ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




八柱霊園納骨堂。松戸市田中新田48。2005(平成17)年3月30日(4枚とも)

「八柱」は意味からいうと「谷・端・等」なのだという。「やはしら」か「やばしら」かで迷う。新京成八柱駅は「やばしら」、武蔵野線新八柱駅は「しんやはしら」。昔の「八柱村」からきているわけだが、ウィキペディアでは「やはしらむら」で、それが正しいようだ。今言われる「八柱」は「やはしら/やばしら」としているからどちらでもいいのだろう。言いやすいので「やばしら」が優勢になってきているかと思う。
住所の「田中新田」が妙である。八柱霊園は台地の上に広がっていて、水田などは昔からなかったと思われる。台地の三方を囲むような谷あいの水田を指したのだろうか? 畑でも新たに開拓した土地は「新田」だったのかもしれない。
八柱霊園になる以前は「田中山」というのが通称だったという。『昭和の松戸誌』(渡邉幸三郎著、崙書房出版、平成17年、1905円)によると、『松戸市史 資料編(5)』からの引用として「この地は幕府直轄領だったのを行徳の田中三左衛門が享保年間(1716~36)に開発・所有したところから田中山の名で呼ばれた」「幕末大山火事にあい復興ならず紙敷の湯浅宇右衛門の所有になり、そして地主は大正9年(1920)末現柏市花野井の吉田甚左衛門に移り、昭和6年10月東京市営公園墓地に決まって73町3反3畝10歩を買収された」とある。



八柱霊園納骨堂南側面

東京都立八柱霊園は昭和10年7月1日の開園。その当時の建造物である納骨堂、正門、噴水、給水塔などが残っている。中央通りのコンクリートアーチ橋もあるいは。
納骨堂は『日本近代建築総覧』では「八柱霊園納骨堂、松戸市八柱霊園内、建築年=昭和10年6月、備考=東京都の管理 聞込みによる」。
千葉県近代建造物実態調査報告書>22 八柱霊園納骨堂』によると「竣工年:昭和10年、所有者:東京都、設計・施工者:不明、構造:RC、外壁:タイル張り、屋根形状・葺材:宝形造,瓦棒鉄板葺、建築規模:187.1㎡(増築部含む)」。北側の平屋部分が昭和47年の増築によるもの。
東京都八柱霊園案内図』では「やはしら」とふりがなをふって、「昭和12年に納骨堂を開設」とある。



噴水と給水塔

正門を入るとフランス庭園風の広場で奥に噴水、さらに奥の階段を上ったところに宝塔形の給水塔が建つ。階段下の庭園は小さな谷になっていて、階段が谷の突き当り、正門が谷の出口に当たる。墓地は台地の上に広がっていて、正門前の広場からは周りが高いから墓地は見えない。地形を利用した見事な配置である。

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