橡の木の下で

俳句と共に

「付けたり」令和4年「橡」3月号より

2022-02-28 14:44:01 | 俳句とエッセイ
 付けたり     亜紀子

 今朝も寒い。日の出は遅く自分も少し寝坊する。窓の近くでキイーッという鵯の甲高い声。ホバリングしているような影が二、三度ひらひらする。七階のベランダ、こんなところで何をしているのか。月下美人とドラゴンフルーツ、それにウツボカズラ、今はどの鉢も室内に取り込んである。残っているのは枯葉をまとったパッションフルーツ、石斛、風蘭。隅っこに空にした鉢と広げ干した僅かな土。鵯が惹かれるようなものは何もないはずだ。
 窓の外へ出てみる。ベランダの柵に点々と鳥の糞。黒い紫色をしているのは向こうの徳川園の楠や榎の実を食べたのか。ふいと壁の方を向くと一匹の亀虫。先ほどのホバリングはこの亀虫捕食のためだったのか。木の実の主食の後、動物性の副菜を食べに寄ったということだろうか。
 春から秋にかけてどこから飛んでくるのか分からないが時折亀虫が部屋の中まで入ってきて一騒ぎする。亀虫は成虫越冬するとは、冬も油断ならないようだ。この虫の出す匂いがパクチーの香りに似ていると言う人がいる。それでパクチーは全く口にできないのだと。我が家の娘二人はパクチー大好き派だが、息子は拒否反応派。果たして鵯の嗜好はお嬢さんたちと一緒なのに違いない。してみると亀虫のあの匂いも徒労だなあ。鵯が亀虫を食べた現場を見たわけではないが勝手に結論づける。
 このところコロナの変異株オミクロンの跋扈でいつもの徳川園散策も控えている。俳句の種の不足を託つ日々。朝の鵯騒ぎも面白いから句にしておこう。いやこんなことを読み手が面白いと思ってくれるだろうか。
 自分にとって面白いのだから他人にも面白いと思えとは言えない。ある時家人が子供を連れて旅行に出た。
大変実りのある学究的な良い時間を過ごせた。安心して良いと連絡が来た。疑り深い質で手放しでは喜ばない。ここで実りのある良い時間を過ごせたという感想は家人の思いで、安心するというのは私自身の判断だ。さて子供の感想は面白い所もあったが総じて疲れた旅だったとのことで、お土産話はあまりせず一日ぐっすり眠った後は友達と遊びに行ってしまった。
 子供がほんの小さい頃は親が安心していればそれで良かった。少し大きくなると「大丈夫」という言葉だけでは子供にとってちっとも大丈夫ではない。むしろ余分なことを言えば「それはお母さんの判断、蛇足」と言われてしまう。その通り。
 俳句は蛇足のないところがいい。良いものを見つけて言葉を選んで調べ良くスッキリと組み立てれば先ずは完成。飾りや付けたりは要らない。あとは見た人が判断してくれる。などと簡単にはゆかぬ難しさ。土台がしっかりしていなければ組み立てるところまで届かない。土台があっても自信が持てず、つい飾り付けて読み手に判断を強いる。ある意味痩せ我慢が必要だ。言い過ぎない、作りすぎない。ちょっと薄味だなというところで抑えておく。良い味が自然に出てくるようになるには修練、修練また修練。薄味でも深い風味を持てるようになるには日々を真面目に生きて行くこと。

里に下り熊の親子は罠に入り     鈴木淑子
開戦日幼き頃は旗を振り       奥村綾子
夜々灯す苺の温室の出荷どき     金子やよひ
ふゆ灯ひと言づつのふたりなる    川上延江
大谷の一投一打に沸く炬燵      朝倉恭子

 橡二月号橡集三句欄から。毎月の橡誌を読むのが何よりの修練。言葉は少なく、作者の思いの深さは自ずから伝わってくる。

  星眠
お花畑ゆふべ眞紅の霧を噴く
ひとすぢの茅愛す子やほとゝぎす
亡き祖母の面影梅雨の納戸神
神島や古鏡の色の二月潮
未央柳鵯の水浴大胆に
三尺の墓地妻と買ふ文月かな
生き残る姉より弟へ亥の子餅
口紅をさして散りくる橡の花

 星眠先生の句を繙けば若き日の作も晩年も一句の中に付けたりなく一読印象鮮明。そして賢明な読者にはこのような文章、講釈こそ蛇足の付けたり。

 


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