橡の木の下で

俳句と共に

選後鑑賞平成25年『橡』10月号より

2013-09-27 08:25:00 | 俳句とエッセイ

選後鑑賞    亜紀子

 

短夜の科の花散る八甲田山  渡辺宣子

 

 科の木は大木になる。幹を見てすぐに科の木と分らなくとも、散る花からそれと知られるのかもしれない。六、七月頃淡黄色の小さな花をつける。良い匂いがする。旅の一夜、まだきにこぼれる科の花を作者はどこで見ているのだろうか。宿の窓辺であろうか、あるいは寝ねがてに早朝散策を試みたのであろうか。科の木の名は長野の古名「しなの」の由来とも言われるが、

ここでは八甲田山の手つかずの山の自然の佇まいを想像させてくれる。また、八甲田山と聞けば明治三五年の雪中行軍遭難事件を思うのは、花散るの語が無意識のうちに響き合っているゆえだろうか。

 

黄金田に雀も居らぬ汚染村  根本ゆきを

 

 二〇一一年の東日本大震災で引き起こされた福島第一原子力発電所の事故。近々は汚染水処理の問題が連日報道されている。福島県のホームページを見ると、先ずは震災関連の情報が全頁を占めている。近年全国的に雀の数が減ったという話は聞くが、美しい稔り田に雀が来ぬ事態とはいったいどういうことなのか。震災前のごく普通の市民生活を取り戻すには何をどうしたら良いのか。掲句の作者は現況を憂いつつも、なお一層深く故郷の自然を愛おしみ詠み続けている。

 

夕暮れの甲斐路に白し仙人草 吉川フミ子

 

 仙人草はキンポウゲ科の蔓性植物。蔓はよく繁茂し、秋口にたくさんの白い花をつける。花弁のようにみえる十字は実は萼片なのだそう。山道にこぼれんばかりに咲いている。日暮れの早くなったのが感じられる頃、夕暮れには特別の趣がある。掲句、「夕暮れ、甲斐路、仙人草」の語感が揃い、居ながらにして秋初めの山路の情緒を味わう。

 

粟島に臨時交番夏来る    小鈴三穂子

 

 新潟県岩船郡粟島浦村に属し、県北部の日本海にある粟島。縄文時代からの人の居住址があるそうだが、現人口は五百名足らず。住人同士支え合い、警察のお世話にはならぬ暮らしとのこと。釣、バードウオッチング、サイクリングや海水浴、観光本番の夏の間だけ臨時に交番が開設されるとのこと。まさしくその事実のみを述べている掲句に、思わずこの島へと誘われる心地。

 

朝市のむかし吾が座よ鮑買ふ 沖崎はる子

 

 作者はかつてご主人の操る舟で海女漁をされていたと伺っている。ご主人青波さんの書かれる海の随筆は詩的な閃きが挟まれつつ、精緻で無駄がなく、まるで今そこにあるかのごとく、目の前に私の知らぬ世界が広がる。さて、ここは輪島。朝市で売り手の占める場所はそれぞれ定位置があるもののようだ。作者は折々市を訪れることもあるのではと想像されるが、今朝は何故か、新鮮な鮑を手にした際、作者のその手が一種感慨を覚えたのではないだろうか。

 

嶺に合ふをみな一人や尾上蘭 渡邊和昭

 

 八月号に万丈さんが「山ガール」を書かれた。長年登山に親しんで来た万丈さんの目から見た登山風景の今昔である。新しい登山ブームの実態を好意的に分析され、かつ氏の登山への揺るがぬ想い、姿勢が底に感得される。渡辺さんの山登りで出会ったのも、山ガール、彼女は単独行のようだ。オノエランとは尾根に咲く蘭の意。白い可愛い花が咲くラン科の高山植物。個体数は少なく、地域によってはレッドデータブックに指定されているとのこと。尾根へ出て、汗の引いて行く風を受けながら、作者ははたと高嶺の花に出会ったのか。

 

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