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橡の木の下で

俳句と共に

「選後鑑賞」令和7年「橡」2月号より

2025-01-31 10:11:45 | 俳句とエッセイ
 選後鑑賞   亜紀子

初霜や朝日きらめく痩せ畑  中村康彦 

 いよいよ寒さ到来。毎日出向くほまち畑が今朝は霜の畑に。その煌めく様に感嘆する作者。痩せ畑と言いながら、愛情持って日々の農作業に精出す作者の姿がある。

庭紅葉今真紅なりクリスマス   石原嶺

 赤はクリスマスを連想する色。パッと思いつくのはサンタクロースの赤服。トナカイの赤鼻。私は黐の木の赤い実を見ると、クリスマスだなあと感じる。緑の葉っぱとの取り合わせがことに。赤、緑、白がクリスマスカラーとのこと。緑は永遠の命、白は純潔、そして赤は人々のためにキリストの流した血の色、愛と寛大の象徴。庭の紅葉にもクリスマスを見た作者。この木は何の木だろうか。いわゆるもみじだろうか。今真紅なりの措辞が効いている。そう言われれば、この秋の紅葉は遅まきながらどこも濃く美しかった。

掘り炬燵外つ国の子のワンダフル   今村さち

 掘り炬燵、懐かしい。こたつテーブルはあっても掘り炬燵は現代の住宅ではなかなかお目にかかれない。日本の子でも喜びそうだが、外国からのお客さんであればなおさらと想像できる。下五のワンダフルは一昔前のテレビコマーシャルの科白のようだが、パッと目を輝かせた様子が、パッと見えた。

短日の迷惑メール切りもなく   市川美貴子

 大量の迷惑メールに悩まされている方は多いのでは。
作者もその一人、職場のパソコンだろうか。傾く窓辺の日、早く切り上げたい仕事も捗らず。もう、嫌になっちゃうと溜め息の一つもつく。短日が効いている。

西郷どんの墓前に集ふ時雨傘   片岡嘉幸

 オンラインクループの面々が実際に顔を合わせて集い初のオフ会吟行。旅を発案し統括された吉村さんはじめ、迎える鹿児島勢の福元さん、馬場さんらの綿密な計画準備のもと、それぞれが協力してメンバーは日本各地から集結、夢のような数日間を過ごされた由。一月号の上尾さんの鹿児島吟行記に詳しい。
 南洲墓地には西南戦争で破れた薩軍二千二十三名の将兵が葬られているとのこと。西郷の墓の周りは最後まで彼を支えた幹部たちが眠っている。明治の世に国内で激しい争いのあったことを改めて考える。今墓前に集うのは平和、融和の橡俳人。傾けて見入る時雨傘がいい。一月号の口絵写真をご覧あれ。

窓を打つ雨音かはる初あられ   浦田和雄

 それまでの雨音が俄かにバラバラとガラス窓を打ち付けるような強い音に変わった。鰤起こし、毎年冬到来を迎える折の北陸の人の実感か。

大玻璃にリハビリ励む秋日和   埴生洋美

 大きなガラス窓の向こうは明るい秋の庭。その景を眺めながらリハビリに励む。前向きな気持ち。
 文章にすればこうなるのだが、自然のうちに俳句的な省略が効いていて、良い学びになった。

椋鳥の塒はネオン溢れをり  前薗真起子

 ネオンも賑わしく、そこへねぐら入りする椋鳥も姦しく。椋鳥はすっかり街中の鳥になったようだ。

ビル毎の聖樹が楽し散歩道   室谷聖子

 作者の営む喫茶店のある大阪中之島界隈だろうか。ビル毎の入り口、あるいは店舗のガラス越し、それぞれに異なるクリスマスツリーの趣。一つ一つ眺め歩く楽しさ。この時期ならではの散歩。掲句にも俳句的あるいは日本語的と言うべきか、省略が自然に施されている。


