橡の木の下で

俳句と共に

「茅の輪」平成28年『橡』8月号より

2016-07-27 11:34:02 | 俳句とエッセイ

 茅の輪    亜紀子

 

 

大いなる一つ目青き茅の輪かな

ひた磨く梅雨の柱も足腰社

無造作に茅の輪の萱を手水端

取りませと形代置かる錘して

雨兆す人がたに名を入れしより

半年の彼や是やの大祓

ひもじいと泣く子鴉の悪しき声

かたはらに日がな子を連れ梅雨鴉

子鴉の声大人ぶる半夏生

さはさはと天上吹かる今年竹

合歓咲くや檻の獣のみな眠く

警報雨夏至の列島移り行く

梅雨のひま芝刈り上げて五厘刈

 

 


「私服警官」平成28年『橡』8月号より

2016-07-27 11:30:21 | 俳句とエッセイ

 私服警官      亜紀子

 

 台所の窓から電線に止まった四羽の鴉を眺める。三羽はじっと押し黙っているが、一番小さいのが濁声を張り上げ、しきりに羽を震わせて隣の一羽を見る。ははあ、くる朝くる朝聞かされる悪声はあの子鴉であったか。朝飯の催促をしているのだろう。今日は資源ゴミ回収の日なので電線で待機していても収穫はないとみたか、やがて親らしいのが滑空して消えると、子供も釣られて飛んでいった。残った二羽も間をおいて失せる。あれは兄さん姉さんだったろうか。どこかでまた鳴き声が聞こえた。

 日曜日、小さな会合の最中に娘から携帯電話がかかってきた。滅多にないことで、おや、と思って中座する。廊下に出て小声で話す。何でも娘が外出先から帰ってくると門先で見知らぬ男が中を覗いていて、自分は私服の警官だと言ったそうだ。もうじき公示の参院選を前に選挙運動違反の取り締まり捜査中とのこと。公示前は違反になる電話勧誘が近隣の三浦姓の家にあったのだという。そういう手合は名簿で同姓の家にランダムにかけまくるので、同じ三浦の我が家の表札を見て立ち寄ったところだと。「こういう者です」と警察手帳を提示したという。うちに勧誘電話はなかったのであるが、娘は一人暮らしかどうか尋ねられ、参考のためにと生年月日も聞かれたという。昭和四十年代初めに建てられた二階屋に若い娘が一人で住むだろうか。結局わが家には何の電話もかかってきていないのだから、参考とはいえ娘の生年月日が必要であろうか。娘は門内に入り閂をかけてから応対し、男が帰ったところですぐ私に連絡してきたのだった。その警官の所轄は我が家の区域外である。「こういう者」の名前をメモしたというので、帰宅してから本物かどうかを調べることにし、玄関のドアに鍵をかけておくように言う。

 夕方帰宅して鍵のかかった家に入る。その後は何事もなかったようだ。警察署に問い合わせるに当たって、手帳に記されていた署ではなく、先ずは私達の区域の警察署に連絡することにする。警官が本物であっても捜査方法に不備が無かったかどうか。直接所管の警察に電話したら、署ぐるみで隠蔽されてしまうかもしれない、などとB級映画のプロットのようなことを考えた。

 我が地域の署のお巡りさんには、そういうことなら直接その警官の配属署に問い合わせるようにと言われた。本当はそれが一番早い。M署というところへ電話をかけてみる。最初ちょっと怪訝そうな応対をした電話口の警察官はそれでも途中で話を遮ることもなく、最初から最後までよくこちらの言うことを聞いてくれた。「結論的に言いまして、そういう名前の者は確かに署におります。選挙違反の捜査も既に始まっています。」

とのこと。「この御時世そこまで十分な警戒心を持っていただけるとこちらとしても有り難いです。」などと礼を言われる。私は平身低頭、益々お忙しくなるであろうが、よろしく御願いしますと電話を切った。

 娘によく聞いてみると、私服警官は二人で来たという。いわゆる二人一組、お巡りさんのバディシステム。「こんな格好では怪しいですよねえ。」と警察手帳は行きと帰りと二度も提示してくれたそうだ。疑問があれば署に電話してみてくれとも言ったとのこと。「あら、それは悪い人じゃないね。」本物の嘘つきは嘘をつくことに平気だから言い訳しない。冗漫な説明もしない。ただ嘘をつく。今頃あのお巡りさん、よほど怪しまれたんだろうと署内で囃さているかもと娘と苦笑。

