ひとときを歳晩の月仰ぎみる 亜紀子
霜月 亜紀子
葛枯るる幾谷越えてクルス山
秋水を盾とめぐらし耶蘇の谷
身にしむや小さきイエスに釘著く
独活苗に新藁厚き耶蘇の邑
クルス山落葉つもりてやはらかし
蛇瓜の身ののびきつてぶらさがる
白鳥の桂もみぢの香に寝まる
武蔵野やブロンズ像も朽葉色
槻落葉昭和と共に象老いて
暖かき冬に入りけり吉祥寺
コーラスの一音はづす風邪心地
果てし頃晴るる夜学の文化祭
霜月の愚かにぬくく過ぎにけり
青き実に鵯籠城の楠大樹
商戦のちらし戸ごとに時雨けり
秋夕焼け我が影のかく老いにける
真綿被て遠には行かぬ雪ばんば
湖北吟行 亜紀子
十一月の初め、名古屋と岐阜の合同吟行会で湖北は渡岸寺と余呉湖を巡る。珠のような小春日和。刈り取りの終った田には穭が青々と生え揃い穂を上げている。琵琶湖や周辺の湖に飛来する水鳥たちの食べ物として残しているようだ。こんな刈田のさまひとつでさえ見るも聞くも初めてである。
蕗のたうは幾十面や渡岸寺 星眠
柔らかな肢体、軽く腰をひねり小さな一歩を踏み出した美しい渡岸寺国宝十一面観音像。ここでマイクロバスを仕立ててやって来た岐阜勢と落ち合う。梅雨の郡上八幡以来の再会である。黄金色の銀杏もみじにとろりととろけるような陽射し。なにを勘違いしたものか、雨蛙が鳴いている。
観音様を拝して後、湖北水鳥センターに立ち寄る。水鳥の飛来のピークはこれからのようだが、カモの群れやバンのほか、オオヒシクイ、マガン、カンムリカイツブリなど、めったに見ることのない水鳥に時を忘れる。しばらくすると一羽のコハクチョウが、二、三度旋回を繰り返して望遠鏡の先に着水。コハクチョウは普通この時間帯は家族単位で穭田の二番穂を食べている。戻ってくるのは夕方だそうだ。はぐれた若い個体がやって来たのでしょうとセンター員の説明。今日は幸運を授かったようだ。
北上し、次は余呉湖へ。余呉の湖周の道路はよく整備されているが、車がすれ違うには狭い。対向車が来たらどうなるかとヒヤヒヤしながら、結局一台もやって来ない。冬は雪深い湖岸の桜紅葉が色濃い。これが賤ヶ岳ですよと教えられた山は、秀吉、勝家の合戦も今は昔、ただ静かに真昼の日を掲げている。
賤ヶ岳を背に岸辺の散策。草むらを飛ぶものが。蝗であった。蝗を見るのは久しぶりと誰かが言う。佃煮の話などひとしきり。白い溝蕎麦の花、紫の山辣韮の花、野紺菊、竜胆。丈高い蓬も紅葉している。秋の千草の野である。
桜子さんが、賤ヶ岳は軍太先生との最後の吟行地だったと思い出される。大正五年生れの先生。当時移動は車椅子であったそうだが、賤ヶ岳ロープウエイには一人で乗られたとのこと。ロープウエイといっても、スキーの一人乗りのリフトのようなものだそうな。まさかと思っていた先生が杖をついてリフトを降りて来られて驚き「先生お乗りになられたのですか」と声をかけると、「お化けだよねえ」と笑って答えられたという。桜子さんがその声色をなさるので大笑い。
私が名古屋に越してきたばかりの頃、ほんの少しの間、軍太先生のお招きで月例句会に参加させていただいた。その後子供が生れなどして暫くお休みし、再びお招きいただいたものの、今度は別の事情ができ、出席することは叶わなかった。不参加の言い訳の手紙に、すぐさまご返状をいただいた。私は事細かには申し上げなかったのであるが、先生のお手紙は簡潔でありながら、深い共感をお寄せくださっているのが分かり、有り難かった。その後はお目にかかることもなく、時候の挨拶や、事務連絡の電話のみに過ぎてしまった。昔の諸先輩は乳呑み子は背負い、歩く子には手弁当を持たせて句会や吟行に参加されたなどと聞くと、お膝もとにありながら、我が身は不甲斐無いばかりであったが、唯日々に追われていった。
梶の葉の文字も拙く老いにけり 軍太
先生の句集『梶の葉』ご上梓のお祝に花籠をお送りした。卓上に高原のお花畑が出現したようですと、返礼のお葉書をいただいた。その短いお葉書が身にしみて嬉しかった。桜子さんのお話に、軍太先生がリフトからお花畑に降り立たれたような錯覚をおぼえた。賤ヶ岳は余呉と琵琶湖を隔つ小さな山で、その頂にお花畑はないであろう。吟行後の句会を控えて、まだ日はのどかに高かった。
千提寺隠れキリシタンの里 亜紀子
秋深し茶筒隠れの磔像も 星眠