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「サンタの帽子」令和7年「橡」1月号より

2024-12-29 15:40:06 | 俳句とエッセイ
サンタの帽子  亜紀子

子と旅に小春半日五平餅
鴨若く常青首を煌めかす
小春日の空のかけらの瑠璃しじみ
火焚鳥百人町に口火切る
かるかんや窓辺の月もまどかなる
秋蝶も襤褸けて花圃に過疎団地
黄落やアマチュアバンド佳境入る
晴れわたる伊吹嶺越えて鴨来たり
木枯の窓辺に寄りぬ母待つ子
門前は国際タウン鳥渡る
冬木の芽固く閉ぢをり投票日
誕生を祝ぐや紅葉の大欅
みどりごも辛夷冬芽もあたたかき
夜泣子に夜寒の星が目をみはる
しやいなしのサンタの帽子みどりごに

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「令和六年度青蘆賞入選『鶉野飛行場』」 令和7年「橡」1月号より

2024-12-29 14:46:28 | 俳句とエッセイ
令和六年度青蘆賞入選『鶉野飛行場』  亜紀子

 令和六年度青蘆賞入選作は小谷真理子さんの「鶉野飛行場」でした。
 鶉野飛行場とは兵庫県加西市にある第二次世界大戦の戦跡です。市のホームページの案内によると、既に戦局悪化しはじめた中、パイロット養成の為に設置された旧日本海軍の練習航空隊の飛行場で正式名称は「姫路海軍航空隊」地元では「鶉野飛行場」と呼ばれているそうです。
 同ホームページから。着工は昭和一八年三月。十月に姫路海軍航空隊開隊。飛行場南西部には川西航空機姫路製作所鶉野工場が設けられ、終戦までに「紫電」「紫電改」など五百機余りが組み立てられて飛行場で試験飛行が行われたとのこと。
 昭和二十年二月、姫路海軍航空隊においても神風特別攻撃隊「白鷺隊」が編成され、鶉野から待機基地である大分県宇佐を経由して出撃基地である鹿児島県串良へ飛び立ち、沖縄での作戦において六十三名の若者の命が失われたそうです。
 飛行場のコンクリート製滑走路跡は国から払い下げを受け、市が管理。周辺に数多く残る戦争遺跡群を「鶉野フィールドミュージアム」として、後世まで戦争の記憶を伝え残し、平和の学びの地として活用を図っているそうです。

草萌やこの地を発ちし飛行兵
春草は光を溜めて基地の跡

 に始まる一連の作品。鶉野を詳しく知らない読者にも鶉野飛行場の何たるかを十分に想像させ、また詳しく知りたいと思わせられます。

陽炎や軍機発たせし滑走路
鶉野は播磨穀倉麦青む
飛行基地いま農場に夏つばめ
農学生汗光らせて牛追へる

戦跡のガイドの友は百合抱き
兵舎跡へ続く坂道木の実降る
紫電改翼に触れし指の冷え

 橡十二月号で青蘆賞が発表された後、作者小谷さんから手紙をいただきました。

 十年ほど前に兵庫県嬉野台生涯教育センターが講座開設する「うれしの生涯教育大学」に入り、そこで知り合った加西市のご友人が鶉野飛行場の見学に誘ってくださった由。この時の句が二句選に入り、小谷さんの師児島美穂子さんが「あなたのような若いかたが詠んでくれて嬉しい」と評されたこと。
 コロナ災禍収束し令和六年の春にはまた飛行場を尋ねる約束をしていたご友人は、そのコロナから体調を崩されて年明けに亡くなってしまわれたこと。
 その後、図書館通いして飛行場関連の資料に当たられたこと。また小雨降る中、六年度の飛行場見学会に参加されたことなどが記されていました。そして現在の世界情勢を鑑みて飛行場跡が句材として重要なのではと思われたとのことでした。
 
 鶉野飛行場に対する作者の十年来の思い入れ、纏わる記憶の様々を拝察しました。そして今回の作品群が知識の披露や説明でなく、あくまで実景に即して、実景の深いところにあるものをごく自然に掬いあげている理由が理解されました。この地が作者の「腑に落ちた」ところから言葉が発せられているということなのでしょう。
 勉強になりました。繰り返し「鶉野飛行場」を読み込んで見ようと思います。