 ところで、俳句は真実の詩を言い訳や説明なしで、直截に読み手の心に響くように詠いたい。解説でなく美しさそのものを描きたい。そうしたいけれど、それが難しい。言葉を弄して己の力任せに説き伏せるのではなく、言葉自体に任せて、言葉そのものに語らせるような気持ちで行くのが一つの方法だろうか。そうして読み手の心に投げかけて、読み手の心の力を借りる行き方。一歩控える態だろうか。演奏家が楽器を力任せに鳴らそうとせず、楽器そのものに歌わせるように響かせるのと似ているかしら。どちらも修練、どちらも道は長い。


選後鑑賞平成28年「橡」8月号より

2016-07-27 11:26:58 | 俳句とエッセイ

選後鑑賞  亜紀子

 

赤翡翠迫田づたひに笛吹けり  藤崎亮子

 

 今月の季節の星眠俳句で渚を恋い渡る赤翡翠の句を取り上げた。こちらは山峡の田をわたる赤翡翠。昔私が初めてこの鳥の声を聞いたのは故郷の碓氷川。崖下の瀞に架かる橋の上。朝まだき、姿は見えず、どこか切ないような、寂しいような、その美しい独特の声は忘れ難い。掲句の印象に近い。谷間の小さいながらも瑞々しい青田。水恋鳥の名のとおり水田べりを行くのだろう。

 

禅堂の起きて半畳五月闇  倉岡富貴代

 

 寝て一畳、起きて半畳。何物にも囚われない最小限の暮らし。禅的生き方。作者は何処かの禅寺の宿泊プログラムに参加したのだろうか。梅雨の最中、真夜はたと目覚めて体を起こしてみた。自分の居場所の大きさ、即ち自分自身の大きさを闇の中だからこそ猶一層明らかに体感したのではないか。

 

風呂敷を道に広げて蕨売り  西田沾子

 

 山菜採りが野天で蕨を商う。背負ってきた風呂敷を広げてそのまま商売を始める。値段などどうやって決めるのだろう。最近はスーパーなどでも見かけるが、味も香りもこちらの方が上だろう。風呂敷というのが素朴でいっそう良い。

 

梅雨に入りやをらトマトの色づきぬ  釘宮幸則

 

 これはハウス栽培でない露地トマト。青い実は割合早くからできていたようだ。梅雨入りし、気温も上がってきて、そろそろ色づいてきたということか。トマトの成長の仕方が見え、その成長ぶりを見守る作者の心持ちも見える。

 

若竹の衣を脱ぐ音風の音  中村康彦

 

 真青の今年竹がはらりと皮を落とす音。すらりと天へ伸びた幹の頂の葉ずれの音。それのみだが、それだけで気持ちが良い。

 

山葵田は水トレモロに鳴り昏るる  柴田純子

 

 谷間の木陰、渓流を利用して山葵の小さな段畑が作られている。水は清冽、常変わらずに流れて涼やかな音を奏でる。谷間の夕暮は早く、瑞々しい緑の山葵の葉も次第に闇の向うに吸われていく。水音だけがやさしく響く。トレモロの語が山葵田の清らかな流れを言い得て妙。

 

しんがりの田植もをはる祭まへ  二階堂妙子

 

 田植の後の祭、早苗饗・田の神送りの祭だろう。掲句を見るといつ開かれるかはあらかじめその共同体で決まっているようだ。田植はおおよそどの農家も同時期に始まって、終るわけだが、それぞれの農家の事情によってずれもある。何かの都合で田植の遅れていた一戸があったのだろう。果たしてどうなるかといささか案じていたが、無事に祭前に終了。古くから続く農村の祭事、早苗饗の宴をみなが大事に、楽しみにしている様子が伺われる。

 

週一度医療船くる島薄暑  佐藤法子

 

 小さな島には医療機関がない。病重い患者は島を出て本土の町の病院へ行かざるを得ない。町へ出られぬ患者、あるいはそこまで重くはない患者にも日常的に医療は必要である。島の人々はどうしているのか。医療船なるものがあるのを掲句で知る。週に一度の頻度で渡って来てくれるのは心強い。また其の頻度で設備、専門家を往診させるのはそう容易い活動ではない。薄暑の語に船の入った港の様、迎える島人の様を想像した。