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橡の木の下で

俳句と共に

「せせり蝶」令和6年「橡」10月号より

2024-09-28 13:55:26 | 俳句とエッセイ
 せせり蝶   亜紀子

灼け砂の浜より熱き大路かな
広島忌キノコの傘をさす皮肉
水浴の羽を休むる青葉かげ
園丁とともに仰ぎぬ旱空
秋立つやややかたぶける朝日かげ
虫の音にけふの明けゆく長崎忌
隣り人門掃きくるる今朝の秋
池に入る月の涼しく人集ふ
粛々と違憲の道を敗戦忌
しこ草に秋を告げくるせせり蝶
大谷も猛暑も記録更新中
思ひ出したやうに一言秋の蟬
木暗れより秋の閃き瑠璃たては
台風に地震に備ふる米ぞなき
芋虫をヤルかヤラぬかバルコニー

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「うしもうもさびしく」令和6年「橡」10月号より

2024-09-28 13:50:59 | 俳句とエッセイ
うしもうもさびしく    亜紀子

(39・2・6明子処女作  病中、誠幼稚園入園手続日留守を守りて)
ことりもさびしく
うしもうもさびしく
わんわんもさびしく おもちをたべている
くさもなんだかちじんでいるかんじ
まじっくもいんくがない

らっぱもこおってならない

 昨秋久しぶりに実家に寄り、姉が保存しておいてくれた子供の頃のアルバムを持ち帰った。とある頁にちょうど五歳になったばかりの時、ノートの切れ端に鉛筆で書いた「俳句のようなもの」が貼られていた。父の文字で処女作と記されている。当時私は風邪をこじらせ肺に影があり、どうも質の良くないものと思われて長いこと幼稚園をお休みしていた。年子の弟、毎日の遊び相手も忙しくなる時期だった。父は私の書付が幼の心象風景を言葉にしたものと思ったのだろう。小さな詩人の誕生として俳句のお仲間に見せびらかしていたのを覚えている。
 私は父の真似をしてみたのだった。父星眠は家ではかなり神経質でいつも母は小言を言われていた。小さな手帳に何か書きつけている父の姿は、幼ごころにどこか寂しそうに見えたらしい。それが俳句で、俳句とは寂しいことを書くものと思い、それゆえの「さびしく」の連発だ。実際には毎朝登園を渋って母を困らせていた私にとっては休園は好ましいことで、少しも寂しくはなかったのだ。
 鳥や牛が餅を食うとはおかしいのだが、ちょうど正月の水餅も底を尽く頃、食べ物といえばお餅が浮かんだのだろう。犬や鳥は飼っていたが、牛は近くには居ない。しかしアルバムには群馬県甘楽郡、日本最古の洋式牧場である神津牧場に連れて行ってもらった写真が随所に見られ、親しい動物、あるいはインパクトのある動物だったのは確か。自分の体験から持っている言葉を総動員して「俳句」を詠んだわけだ。自分の身体に密着している言葉だけを剥き出しに並べたゆえに、父たちには新鮮だったのかもしれない。おまけに病気の娘に憐憫の情もあったろう。まだ俳句が五七五の型ということは知らない。
 当然のことながら小詩人はすぐに姿を消してしまった。また蛇足の後日談。学校に上がってからお前はBCG接種は必要ないと言われていたのだが、ツベルクリンを何度やっても陰性で、結局は接種した。あの時の肺炎はただの風邪だったらしい。
 こんなどうでもいい我が事をべらべらと喋ったのは、橡会報で楽しませてもらった「橡の芽投句欄」を思い出したからだ。下は幼児から上は中学三年生までの数々の俳句。小さい人の作品が面白かった。先月の文章で紹介した記号接地問題を覚えているだろうか。小さい人たちは語彙は少ないが、その言葉は、自分の身体に接地しているものばかりなので、大人の目には「詩」として映るのではないか。本人たちはきっと「詩」の何たるかの自覚は無いだろう。一方、少し大きくなった人たちは「詩」の何たるかを模索しながら、言葉(記号)と言葉(記号)で新しい言葉(記号)の世界を作ろうとしている。しかし、如何せんまだ語彙は足りない。季語に対する概念が勢い型通り、常識的なものになりがちだ。ただ彼らにとっては類型という意識で詠んでいるのではないだろう。面白くないと判断するのはこちらの奢りかもしれない。若い人たちは自分の持駒たる言葉を駆使して、新たな持駒の概念を増やしていく過程にあるのだから。
 そう考えると果たして五七五という俳句が小さい人、若い人たちに本当に必要な形かどうかちょっと悩ましくもなった。たくさんの体験、人との交流、あれやこれやと新しい知識。言葉を増やしつつ、可能な限りの身体、感覚を働かせ、自身を耕していくことが大事なのだろう。五七五に収まらない言葉、季語ではカバー仕切れない若い思いを自由に綴るのもありだ。その中で俳句に触れる体験もあれば、後日本格的に俳句を始めてみようと思う日が来るかもしれない。
 そしていつか外に出るのも難しくなる日が来ても、思い出から新たな五七五を詠むこともできるだろう。私たちの句会に車椅子で参加のI氏によると、昔のノートに未完成の句やメモ等びっしり記録を持っていて、ひと月の間、半分はノートから、半分は現在の体験からの俳句を詠むのだそうだ。この時は五七五の短詩が威力を発揮しそうだ。
 さて、まずは我が身優先。健康に留意して、身近な人たちを大切に、その次に俳句が来る。私は到底俳聖芭蕉翁には成れない。この世で絶対の真実は生まれてきたこと、逝くこと、そのあわいで句を楽しんでいたい。話がだいぶ飛んでしまった。久しぶりに昔のアルバムを繰って、父ともっと俳句の話をしたかったという思いに浸っている。
 

