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橡の木の下で

俳句と共に

「小さな刺激」令和6年「橡」12月号より

2024-12-01 18:07:51 | 俳句とエッセイ
 小さな刺激   亜紀子

 意図せぬ折々の事情が何となく重なり、宿泊を伴うような遠出が困難になって十年ほどになった。日々の暮らしに気を取られるから、だから何なのと振り返ることもないのだが、ここで改めて考えてみた。
 父星眠は八十過ぎても現役で診療を続ける傍、毎週末には遠く、近くと吟行に出ていた。それは幾つになっても見聞を広げ、深め、また新しい俳友との出会いや懐かしい仲間との交歓等、作句に欠かせないものだったろう。その裏での母のサポートも看過できないが、父の俳句の上ではとにかく良い刺激であったには違いない。歳をとり身体が言うことを聞かなくなるのは逃れようがないが、吟行はいいですよね、外に出ると何か出来ますよというのは我が名古屋の句仲間でも共通の認識だ。
 同じ所で同じ毎日を送っているとマンネリが怖い。しかし人には出来ることと出来ないことがあるのは厳然とした事実であるから、出来る中で最大限の努力と工夫が必要なのだろう。そもそもマンネリの自分であっても、その周りでは季節は巡り、世の中は変化しているのだから、目を離さないことが肝心なのだ。わかっちゃいるけど、でもなあという気持ちは湧く。目が曇っているのかもしれない。
 幸い足が丈夫なので今は車も自転車も止め、もっぱら歩くことを日課にしている。買い物に出る際には隣の徳川園を抜けて行く。諸々の花のほころび、木の実の落ち始め、囀、初燕、小鳥来る時、初蝶、初蟬、蜻蛉、毎日通り抜けして季節のさきがけを見つけた時が楽しい。時間が許せば市内の少し遠い公園や緑地に足を向けてみる。渡りの鳥の中継地になっており、思いがけず珍しい野鳥に会えることもある。大抵大きなプロミナやカメラを構えた「鳥屋」さんたちが口コミで集まっていて色々教えてくれる。
 公園や緑地でなくとも道端のちょっとした草叢も興味深い。街路樹の根本周り、わずかな土のスペースでは住民が草花を育てることができる。皆が勝手気儘に色々生やしているので統一感は皆無で、そこがかえって面白い。突然白い彼岸花が一斉に咲き出したり、百日草が飽きもせず開き続け蝶や蜂を呼んでいたり。真冬でもタンポポや薺が咲いているし、菫を見つければ嬉しくなる。
 引っ越しのおかげで庭がなくなって四年になるが、ベランダは緑で所狭しとなった。どうやって見つけるのか、七階まで虫が寄って来る。キアゲハ、ナミアゲハ、ウラナミシジミ、ヨモギエダシャク、我がベランダで卵を産んだ同志。キアゲハの幼虫は移動中を誤って私が踏みつけてしまい、残念な結果に終わったけれど。ベランダ越しに公園や街路の木々の季節の変遷も見渡せる。この夏の猛暑のせいで紅葉は全体に遅れているように見え、色づく前に枯れ落ちてしまった葉も多いが楽しみはこれからだ。
 娘たちからのライン動画も楽しみの一つ。小春の磯での釣果を見せてくれて、美味しくいただきましたとコメントが届く。カナダの郊外都市にいる娘からはこの季節になると「今年も来たよ」と朝の散歩の途次の小川に身をくねらせるレッドサーモンの動画。誰もいない小さな池の真中で小さく輪を描く水鳥。一瞬自分もそこに居るような錯覚。まあ、実体験ではないけれど、多分身近な親しい者の体験だから一層実際に近いように感じられるのだと思っている。同じような動画をネットで見つけても、投稿者を知らないと仮想現実という感覚だ。そういえば橡集にも遠く家族から送られてくるケータイの写真や動画、良夜の月や桜を一緒に眺めているといった句が見られる。便利な世の中になった。また考えることは皆同じだなとも思う。
 そう、橡俳句、毎月の投句こそは一番の刺激だった。季節の巡り、それぞれの喜びや悲しみ、あっと驚く出来事、思わず頷く小さな心の揺らぎ、出来る限り味わい尽くしたい。日々工夫できることはまだまだある筈で、見るもの聞くことから目と心を離さずに精進していこう。


