選後鑑賞 亜紀子
青鷺の蓑に雨打つ鑑真忌 釘宮多美代
雨の中、鷺が首をすくめ背を丸めて立っている姿はまさしく蓑被た男。青鷺は鷺類の中でも大型で、一人じっと動かぬ様子はことに人間くさい。沈思黙考する鳥。折からつのる雨が飾り羽を伝い雫している。鷺と蓑は連想が働き易いが、鑑真忌はすぐには出てこない。幾度となく挫折しながら荒波を越えて終に渡来した唐の高僧が付かず離れずで繋がる。
瑠璃鳴くや杣のみ渡る丸太橋 金子まち子
渓流沿いの茂みの中でヒッヒと小さな前置きのあと、高く澄んだ囀り。姿は見えなくとも瑠璃鶲の声と知られる。普段はめったに通る人もなく、丸木橋は杣人専用のようである。瑠璃鶲の歌がせせらぎの音にかぶさり、何とも気持ちの良い山中。
旅人のひとり朝湯や朴の花 菅好
山あいの温泉宿だろうか、露天風呂かもしれない。緑の壷中の湯には行人一人。高く掲げられた朴の白い花が朝日を受けている。湯から朴の花へ視線が動いて、初夏の山の清々しさ全体が現れた。
若衆の組みし茅の輪に酒そそぐ 沖崎はる子
地元の青年団であろうか、率先して祭礼を取り仕切る若者が居るのは頼もしい。茅草を輪に括り、茅の輪を立てる。最後に酒をそそぐというのは仕来りをよく見知っている人でないと書けないところ。地域の夏越の祓の風習が活き活きと伝わる。
栗の花失せて十棟家の建つ 太田康子
ついこの間までは栗林であった所。ほまちの栗畑だったのか。いつのまに林が失せて整地されたと見ているうちに、はや分譲住宅に生れ変わっていた。それほど広い畑とも思われなかったのだが、十軒ほどのモダンな建物がぴたりと収まっている。車や自転車など置かれ、既に新しい家族が住まっているようだ。いつも今頃は栗の花が噴き出すように咲いて、その匂いを嗅いだ道であったが。
熱き茶を好みし母の夕端居 吉澤尚子
熱いほうじ茶を好まれた母上。夕永きひととき、縁側の涼風ひとしお。家族や近所の人達と気の置けない談笑。端居とはどこかいつも懐かしさを伴う言葉。
縁側のない住宅が増えて端居の情緒は失われたであろうか。以前、インドネシア人のお母さんが子供の頃の島の暮しを話してくれた。且つてはどの住宅も竹を主材にした開放的な小屋造りで、近隣の女子供が常に寄り合って時間と情報を共有していたそうだ。それが近代西欧的な家に取ってかわり、村人の暮しも変わってしまったそうである。家が先か、人々の意識が先か、変わったのはどちらが早いかは分らないが、その人は昔を懐かしがっていた。
高緯度にあるカナダの夏の夕べはことのほか長い。縁側はないが、どの家も裏庭でバーベキューで過ごすのが定番だった。あれも夕端居の趣きかもしれぬ。夏の夕べの楽しみは本来万国共通ということか。
荒荒し嘴交しをる恋鴉 端径子
鳥の恋を「荒々し」と先ず規定する。生き物の生きるための営みはなべて荒々しい。恋と言えばロマンティックに聞えるけれど、果たして鳥たちにロマンティクな恋心があるかしら。皆必死である。何にせよ必死になれることは幸せだ。などという注釈は自然を忘れた人間の脳天気な奢りかもしれない。