数馬の先知らず 

居るといふ一役負へり盆の来て

山妻のなつかしみたる柑子かな

玄冬に入る溶岩のしやくれ顔

解れよき雑煮の餅を言祝げる

白樺の雪あかりして古賀まり子

咳をして茅舎の咳を思ひけり

抜け道の筍梅雨をたのしめる

山の池お玉杓子のおほ頭

鳥立ちの雲居渡りに来る日なり

下がりきて熟柿衛門は落ちもせず

裏白の広すぎる葉を嘉すなり

柊を挿すや師のなき柊を

さくら待ちしてゐるわれと誰も見む

酒中花は波郷の好みひとつ咲く

大構へみせし椹の夏に入る

二度となき縁しの秋の人に逢ふ

今年何故淡きか知らず大牡丹

川湯湧く撫子の径別れ合ひ

水無月の晩鐘人をしのばしむ

襖絵の茅と芒の秋が来る

熟れ杏子府中祭のころの味

 

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