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「選後鑑賞」令和6年「橡」12月号より

2024-12-01 18:04:05 | 俳句とエッセイ
選後鑑賞     亜紀子

明易し言交はしゆく蜆舟  小泉洋子

 蜆は四季を通じて食卓にのぼる親しい食材。単に蜆と言えば春の季語だが、土用しじみと言えば盛夏、寒しじみなら冬の季語。いずれも蜆の生態に伴う味の旬に関係しているようだ。琵琶湖の淡水産のセタシジミ、宍道湖の汽水性のヤマトシジミが名高い。宍道湖のシジミが全国の漁獲高のほぼ四〇パーセント近くを占めているとのこと。掲句は宍道湖の景。土用蜆の頃に当たるか。しらじらと明けゆく湖面に船音、水の音。その小舟の漁師たちが挨拶だろうか何やら声を掛け合いいざ出漁。掲句から想像される悠揚とした墨絵のような夜明けの様を見たいものだ。しかし蜆漁は漁の時期、時間、漁獲量等、資源を守るために厳格な規制のなかで行われているらしい。携わる人たちは必死かもしれない。

さざ波の月影ゆらす船着場   喜多栄子

 こちらはおそらく小さな漁港の夜の風景。人影はなく、係船が揺蕩い艫綱の軋む音。波間に月の光も揺れて。作者は月を愛でつつの逍遥だろうか。

稲架小さし峡の底まで日の差して  城戸真子

 山峡の小さな田の小さな稲架。今日は明るい稲架日和。峡の底まで日の差しての語に小集落の健やかな暮らしと収穫の豊かさを言祝ぐ。

ビオトープにも小さき秋めぐり来て  高嶺京子

 自然の生態系を人が再現して生物の循環を作り出すビオトープ。広い土地を擁したお大掛かりなものから、ベランダの片隅の箱のサイズまで様々。掲句は小さい秋と詠われているからには手頃なサイズのものと思われる。水草の紅葉だろうか、さきがけの秋の発見。サトーハチローの歌を口ずさむ。

五百川曲りて光る豊の秋  鈴木月

 九月、山河集同人葉貫琢良先生が逝かれた。俳人としてのみならず、福島県本宮市の大寺石雲寺住職としても長年地域の衆から慕われていた先生。五百川はその本宮を流れる阿武隈川水系の一級河川。かつて星眠先生は福島吟行の折に
星合の庭にささめく五百川
と詠み、それからほどなくして
葉貫夫人信子様が逝かれたことを悼み
旅枕願ひの糸も叶はずに
と詠んでいる。
 掲句はその福島の橡会員にとって思いの籠る五百川。
大きく蛇行する地点で秋の日差しを存分に照り返しているようだ。辺り一帯は稲穂波。五百、光、豊の措辞のよろしさ。石雲寺はその稔り田に囲まれた地に古より在る。

連絡船釣瓶落しの下校の子   片岡嘉幸

 三河湾内の離島、佐久島、日間賀島、篠島。島内には高校がなく、船で愛知県内の各校へ通う学生。掲句はこの秋の伊良湖岬吟行帰路の景色。伊良湖岬から篠島、日間賀島経由で河和の港まで戻って来ると、折り返し島へ渡る船に制服姿の女子高生達が乗船するところ。秋の日はもう大きく傾いた頃。その時は皆ちょっと驚いたが、誰もすぐに状況をのみ込んだ。

適塾は町家名残りの障子貼り   上中正博

 緒方洪庵の適塾。一八三八年(天保九年)大阪の船場に蘭学の私塾として開学。現在その建物等は適塾を前身とする大阪大学が管理し、修理、改修を重ね、当時のままの姿を伝えている。

