大松閣。千代田区富士見2-4。1985(昭和60)年8月4日
左写真は大神宮通りの坂道の途中から大松閣を見たもの。右側に見えている家並みはすでにビルに建て替わっているのが多く、それらのビルは今も変わらない。「コクヨ製品」の看板は「南信堂文具店」で、現在は「キヤビル2」というビルに替わっている。写真右端の木屋酒店はキヤビル1からキヤビル2に移ったようだが、今は酒屋をやっているようには見えない。ビルの運営に業務転向したのかもしれない。「東芝カラーテレビ」の看板は「 田川電気商会」で、4階建てのビルに建て替わっている。
大松閣は東京大神宮の、結婚披露宴などを行う施設だったと思う。今は「朝日観光ビル」という名称のビルに替わったが、「東京大神宮マツヤサロン」の名で営業しているらしい。「大松閣」の名は、写真のビルと共に消滅したようだ。
大松閣。1988(昭和63)年1月15日
『日本近代建築総覧』には「建築年=昭和8年、構造=RC4階建・地下1階、設計=渡辺仁、施工=清水組」とある。帝冠様式になるのかよく分からないが、ビルのデザインは神社の意向が大きかったのだろう。「渡辺仁、帝冠様式」といえば、東京国立博物館(昭和12年)である。その有名な作品を手掛ける前に大松館があったことを押さえて置いてもいいかもしれない。
『帝都復興せり!』(松葉一清、1988年、平凡社、2400円)には、「渡辺の和風連作のひとつ。建物全体は得意の古典主義の禁欲表現で引き締め、屋根と軒裏の垂木で和風独特の雰囲気を作り出している。」と解説されている。goo古地図の昭和22年と38年の航空写真では屋根の形が異なるので、5階は戦後の増築だと思う。
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