霜月とは名ばかり、いつまでも暖かな日が続いていた。それでもようやく街路樹が紅葉しはじめた頃、大阪澪の会の吟行にお招きいただいた。澪の会は亡き河北斜陽先生の指導のもとに集まり、各人連綿と三十年ちかく修行に励んできたベテラン揃い。吟行場所は茨木市の郊外。大正八年に、高山右近に繋がる隠れキリシタン四百年の歴史が初めて明らかにされた千提寺集落。駅前からマイクロバスに乗り込む。街を抜けると周囲の緑が増し、やがて道は坂がかりとなる。いよいよ集落に近くなると辺りは枯れ初めた葛に覆い尽され、すれ違う車もなく胸突き八丁を上っていく。人口二六万の茨木市内にこのようなところがあるのが不思議なほど。この地に残るキリシタン遺物の紹介は昨年の『橡』十月号、松田百合子先生執筆の大阪地方歳時記に詳しい。
物の本には出ていないが、キリシタン信仰に関わる小さな泉があると聞く。草深い小径を探したが、今は通う人もいないようで見つけることはできなかった。きっと落ち葉に埋もれ、どこかで澄んだ水を湛えていることだろう。クルス山と呼ばれる、十字墓の発見された山へ入る。朽葉の積もる柔らかな道。谷間の集落を見下ろす。小さく美しい棚田の景。そこここに山清水の奔る音。日を受けて照るたわわな柿の実。信仰を守り続けた村人にとって、魂の自由を保ち得たこの秘された山里こそがパライソそのものではなかったか。
橡1月 選後鑑賞 亜紀子
空深き馬柵に架け干す唐辛子 甲斐惠以
空深き馬柵という言葉に、空の色合と、その下の牧場の空間の広がりが伺える。唐辛子の鮮やかな色彩に青い空の対照。秋も深まった頃の朝であろうか。正しく具象的な写生であり、そのための画材である一語一語がよく吟味されている。
無言館ははそもみぢに抱かるる 木村恵里子
第二次大戦の戦没画学生の遺作を集めた美術館。長野県上田にある無言館は橡俳人には馴染み深いことと思われる。ちょうど楢や櫟がもみじした頃を尋ねられたのだろう。郷愁覚える雑木の黄葉。遺作を見た後、ははそ(楢類の総称)の古語が自然に口をついたのではなかろうか。「ははそ葉の」は母にかかる枕詞。言葉と実景と心が、過不足なく滞りなくひとつになっている。
白樺のクルス傾く冬隣 深谷征子
いづこの教会か。白樺の木の皮の付いたままの、手作りの小さな十字架。少し傾いて掲げられているのは牧師さんの飾らぬ人柄を思わせる。冬隣という季語が冬に備える牧師一家の慎ましい生活ぶりを想像させてくれる。この下五が動かない。
霧に浮く鬼女伝説の一夜山 花岡雀童
信州戸隠鬼無里の鬼女伝説は絶世の美女紅葉(もみぢ)の姿をした鬼神をめぐる物語。一夜山は戸隠連峰のひとつ。やはり鬼無里の鬼をめぐる話だが、こちらは天武天皇が鬼無里に遷都しようとしたのを、鬼どもが一晩で山を築いて阻止したという言い伝え。霧湧き紅葉闌くる頃、その霧の上に浮かび立つ一夜山は、魔性の女紅葉の妖術に生み出されたかのような、幻想的な佇まいであろう。独立峰であるため山頂からの展望が素晴らしいそうだ。
邯鄲やクルスを秘めし蒔絵紋 渡辺一江
大阪茨木市の隠れ耶蘇の里、千提寺村に残された切支丹遺物。掲句は江戸時代初期の蒔絵の蓋付き椀。紋の中に隠し絵模様のようにして十字が描かれている。ミサに使われた聖水容器ではなかったかとも謂われる。
あえかな邯鄲の声に、秘された信仰の歴史が呼応するようで、哀しく美しい。
客人のサリー纏ひて諸霊祭 藤森ベネデッタ
カトリックでは十一月二日を死者の日として、亡くなった全ての信徒に祈りを捧げるとのこと。これを諸霊祭というそうで、修道院でも特別な祭礼をするのであろう。その中に印度の客人がいらして、人目を引いたことと思う。そのエギゾティックな様子も、諸霊祭という言葉に響き合う感。十二月のクリスマスにキリスト生誕を祝福に訪れた東方の賢人達の姿もふと思い出される。
初恋草霜に弱しや鉢小さく 大谷阿蓮
初恋草とは洒落た名前。オーストラリア原産の低木で蝶の舞うような可愛い花を付ける。草丈の小さな木は鉢植えで鑑賞するらしい。開花は十月から五月くらいまで。光を好み冬の低温時には水やりに気をつけないと根を傷めてしまうとのこと。まさに掲句の通り、花好きな作者は大切に育てていることだろう。名前に惹かれ、遠き日の思い出に浸ることもあるのだろうか。霜という季語を活かして、園芸種の花を上手く詠んだ。