ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




宮田染物店。松戸市松戸1680。1989(平成元)年4月2日

松戸駅の西を県道5号線(流山街道)が南北に走っている。水戸街道の旧道で、商店はだいぶ減ってしまったが商店街の通りだ。松戸駅からその通りへ出て南へ750mいくと角町(かどちょう)交差点。写真の建物はその少し手前にあった。今改めて写真を見ても、こんな銅板張りの看板建築があったのかと、どうも思い出せない。現在は駐車場になっている。
宮田染物店は当ブログの「山崎金物店、天野理髪店」の1枚目の写真の左、小松湯の左にあった。上の写真の右、民家としか見えない建物が小松湯だ。山崎金物店の写真で「近藤パン店」とした建物が商売をやめて、ヤマザキパンの店舗のファサードを取り払ってみたら銅板張りの看板建築が現れた。それは現在も見ることができる。
『昭和の松戸誌』(渡邉幸三郎著、崙書房出版、平成17年、1905円)には「宮田染物店は戦後廃業。四代目。パラペット壁は印象的。裏に現住。」と解説されている。

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小町通り。鎌倉市小町2-1、10。2016(平成28)年6月29日

小町通りの中間辺りで、アーチのすぐ後ろに扇川を渡す瀬戸橋があるのだが、人が前にいてまったく分からない。小さな橋で欄干が低いから歩いていても気が付かない人もいると思う。扇川という名前は上流の扇ガ谷(おうぎがやつ)から付いたものだろう。また、瀬戸橋というのは小町通りが昔は「瀬戸小路」と言ったからで、小町通りというようになったのは戦後のことだという。
橋はRC造で北東の親柱に「昭和貮拾七年拾壹月竣工」と彫られている。文字はへこんだ枠の中に彫られているが、元はそこにはめ込まれた銘板があったのだろう。「鎌倉小町商店会」は架橋と同じ昭和27年(1952)に発足した。

橋の袂の「富士洋傘小町店」は鎌倉市梶原に本社があり、小町店の出店は1960(昭和35)年。店舗は扇川の上にかぶさるように建てたものだろう。



瀬戸橋から見た扇川と「瀬戸橋」と彫られた親柱。2016(平成28)年6月29日



中の下馬橋。小町2-10。2016(平成28)年6月29日

扇川は瀬戸橋から下流は暗渠になり、若宮大路に出てところで南に曲がっていたようだ。そこに架かっていた橋の欄干が残っている。ネットでは「中の下馬橋」の跡といわれている。橋の名前が分からないので、ここでもその名前を使うが、ほかの名前があったように思える。
扇川は若宮大路に沿って南下し、鎌倉郵便局の辺りで通りを横断すると、水面が現れる。そこから南へ、滑川に合流するまで170m余りだ。

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