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橡の木の下で

俳句と共に

「光の春」令和7年「橡」3月号より

2025-02-27 12:23:51 | 俳句とエッセイ
光の春   亜紀子

冬の雲心に蓋をして歩く
リハビリで緋色肩かけ編みくるる
寒林に礫と入るは目白らし
雑踏はアジアの坩堝松過ぐる
冬の鷺小魚覚ます足づかひ
寒最中養生せよと百花蜜
大寒や樟の実ねぶる鵯の群
花粉症苞のケーキのこけてをり
初場所や贔屓ころころ変はりたる
日脚伸ぶ二日見ぬ間に子も育ち
走る人光の春に列なして
笑み返すみどりごに寒明けにけり
立春はいつも名ばかりはあて空
二月早ややこおもちやに手を伸ばす
忘却に抗ふべしと阪神忌

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「令和七年三月の青啄木鳥集から」令和7年「橡」3月号より

2025-02-27 12:21:31 | 俳句とエッセイ
 令和七年三月の青啄木鳥集から   亜紀子

 最近、いつもの地元の句会の折に昨年の青蘆賞のことが話題になりました。自分の作品の力量を知りたいが、応募したものの予選外で何の反応も貰えない。自分でも全てが納得のいくものではなかったが、いくつかの句は自分の生活、人生において意味深いものであるので何らかの評価が得られれば励みになるのだがという内容でした。確かに一年に一度、満を持して応募されたのですから気持ちはわかります。今号に拾遺として選外作品のそれぞれから一句ずつは掲載しますが、それが全てではありません。見応えのある句はもっとあるのですが、こうした賞では十五句が揃わぬと全体として高評価に結び付かないのが惜しいところです。
 落選してもがっかりせずに、他人の作品を見て良いところを吸収し、自句を省りみて良いところ、まずいところを判断していくのが学びになるのでしょう。そう考えると選者はたくさんの作品からいつも学びを得ることができるので、ちょっとずるいですね。また自句の良し悪しが分かるようになるのが一番難しいところのような気がします。それが出来るようになれば、あとはもう自由自在なのではと想像するのですが、私は生きてある間には到達できない気がします。
 一ヶ月間に、同人集、橡集、全ての作品をじっくり味わっていただきたいと思います。また皆さんそうされているかとも思います。今回はあえてまた青啄木鳥集からいくつか取り上げてみます。

凍蝶の祈るが如く翅合はせ  関東忍

 祈るが如くという形容は蓮の蕾だったり、冬木の芽だったりと時折使われます。両の掌を合わせ上向きの形です。この表現はままあるよと通り過ぎてしまいそうですが、蝶の場合はどうでしょうか。薄い二枚の翅が一枚になったように閉じられて、木の葉の陰などでむしろ下向きになっているように思います。寒い冬を成虫の形で耐える種類の蝶です。その祈りは命をかけて実に固いのです。作者は実際を観察し、そのさまに真の祈りを感じたのではないでしょうか。

凩や妙義に夕日吹き落し  黛正登志

 北風吹きすさぶ頃、山の夕日は一気に沈みます。上州の空っ風は厳しく、峨々たる妙義の山容も厳しく、
まさに吹き落されていく冬日です。

元旦や氏子多きに驚きぬ  石橋政雄

 東京の明治神宮、名古屋なら熱田神宮などは全国からの参詣人で行列ができるのは有名です。掲句の神社はあえて氏子の人数を言うからには身近な産土神でしょう。普段はお参りする姿も見えず、またコロナからこのかた去年までは初詣もさほど賑わいはなかったのに、今年は思いの外大勢。え、こんなに氏子がおったっけという一言です。私もこの思いを強く抱く景色を見ました。世の中の不穏、神を頼む気持ちは皆に共通なのかもしれません。

裸木やサッカーボール受けて立つ  木下多惠子

 公園か空き地か、正式な練習場ではなさそうです。子供の蹴ったサッカーボールがたまたま枯木に当たったのか、あるいは跳ね返り具合がちょうど良い木を相手にシュートの練習をしているのか。「裸木や」とあえてや切れで詠みだし、受けて立つ幹はかなり太そうで頼もしい様子です。木は手袋もせず素手でキャッチ。