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「選後鑑賞」令和6年「橡」10月号より

2024-09-28 13:06:29 | 俳句とエッセイ
 選後鑑賞 亜紀子

臍見ゆる服も見慣れし夏の街  奥村綾子

 小さい丈の短いトップス(シャツ類)が街を謳歌。「ヘソだし」が人気。古い世代からすれば驚愕ものだったろうが、すっかり慣れた昨今。すらりと伸びて見える足が格好いいではないか。掲句の下五の着地の仕方がとぼけた味わい。この臍見え服、実は二十年前の流行の再来。そういえば「ギャル」ブームを思い出す。
さて今夏はへそを出そうが出すまいが、到底凌げぬ暑さだった。

クールスポット開放地図や熱波来る  倉橋章子

 今夏、救急車のサイレンを聞くたびにまた熱中症の搬送だと思ったものだ。実際かなりの数にのぼった。
名古屋市では避暑やすみスポットの名で、市内の図書館や薬局、モールなどが協力して暑さを凌げる場所を提供している。掲句のや切れ、真面目に重く受け止める。

星迎へ夫と語らふ今昔     市田あや子

 長年喜びも悲しみも共にしてきたご夫婦。七夕の夜の静かに満ち足りた時間。下五の今昔を語らうに感じ入る。 

炎日を待ちて納豆天日干し   平井喜代子

 連日の猛暑に参っていたが、掲句のようにこの暑さが必要な場面もあるわけだ。大徳寺納豆だろうか。麹菌で発酵させた豆を天日で干して熟成。納豆菌によるねばねば発酵の納豆より歴史が古いそうだ。

過ぎし日の話に酔へる盆の客  倉嶋定子

 はらから、古いご友人等の盆の客人。昔話に花が咲くのは必定。話に酔うの措辞にその場の趣が彷彿される。上五の過ぎし日の語もたまゆらの世にある我々の儚さを思う。

ぼた埋めた世界の遺産晩夏光  喜多栄子

 世界文化遺産に登録された端島、通称軍艦島は小さな岩礁の周囲に埋め立てを繰り返して作られた半人工島。ぼた(粗悪な石炭)が溜まった浜もあるそうだ。端島炭鉱の石炭自体は強粘結炭という高品質炭だったそう。しかしかつての栄光も今は廃墟。もっとも現在は観光の地として脚光を浴びているが。掲句の上五中七のちょっとぶっきら棒なもの言いに、下五の晩夏光が島の諸々の歴史を照らしているようだ。逝く夏の夕日に浮かぶ軍艦島を眺めてみたい。

遠き日の道草のあぢ忍冬    甲斐春子

 忍冬、スイカズラとはまさしく吸い葛、花の根元をついっと吸って蜜を味わう。子供の頃の思い出。花を見ているだけだはだめで、口にした時に突として蘇る記憶。

夕焼や研ぎ継ぐ鎌の小さくなり  小屋和子

 一日の農作業の終わり、使い慣れた鎌を研ぐ。随分と長いこと使い続け、手入れをしてきたものなのだろう。改めて小さくなった刃を見つめ、来し方も思う。

炎昼や音鈍く喪の黒ヒール   枡田まりな

 炎昼を行く喪服の女性。ヒール靴に焦点を当てて、暑さそのものを感じることのない、何か映像を見ているような錯覚。

夏逝くや艇庫に長き櫂の影   岡田まり子

 学生のボート部の艇庫だろうか。夏の大会一段落して静まる辺り、櫂の影が伸びていることに、季節の終わりを実感する。

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「一服の涼」令和6年「橡」9月号より

2024-08-28 17:27:24 | 俳句とエッセイ
 一服の涼   亜紀子
 
滝音や明日に始る王位戦
暑に喘ぐ小さき体の雀どち
片蔭に犬を休めて人集ふ
ケータイに一服の涼山便り
相席の扇子忙しや蕎麦すすり
水上の燕のブルーインパルス
帰宅の戸月下美人の匂ひくる
尺取虫に尺を取られて丸裸
芋虫を小箱にかこふ無聊かな
芥子粒の蝿虎の子がちよんと跳ね
恐るべき日盛に咲く百日紅
病舎より投句電話や蟬の午後
黙々と歩くを枷に蟬の朝
ロードスの散歩もかくや朝の蟬
禅林の広きに蟬の声ばかり