集落へ一本道や稲穂たる   岩下悦子

 “集落”途切れぬ街中に暮らしていると掲句の趣を忘れているが、地方へ出ればこの道に出会う。これこそ道らしい道と思う。




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「ホルトノキ」令和6年「橡」11月号より

2024-10-29 20:36:01 | 俳句とエッセイ
ホルトノキ   亜紀子

秋風に落果の泪ホルトノキ
新学期どかと暑さを引き摺つて
有り難くお一人一袋今年米
減便のバスや穂草の昼下り
父母のなき庭の葎や白露けふ
ひとそよぎ秋暑の花圃も風の詩
日帰りの旅荷のかろき日傘かな
をみなへし勁く立ちをる秋暑かな
令夫人ぐいと引くなり藪枯し
朝露の光り初めたり鉄路沿ひ
瑠璃色の宝石蜂を追ひにけり
吾子遠く鮭くる川の辺に住まふ
水面より夜が始る秋の暮
安寧の吐息に消ゆる秋夕焼
  追悼 葉貫琢良先生
澄む水や訪ひし日の五百川


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「雑感『俳句入門のために』より」令和6年「橡」11月号より

2024-10-29 20:32:49 | 俳句とエッセイ
 雑感 『俳句入門のために』より   亜紀子

 今年の球界は大谷翔平の活躍に大いに沸きました。五十四本塁打に五十九盗塁、肘のリハビリに努めながらの驚異の成績。橡会員にもファンが多いようで、大谷が記録更新のたびに彼を詠んだ句が寄せられました。
野球で思い出したのが星眠先生の『俳句入門のために』の中の一章、「球を置きにいく」です。まず表題が面白く、何の事かしらとちょっといぶかしくもありました。
 球を置きにいくとは、ピッチャーが不調に陥ってボール先行の苦しいカウントに追い込まれた時、ついストライクを取りにいく投げになることだそうです。仮にストライクゾーンに入っても球威が落ちて痛打を浴びたり、すっぽ抜けでそもそもストライクが取れなかったりするわけです。『俳句入門』の中では

貸し馬につきくる犬や吾亦紅

が例句にあがっています。そしてこの句、や切れに下五の名詞止は基本の型通りにできているけれど、吾亦紅に満足できない、球を置きにいった投球であると解説されています。秋の七草など日本古来の植物を自然のままに見ることができる林野は少なくなりました。私などは吾亦紅と聞いただけでノスタルジーを覚えるのですが、『俳句入門』の出版された平成七年、およそ三十年前には吾亦紅の揺れる野山は現在より身近であって、掲句の下五は平凡なのかもしれません。実際の景色を見ていればこれで良いと思うのかもしれないが、第三者が冷静に判断すると吾亦紅では物足りないと。そう指摘されるとなるほどと感じます。型通りの詠み方では下五がよほど利いているか上の部分に生彩があるか、一貫して訴えるものがあるかが必要と説かれています。
 そこで仮に

貸馬を追ひくる子犬吾亦紅
貸馬につきくる犬や露の朝

などとすると、少しは景色が変わるでしょうか。分かりません。星眠先生に聞いてみたいです。安易に他人の感動を添削しなさんなと叱られそうです。
 
 俳句の組み立て方に互いに関連がないものを一句に仕立てて内容に新しい広がりを持たせる方法がありますね。二句一章、二物衝撃と言われています。兼題で読む時などはこの方法を取る傾向が大きいでしょうか。

父の忌や野分のあとの花を摘む
ガラス美術館守衛ひとりの良夜かな
稲の花天地相和す風の中
夕立がしほにて句座に話咲く
巨大地震注意解除に盆終る
大東京滝の雨降り夏終はる

 今号の橡集から引きました。
忌日にお供えの花を摘むのは珍しい句ではないですが、「野分のあと」の措辞、ガラス美術館といきなり始まり、それが十五夜の下の孤独の守衛さんにピントが合っていく、風の中の稲の花はその通りですが「天地相和す」はこの豊かな爽やかな景を言い得て妙、なかなか出て来ぬ措辞。夕立をしほに何が起きたかと思えば句会はお喋り会に変身、初めての注意報が解かれて終わったのはお盆、帰省を控えた人々も、、「大東京」何事ぞといえば晩夏の豪雨。各々言葉の組み合わせに意外性があり、かつよく納得できます。
 あまり当たり前でないようでどれも実際です。意外性、二物衝撃とは事実の中にあるのでしょう。そして一つの言葉は通り一遍のものではなく、その下に何層もの重なりがあり、その周りには幾重にも広がりを持っています。それらを感じ取って、重ね合い、第三者にも感じ取ってもらえるようにするのが俳句。『俳句入門のために』では二つの扇、一本の槍という言葉で、そのあたりのコツを教えてくれています。
 しかし入門のためにを読めばクリーンヒットが打てるようになるかといえば否です。少なくとも私は。何十年も前に読んだこの本の中身が、今ようやく腑に落ちてきたところです。まだまだ身にならない分からないことも多いです。黙々と打撃練習に励みます。