稜線の潤みそめたり初山河  市村一江

 仄かに明るみ始めた山稜ただそのことを述べて、無事初春を迎えた喜び、故郷の自然への思い、しみじみと感得されました。

初雪や季寄せ携へ友来たる  香西信子

 句会ですね。折からの初雪に会話が弾むことと想像されます。

覚めてなほ何やら楽し夢はじめ  松尾守

 幸せというのは、こうしたちょっとした瞬間の事を言うのだろうと思いました。

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「選後鑑賞」令和7年「橡」3月号より

2025-02-27 12:13:14 | 俳句とエッセイ
選後鑑賞    亜紀子

初雪に古巣繕ふ鴉かな  島野美穂子

 年明けて暫くすると鴉の頓狂な声が聞こえてきた。これまでの鳴き方とは明らかに異なる。私は、少し早過ぎるようだがそろそろ恋の兆しかもしれないと勝手に考えた。街中で身近な鳥の中で鴉や四十雀の繁殖期が早いように感じているが、果たしてどうだろう。
 掲句の鴉は雪国ではないので初雪に会うのは年明けの寒の頃と考えられる。作者はうっすら雪を被た枝の間の古巣を繕う姿を見つけられたようだ。鴉のバレンタインデーがかなり早い時期なのではという推測もあながち間違いではないかもしれない。また鴉は毎年同じ巣を利用することも多いらしい。あるいは掲句の鴉は冬の間の空家になっている自分の家を見回りしていたのかもと想像が働いた。鴉に詳しい方に聞いてみたいものだ。
 いささか嫌われ者かもしれない街鴉ではあるが、作者はこの寒さの中で生きる営みを続ける姿に共感を寄せる。

職退きて青春切符旅はじめ 中野順子

 青春切符とはJRが発売しているお得な特別切符。発売期間、利用期間が定められているが、全国のJR線の普通車、快速列車の自由席、バスやフェリーが乗り放題の謳い文句。三日間用と五日間用がある。青春18切符の名称だが、年齢制限はなし。
 第二の人生の文字通り初旅。目的に合わせて上手に時刻表を組み合わせるのも楽しみ。特急列車で走ってきたこれまでとは違って、のんびり行きたい。これからまた青春の日々。
 一月の東京例会に出された一句で、この時の作者の説明では切符の利用の仕組みが以前とは少し異なるようだ。詳しくはJRにお問い合わせを。

客去りて温もり残る冬座敷 大森克子

 居間を温めて迎えた客人。語り終え、名残りを惜しみつつ見送った。部屋の温度と共に、楽しい語らいの心の温もりの余韻。冬座敷ならでは意識される暖かさ。

冠雪の比良山美しく湖静か  松島道代

 雪を被た比良山系は美しく、琵琶湖水はあくまで静謐。景を素直に詠んでただそのままの表現に、ただそのままの姿が眼前に浮かぶ。あえて講釈加えてみれば「ひらうつくしく」の音感に惹かれる。

紅葉狩マタギの径の現るる 眞塩えいこ

 秋の山路を行けば、掲句のような場面に出くわすこともあるのだろう。マタギの径はまた獣の径ではあるまいか。昨今のあちこちの熊騒ぎ、はたと身構えてしまう。

金鯱城一本竹の松飾り   片岡嘉幸

 一対の金の鯱をいただく名古屋城の別名が金鯱城(きんこじょう)。正月を迎えるにあたり暮には正門に門松が立つ。江戸時代の記録を基にしているそうで、一本だけの青竹に松、笹を添えてシンプルながら大きく立派なもの。竹は武士の剣を表しているとか。武家の門を飾るに相応しい姿。

初詣俄か仕立の仮神社   中崎かづえ

 掲句拝読して、あの大地震からはや一年が巡りきたことを改めて意識する。初詣にあたり俄か仕立ての仮社。社を建てるのも人々の協力と骨折りがあったことと想像する。仮であっても神を祀り、悼みと祈りの心を捧げずにはいられない。