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「記号接地問題」 令和6年「橡」9月号より

2024-08-28 17:23:22 | 俳句とエッセイ
 記号接地問題    亜紀子

 いきなり雷鳴二つ。ずずんと深く重い響き。これは近い、降り出すぞと思う間も無く、ざざあっと来た。あ、やっぱり。ぱっと脳裏に過ぎったのが昔田舎で毎夕聞いていたあの雷と雨音。思い出そうとして思い出せる感覚ではないものが一瞬に甦った。懐かしい上州の夕立。しかしながら、今日の夕立と決定的に違うのは、今はまだ朝が始まったばかりということ。しかも雨は思ったほどは降らずに上がり、午前中の気温はまたぐんぐんと上昇。
 何十年も昔の田舎。午後の気温の高まりに山々に沿って立ち上がった入道雲はやがて倒れ大夕立に。そして一雨去ると涼風が立ち、静かな夕暮れを迎えたものだった。エアコンなどない暮らし。丸くて重い扇風機が回っていた。網戸一枚で心配もなく。母は夕餉の支度。新聞紙に広げた枝豆をぱちんぱちんと鋏で切る手伝い。父は若く、野球放送に耳傾けて。贔屓は大洋(現在の横浜ベイスターズ)。弟と私は阪神。食卓にツマグロヨコバイが飛んでくるのが面倒だった。
 今朝の雷二つに私が思い出したのはこのような光景だが、現代の子供たちが大人になった時に思い出す景色は全く違うものだろう。「雷」「夕立」いずれも季語だが、同じ言葉でも人それぞれその語の立脚点は異なる。
 七月東京例会の詠草に

麺打ち板あはれに暗き春厨

という句があった。惹かれる何かがありそうだが、それが何なのか分からない。採光の悪い厨、使い古された麺打ち板、置いてきぼりのような春の一日。蕎麦打ちが中高年の男性諸氏の間でブームになったと聞いたことがある。一念発起、こだわりの手打ち蕎麦屋を開業したもののコロナ渦中に廃業、そのうたかたの夢のあとかしらと穿った考えさえ浮かんだ。果たして作者は欠席で詳細を伺うことができなかった。
 その後、作者ご自身から詳しい説明の便りを頂戴した。古民家を見学した折の嘱目吟。片隅に立て掛けてあった大きな麺打ち板が目に留まる。昭和二十一年秋、作者は旧満州から一家四人で引き揚げ、父親の実家に落ち着くも、親族三家族が共同で食事の生活。夕食はいつも叔母が手打ちのうどんを大鍋で煮込んだものだったそう。その時の場面が頭をよぎり一句になったとのこと。「何か」の正体が見つかり、あはれの意味するものが分かったような気がする。 やはり「何か」がそこにあり、「何か」を纏っていたことは確かだった。
 麺打ち板という一語でさえ、それを使う人によって持っている意味は随分と異なる。その語が根を下ろして張っている場所が違う。言葉は具体性では写真には敵わない、そして写真も実物そのものには敵わない。思い出も言葉にできるが、本人の体験には敵わない。俳句はそれを言葉にして伝えようという試みなのだから苦労である。
 認知科学の世界で「記号接地問題」という未解決の問題があるそうだ。元々は人工知能の問題として考えられたものという。人は言葉によってその語が差し示すものを知ることができるのだが、真に知ったと言い得るにはそのもの丸ごとを自身の身体的経験として持っていなければならないのでは?という問い。言葉は抽象記号だから、記号で記号を理解しただけで本当にその対象そのものを理解したと言えるのかと。この問いは言語がどのように獲得され発展していくのかという言語学の問題にもなる。
 それはそれとして、俳句の上で考えてみれば、先ずは作者の実際の“身体的経験”が感動。これが一番大切。これを人に伝えるにはどこかに具体性が色濃く感じられるような語が必要だろう。そしてお互いに記号で理解し合うためには相手の根に触れるような言葉を選ぶことも重要。はて技術はともかく、いつも戻ってくるのは、経験を積むこと、誠実に日々を送ることだろうか。
 談林調、漢語といった記号に遊んでいたような芭蕉もやがて自身の身体的経験に発する俳句を詠み、晩年はこなれた言葉でより一層深い境を表現できるようになった。道遥か。

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