なかなか釣りに行けない

なかなか実釣出来ず、稀の釣行を夢見て、机上の空論を重ねる備忘録です。

震災遺構を初めて巡って(20190616)

2019年06月16日 16時29分17秒 | 日記

震災遺構を初めて巡って(20190616)

なかなか釣りに行けない。
今日も仕事で、先週までもずっと仕事。
ちょうどTVドラマで「わたし、定時で帰ります。」があって、奥が録画していたのを見たりしていた。
もう本当、毎日がほぼTVで観たままな感じ、”ブラック”だなあと思ってしまう。

もちろん、そんな泊まり込み残業は自主的なので、強制されてはいない。
でもそうしないと終わらないから、ぶっ通しの終日残業になる。
それでとうとう金曜昼、椅子で項垂れ、イビキかきながら寝落ちしてしまった、約15分ほど。


6月、今週末はようやく釣りに行けそう。
来週末も、近場ならどうにか。
本当は広島に行きたい。
そして70m超のポンドに50mラインを投げ込みたい。
でも金銭的に難しい。

この7月下旬は新潟から宮城廻りで約9日間ほど出張&年休遠征。
でも家族全員での宮城入りは久しぶりだから、観光とか挨拶とか社会見学とかで、釣りばかりというわけにないかない。
それでもどうにか、魚野川と江合川(荒雄川も含めて)は押さえてみたい(広瀬川澱橋から愛子駅までの区間も)。
娘が名取市のショッピングモールに行きたいというので、その間に名取川でニゴイ狙いのフライか。
震災の慰霊碑にも是非参りたい、今度こそ家族全員で。


先の5月、飯野川の可動堰(サクラマスポイント)に行く前に、旧大川小学校跡地に初めて参った。
多くの学童と地域住民が犠牲となった衝撃的な旧大川小学校の残骸。
石工 浜田彰三 氏 彫刻の「子まもり」像は、近くの長谷山観音寺跡地に移転されていた。
そこにある大きな碑盤には、震災で生涯を閉じられたこの土地の多くの方々のお名前と享年が刻まれていて、
その幼い子供達の名の多さが、私の胸を鷲掴みにした。
見渡すかぎりもはや民家などなく、流された家の基盤もむき出しのまま、晒されていた。


この時は実家の庭から色香盛んな木花を寄せて持参したが、それ以外は全くの手ぶら。
日曜休日ではあるけれど人通りの閑散とした跡地、枯草や風砂が舞っていた。
旧大川小学校跡の慰霊碑に献花の水があって、ここに実家の木花を挿した。
震災から早8年が経ち、その遺構として残されたこの跡地。
私の親戚もここで、教師として子供達と共に流された。
子供逹を安全に引率するべき教師である私の親戚がだ。
この学校側への非難は、そのまま私達に突き刺さった。


今回は久しぶりの帰省、ふと気になって、この大川小学校の悲劇の顛末を両親に聞いた。
十分な高さのある新北上大橋に避難する事が最も安全だ、というのが皆の総意だったらしい。
決して引率教師の判断ミスや、一部の大きな声の恣意ではなかったそうだ。

それを確かめに、旧大川小学校跡地から北上川沿いに、波に呑まれた新北上大橋右岸を目指した。
歩いて5分程だろうか、思ったより早く新北上大橋右岸に着いた。
この道のりを、被災した子供達と教師、そして地元の方々が辿った。
橋の山側はコンクリで切り立った崖、川面から10mはあろうかという高台。
しかもそこには古くからの石碑が立ち並んでいて、おそらく数百年もの間、自然災害の”安全地帯”だったのだろう。


皆がこの場所を目指したのは無理もない、そう感じた。
また逆に、ありえない事がおこるのが自然災害だ、とも思えた。
でも、この未曾有な自然災害の悲劇と巻き込まれた方々の無念、その責任の一端を、どこに探せばよいのだろう。
数百年来の石碑、背面の崖、10m下方の川面を見比べ、ここを目指した判断を、一体誰が非難できるというのか。
何故なら、これこそがまさに自然災害の正体、なのだから。


https://www.youtube.com/watch?v=DW0dqWR4S7M
「石巻市立大川小学校の近くに押し寄せた津波 - Youtube」
閲覧注意、新北上大橋右岸の津波映像、SankeiNewsより

旧大川小学校跡地に戻る途中、橋右岸の石碑に参った。
流失して再整備されたのだろう、まだ新しい大理石の基盤。
古くからの石碑と共に2011年の慰霊碑も建立されていた。

その石碑の元に真新しいワンカップ日本酒があった。
誰かが置いていったのだろう、この石碑ゆかりの方だろうか。
でも私は、ほんのわずかな浄財以外、何も持って来ていない。
なんということだ、手ぶらでここに来てしまっただなんて。

ふと気づくと、その大理石が、枯葉や枯草、砂塵で汚れている。
よく見渡すと、石碑の奥に掃除用箒の長柄が見えた。
誰もいない日曜日の昼下がり、この箒を使って掃除しても非礼ではなかろう。
今はお昼ご飯時、誰が見ているわけではないし、誰かに見せるためでもない。
また、稀に訪れる私が勝手に掃除したところで咎め立てられるものでもない。


今から飛行機に乗ろうかという格好のまま、かなり汚れた長柄箒を手に取る。
軍手を持ってくるべきだったなと思いながら。
掃き進めてみると、砂塵がなかなか取れない。
風雨を浴びて大理石にこびり付いているのだ。
それでも一生懸命に掃く。
そうすると砂塵が5月の風に舞い上がり、私を頭から襲い始める。
それでも一生懸命に掃く。
どんどん掃き続ける、もうもうと迫る砂塵の闇の中で。
すると少しずつだけれど、5月の日差しを受け、大理石の岩肌がまた深く輝くのが見えた。


今の私にこの地に出来ることは、これくらいしかない。
あの2011年に、私は何もできなかった。
だからこれくらい、全くたいしたことではない。
これで大層なことをした気になってはいけない。
何故なら私は、これまで何もしてこれなかったのだから。
これくらい、まだ全然足らない。


結構広い敷地、もうどれほど掃き続けたのかわからない。
でも終えてみると随分綺麗になったように見える。
手を見ると、そこは逆に真っ黒だった。


次は自前の掃除具を持ってこよう、箒と水とバケツと雑巾、そして私の家族。
長柄箒を元に納めながら、そう誓った。

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