夢ながら掻く水鳥や月の湖 谷本俊夫

 浮寝の鳥が時折り水を掻くのは夢を見ているのか。一幅の日本画か、ドビュッシーの一節か。美しい一句。

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「あんぽ柿」令和7年「橡」2月号より

2025-01-31 10:20:00 | 俳句とエッセイ
あんぽ柿     亜紀子

木枯や別れの知らせまた一つ
雁渡し攫はれしごと人の逝く
摂理とは問へば雁が音寒きかな
異国人末の紅葉を愛でゆけり
園の灯に眠れぬ鴨が水滑る
柚子を煮る香にふつふつと夜の更くる
芽が一寸冬至ののちのヒヤシンス
帰りゆく家路は遠し枯野星
凩に叱咤の音あり歩きゆく
触れ心地ややこに似たるあんぽ柿
子を抱いて片手仕事や日短か
夜も昼もなきよな赤子冬至くる
眠る子に夕星ひとつ聖夜なり
みどりごも年越しにけりつつがなく
みどりごは知恵の泉よ年新た


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「お孫ちゃま俳句」令和7年「橡」2月号より

2025-01-31 10:16:13 | 俳句とエッセイ
お孫ちゃま俳句      亜紀子

 おおよそ我々が日常体験することや感じたことで俳句に詠めないものはないと思います。しかし、詠みづらいこと、難しいものはあるでしょう。その中の一つに家族や身内、ことにお孫さんの俳句があるでしょうか。お孫ちゃま俳句は甘くなるのでつまらないと鼻から嫌がる人も居そうです。とはいえ橡会員の大多数は祖父母、曾祖父母の世代となり、お孫さんを詠まれる機会も多くなっています。かく言う自分も孫となると思わず口がムズムズしてきます。このムズムズを抑えずにそのまま句にすると独り善がりになりそうです。
 なぜ孫俳句がつまらないのか、NHK俳句「俳句道場」に夏井いつき氏が例句を挙げながらとても分かりやすく書かれていました。ある人が句会で孫俳句を注意されたそうですが、夏井氏はそれはきっとその俳句が下手だったからに違いないとスパッとひと言。あ、その通りと私もいたく納得できました。とにかく目の前の五七五が全てですから。
 氏は孫俳句を難しくするハードルは第一に自慢臭さ、第二に類想を挙げています。対策としては、自慢はさらりと具体的描写に託す。次に万人的類想を離れて自分の孫らしさを探り出す。そしてさらにその先へ進めば、一読我が孫か他人様の子かははっきり分からないながら、強い印象を与える句は作者の中で孫との関わりの記憶として刻印され、作品も残る。それで良いのではないかと。ここでは紙幅に記す余裕がありませんが、単行本には例句がたくさん示されているので興味を持たれた方は読まれると勉強になると思います。
 NHK俳句
 夏井いつきの俳句道場(二〇二一年NHK出版)
 
 星眠先生はお孫ちゃま俳句を詠んでいたでしょうか。はい、父ももちろん折々に詠んでいました。我が四人のはらからの中で長男が最初に家庭を持ちましたので、多くはその三人の子の句です。句集『テーブルの下に』の中から年代や前後の句から推察し、おそらくあの子達の事だろうと思われるものを抜き出してみました。

乳母車押すや六十路の木下闇
みどりごも別れを知るや駅晩夏
 何かの事情で上の子を預かり子守の日々を詠んだもの。

六十路われベビイボッカや三ヶ日
姉泣けば妹も涙の朝ぐもり
 これも同様の機会の句のようです。

手花火の矢つぎ早なり若き父
 孫の親、つまり星眠先生の息子の姿を詠みつつ、その若い父親にまとわりついて花火に興じる孫の姿が浮かび上がります。

終わるまで醒めぬ幼子簗料理
 川風涼しく、寝ている子は天使です。

初泣きは新居の障子破りし子
ベッドから落ちし二人子旅始
父恋の童女二人にふかし甘藷
 それとは言わずとも、お爺ちゃん心溢れ出ています。

樅秀で梅雨爽涼の月あかり
 この句は昨年の橡七月号「季節の俳句」でも解説しましたが、男の孫誕生に際して「爽」の字を名前に与えたゆかりの作です。

 こうして見てきますと独創的であるためには他人の句をたくさん読むことの大切さを思い知ります。そして孫俳句であろうと何俳句であろうと、眼前の五七五に力があるかないか、一大事はそれだけということ。力のある句へ至る道のりは遠く、長いなあと。ではその道程を楽しんで歩きたいと思います。

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