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「選後鑑賞」令和7年「橡」1月号より

2024-12-29 14:42:38 | 俳句とエッセイ
 選後鑑賞      亜紀子

新豆腐夫がレシピの知恵を言ふ  岡田まり子

 作者の年代のご夫婦ではご主人が厨房に入るということは稀だろうと思われる。出された皿に一言文句を言うくらいのところが相場ではなかろうか。だからこその「レシピの知恵を言ふ」の語。案外の夫の新レシピの提案にびっくりされたようだ。新大豆で作った新豆腐の味の違いが分かるお二人。

秋晴れや酒酌み交はし会津線   伊藤裕通

 会津線は第三セクターの会津鉄道が運営、福島県内を走る路線。会津若松市の西若松駅と南会津郡会津町の会津高原尾瀬口駅とを結ぶ。全線単線。電化区間は十五キロメートルで非電化区間が四十二キロメートル。気動車が活躍している。いわゆるローカル線らしいローカル線だろうか。お座敷列車が臨時運行されているようで掲句はおそらくそれ。秋の一日、車窓のもみじを愛で、盃を手に手に愉快なことの上なし。いかにも晴れやかな十七音。車内販売もあるので手ぶらで乗れます!とある。

こんにやく咲く冬やトランプ返り咲く   吉沢美智子

 こんにゃくの花は数年以上作付けされた物でないと花が咲かないとある。こんにゃくを作るためにある程度のところで掘られてしまうから、目にするのは農家でも稀なことと想像される。掲句の花も千載一遇か。調べてみたところでは花期は五月から六月と言うので、掲句の時期を外した花はさらに珍しそうだ。あるいは枯れたような花が残っている姿だろうか。そして米国大統領トランプ氏の返り咲き。これは予想されていたことで、そうそう驚きはないのだが、英語では悪魔の舌と呼ばれる海老茶色の不気味な花の姿は、米国社会の歪みと重なって感じられるのは個人的な感慨だろうか。否他国の他人事として済まされる問題ではないのだが。

秋夕焼ビルのまにまに小さき海  木野内八重子

 いずこの景色だろうか。多分昭和四十年以前の日本は各地に海や山を展望できる空間があったはずだ。今はどこでもまにまにちょっと垣間見える態になってしまった。夕焼けも夕焼けに染まる海も。

園丁のインターンシップ龍田姫  市川美貴子

 造園業に携わる人、いわゆる植木職人は徒弟制度の中に組み込まれて下積みから始まるものと思っていた。掲句は在学中に就業体験として園丁を見習う学生。時は竜田姫の秋、きっと女生徒だろう。特に造園業を目指しているわけではないかもしれない。何か人と違った挑戦をしたいのかも。それゆえに句材となったのではと想像した。そして作者は若い龍田姫を見守っているようだ。

夕星や灯台の日の波しづか    上中正博

 灯台記念日、灯台の日は十一月一日。日本初の西洋式灯台が横須賀の観音崎に建設され、その起工日の明治元年の十一月一日に因むとのこと。そろそろ北西風も吹く頃だが、今日は穏やかな凪。灯台の明かりとも思う宵の明星が灯って。航海する者でなくともなぜか灯台には心惹かれる。

病みて人恋しや風の色も無く   市田あや子

 真直ぐに胸に響く。心のままの表出。色なき風をこのように詠まれた例を思い出せない。ほどなくして作者の逝去の報に接した。

石雲寺菊にうもるる師の墓前   伊藤昭子

 葉貫琢良先生墓前。今、秋たけなわ、菊盛ん。飄々として、かつ大きな先生を私も思い出す。



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「鷹湧く」令和6年「橡」12月号より

2024-12-01 18:11:02 | 俳句とエッセイ
鷹湧く   亜紀子

路上ダンスさらふ若きに夜の長き
磯鵯や煌きわたる波頭
鵯渡る寄りつばらけつ波の上
島二つ継いで鷹湧く岬へと 
秋航の一路夕日を曳き戻る
秋霖や朝の茶房にみな一人
町あげて麦酒片手にジャズ祭
夜々さらふ祭囃子に月太る
石の上の榠樝に時の移りゆき
子はボード鵯は秋風漕いでゆく
訪日も鵯も賑はひ集きをり
渡り来て雨に濡れをり番鴨
ちらほらと今日四季ざくら石蕗の花
松手入外つ国人に見つめられ
霜月も未曾有続きのしとど雨


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