ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




民家。千代田区富士見2-1。1985(昭和60)年8月4日

東京大神宮の向かいの横丁で、写真奥に大松閣が写っている。大神宮通りの裏手になり、関東大震災後に建てられたと思われる木造の民家が密集していたようだ。写真左から、元二軒長屋、1戸建て住宅、庭付き1戸建て住宅、と並んでいて、現在はこの3軒の家のところは「プラース千代田富士見」(9階建、65戸)というマンションが建っている。その完成は2009年3月で、割と最近まで写真のような景観が残っていた。
都市徘徊blog>富士見の木造家屋群(2013.05.18)』で、以前の民家と現在のビルとが見比べられて興味深い。そのブログによると、民家は2008年4月頃から順次解体されていったという。道幅が拡げられて、その分は歩道になったようである。黒板塀を割って伸びている大木は今も残されて、歩道をふさぐように立っている。1・3枚目の写真では塀の中に納まっている。



民家。富士見2-1。1988(昭和63)年1月15日

写真左の家は元は二軒長屋だったもの。その右の路地の奥に見えているのは、1986年の住宅地図で「ダスキン中山」となっている二軒長屋。右後ろのビルは大神宮通りに面している。



民家。富士見2-1。1989(平成1)年5月4日





2004(平成16)年1月3日

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左:富士見会館、右:第2富士見ビル。千代田区富士見2-1。1986(昭和61)年9月23日

東京大神宮前の三叉路の角にあったレンガの外壁のビルとその隣にあった洋風のモルタル壁の建物。現在はこの2棟のところに「ジャイアンツチャリティテレカ事務局」というビルが建っている。
1986年の住宅地図では、2棟まとめて「富士見会館/伸和興業」で、写真では腰折れ屋根の建物に「第2富士見ビル」の看板が見える。富士見会館は4階かと見えるアーチの窓があるが、4階だとすると天井が低すぎるから3階の天井が高いのだろう。1階に「サンメイト」という店がある。「サクラカラー」の幟はこの店のものだろうか?
これらの建物は『 東京-昭和の記憶->富士見 大神宮通り>2』に載っていて、富士見会館の側面の写真もちゃんと出ている。

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大松閣。千代田区富士見2-4。1985(昭和60)年8月4日

左写真は大神宮通りの坂道の途中から大松閣を見たもの。右側に見えている家並みはすでにビルに建て替わっているのが多く、それらのビルは今も変わらない。「コクヨ製品」の看板は「南信堂文具店」で、現在は「キヤビル2」というビルに替わっている。写真右端の木屋酒店はキヤビル1からキヤビル2に移ったようだが、今は酒屋をやっているようには見えない。ビルの運営に業務転向したのかもしれない。「東芝カラーテレビ」の看板は「 田川電気商会」で、4階建てのビルに建て替わっている。
大松閣は東京大神宮の、結婚披露宴などを行う施設だったと思う。今は「朝日観光ビル」という名称のビルに替わったが、「東京大神宮マツヤサロン」の名で営業しているらしい。「大松閣」の名は、写真のビルと共に消滅したようだ。


大松閣。1988(昭和63)年1月15日

『日本近代建築総覧』には「建築年=昭和8年、構造=RC4階建・地下1階、設計=渡辺仁、施工=清水組」とある。帝冠様式になるのかよく分からないが、ビルのデザインは神社の意向が大きかったのだろう。「渡辺仁、帝冠様式」といえば、東京国立博物館(昭和12年)である。その有名な作品を手掛ける前に大松館があったことを押さえて置いてもいいかもしれない。
『帝都復興せり!』(松葉一清、1988年、平凡社、2400円)には、「渡辺の和風連作のひとつ。建物全体は得意の古典主義の禁欲表現で引き締め、屋根と軒裏の垂木で和風独特の雰囲気を作り出している。」と解説されている。goo古地図の昭和22年と38年の航空写真では屋根の形が異なるので、5階は戦後の増築だと思う。

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小山湯。三田1-11
2012(平成24)5月16日

旧町名「三田小山町」に由来する名をつけた銭湯。広くはないが住宅街が広がる低地が、寺や旧屋敷が乗る三田の台地になる崖下に位置する。奥に細い階段が見えていて、しなびた山の温泉場のように見えなくもない。
建物は大正10年に建てられ、関東大震災に耐えたものという。2007年1月末で廃業した。内部の様子は『入浴情報>小山湯』に、2005年のレポートがある。『東京消えた街角』(加藤嶺夫、1999年、河出書房新社、2500円)にある昭和43年の写真には、屋根の軒下にネオンサインが下がっている。「小山湯」の字を縦に置いて、三方を波線で囲った簡単なものだ。今なら風俗営業を連想するが、当時の人には普通だったのだろうか。
東京真空地帯>港区三田1丁目』に、小山湯の手前にあった「小山館」という下宿屋の写真が載っている。昔の航空写真を見ると、中庭がある「ロ」の字形平面の2階建ての木造アパートだった。



寺井雑貨店。港区三田1-11。左:2012(平成24)5月16日、右:2011(平成23)年9月13日

東京さぬき倶楽部の門の横に残っている古い商店建築。現在は廃業した様子だが、1995年の住宅地図では「寺井雑貨店」。右の写真は角を曲がった、店舗だったと思われる側。

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