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「選後鑑賞」令和6年「橡」11月号より

2024-10-29 20:28:34 | 俳句とエッセイ
 選後鑑賞      亜紀子

童謡のながるる庁舎白秋忌   岡田まり子

 北原白秋、昭和十七年十一月二日没。その生涯に千二百編ほどの童謡を残している。掲句についてはどこかのお役所が退け時の合図に白秋の童謡を流しているものと思い込んだ。白秋の生地福岡県柳川市か、あるいはゆかりの深い神奈川県小田原市だろうかなど、想像めぐらして探してみると、小田原市のごみ収集時のメロディーが「あわて床屋」らしいことは分かったがそれ以上のことは判明しなかった。
 考えてみれば流れているのは白秋の作と断ってはいないのだから、その地その地にゆかりのある曲を採用しているお役所は方々にあるのかもしれない。「夕焼小焼」や「赤とんぼ」など何処からか聞こえてきそうだ。
 お堅いお役所に優しい童謡、白秋という文字から受けるイメージの広がり、そして白秋の数々の作品、季節的には「赤い鳥小鳥」「ちんちん千鳥」「ペチカ」などなどが思い出され、どこかさやかでほのぼのとした気分に浸った。

台風や商ひ三日釘付けに  市田あや子

 台風十号はノロノロ台風で、列島をほぼ一週間に渡り舐めまわした。京街中のお寿司屋さん、掲句作者のお商売も影響大であった様子。店を開けることもできずに居たのだろうか。その状況を商いの釘付けと表現されたところ、なるほどと感じ入った。
 その後もなお気象災害続く日々、ことに能登の豪雨に誰も胸痛めている。

数独パズルすべて埋まりし天の川  杉山哲也

 数独は日本発祥、今や世界中に普及。私はまだトライしていないが、嵌り出したら止まらないのではないか。掲句は数字のパズルのピースが全てピタリとハマって気分爽快。その夜の空には天の川滔々、全天に広がる星のパズル、星座の数々もピタリと所を得ていることだろう。天の川の語は実際の街空というより、作者の心象と受け取った。

水落すほかに音なく峡日暮   上中正博

 過疎進む山間の集落か。人影はなく、聞こえる水音は田水を切る音。稲は穂を垂れ実りの季、そこに人の暮らしは確かに見えている。

夏のみで任期の終はる島の医者   喜多栄子

 本土の大学病院から派遣されたお医者さんか。夏の間だけの勤務。もうじき帰って行く。夏の間は観光や、帰省の人で賑わった夏が静かに暮れるのだろう。どんな島だろうか、お医者さんがいなくなって心細くはないだろうか、色々想像してみる。 

屋久杉のくひぜが泉孕みけり  北山委子

 今夏、台風十号が通り過ぎた屋久島で、齢三千年といわれる名高い弥生杉が倒れたニュース。見ることのなかった神々しい姿を思い、残念至極。掲句のくいぜ、切株はその弥生杉ではないが、現地にはこうした泉があるのだろう。作者はかつて屋久島で暮らした人とのこと。島のことは周知。株の間に渾々と湧く清らかな泉、これもまた是非一度は見たいもの。

老の日やわが主イエズス老いたまひ   松本欣哉

 敬老の日。敬虔なクリスチャンである作者。主は常に自分と共にあり、我が身に添いてくださる。我が身の老いに従い、主もまた老いてくださるということだろうか。私が泣いている時、あの子主イエスも泣いているというような少女の詩を、昔読んだことがあったような。

夕月や仙人草の咲きのぼる   市川沙羅

 芳香を放ち、真白の花をあまた付けて立ちのぼる蔓性の仙人草。夕月を目指しているのか。いかにも涼しげな晩夏の夕暮れ。

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