ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




天龍(乾物問屋)。中央区築地7-6。19986(昭和61)年頃

築地本願寺の横を通って備前橋(今はない)を渡ると築地7丁目の三叉路の交差点に突き当たる。その角にあった。天龍と同じ建物の左は「とりいせ」というヤキトリ屋。飲み屋ではなく食材の店かもしれない。
同じような写真を2枚、掲載するほどの建物ではないが、ページの訂正を整えるためである。下の写真では天龍の右の建物の半分がなくなっている。



1991(平成3)年5月5日

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海水館前の長屋。中央区佃3-9。1991(平成3)年1月20日

写真右の長屋は当ブログ前々回の橋本理髪店のある長屋。写真左で道路は曲がっていて、その角にあるのが左の洋風の家。撮影時の住宅地図では天理教分教会だ。2軒長屋を看板建築風にしたものかもしれない。写真中央の家とその右の2軒長屋が現存している。



天理教分教会。1989(平成1)年12月31日。写真の向かいに海水館の碑がある。


海水館跡
『角川写真文庫・東京文学散歩 下町編』(野田宇太郎監修、1955年)より

本文には「……島崎藤村が小説“春”を朝日新聞に執筆した頃よく行った海水館という海辺の下宿旅館も、建物は大部変わったがアパートとなって残っている。……」とあり、写真のキャプションは「新佃東町の海水館 入口の所は昔のまま」。
写真の洋館の後ろのビルは、現在同じ場所に建っている3階建ての「海水館アパート」なのかもしれない。海水館アパートの玄関を見るとかなり古そうなビルに見える。

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小浦邸。中央区佃3-4。1985(昭和60)年6月2日

清澄通りの新佃島バス停の前。壁面にレリーフを施した洋館の住宅があった。今なら大通りに面して住宅を建てることなど考えられないが、戦前であってもこの辺りは工場とそこに勤める工員向けの長屋が立ち並ぶ町で、かなり目を引いたのではないだろうか。
写真左の家は「帝国メタル工業」で、戦前からの会社らしい。右のマンションは「佃大橋ビル」で、小浦邸との間には路地が通っている。


左:1989(平成1)年12月31日、右:19909(平成2)年1月21日
南洋のジャングルの中に立っているようにも観たてられる。「植民地風」と表現した本があった。
昭和20年代の火保図に、洋館の後ろの家「葛原医義」と=で結ばれている。葛原医院として建てられた建物らしい。『月島物語』(四方田犬彦著、集英社、1992年)に「壁に紋章を頂いたバルコニーのある新佃の葛原医院は廃屋になっている」という記述が出てくる。

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橋本理髪店
中央区佃3-9
上:1991(平成3)年1月20日
左:1990(平成2)年1月21日

当ブログ前回の高津工務所の斜向かいの長屋。今も健在である。写真右の店が橋本理髪店で青い日よけに「ヘアーサロンハシモト」と書いてある。五軒長屋のように見えるが屋根を見ると2箇所に切れ目があるから、真ん中の家の両側に2軒長屋が並んでいるようだ。
左写真は上の写真の左端に写っている長屋の隣の家。現在はこの家だけでビルに建て変わった。

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長屋。中央区佃3-2。1989(平成1)年10月29日

佃3丁目は月島の背骨のような清澄通りの東側で、相生橋、初見橋交差点、佃水門を頂点にする三角形の地域である。元からあった佃島の南側に、明治期に新たに埋立てて造成された。月島ができた後の工事のようだ。旧町名は新佃島東町。
有楽町線と大江戸線の月島駅に接しているが、もんじゃ目当ての観光客は入ってこない。大型のマンションも相生橋たもとの「相生の里」という高齢者用の区が運用する施設ができたくらいで、いまだに木造2階の長屋が多く見られる。長屋各戸ごとに小さいビルに変わっていっているような感じだ。
写真の長屋は清澄通りの新佃島交差店から東へ入ったところ。2軒長屋が2棟並んでいる。ちょっと見ると同じ形式の長屋に見えるが、左のほうには1階の瓦屋根がなくベランダ状にしている。この長屋の背後にも長屋が立ち並んでいるのだが、その路地に並んだ長屋より、表通りに面した写真の長屋の間口は少しばかり広いようだ。
現在では左の長屋が、表面を改装しているが、残っている。



高津工務所。中央区佃3-2。1989(平成1)年12月31日

1枚目の長屋からさらに東へ行った並び。そのまま写真右方向へ行けば海水館跡に突き当たる。高津工務所の建物は2軒長屋の表面を改装したものだろう。隣の家と写真右の家は建て変わったが、高津工務所は現在も写真のままの様子で立っている。

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藍熊ビル。台東区雷門1-5。1988(昭和63)年5月1日

写真右の大通りは浅草通りで、右奥へ行くと厩橋である。写真中央に網をかぶせられた浅草電話局旧館がある。藍熊ビルの後ろは区立田原小学校がある。旧住所の田原町(たわらまち)は写真中央の横丁から左側で、国際通りまでだ。
写っている建物は左から、台東氷業と麻雀まき、波木商店、藍熊染料、岡田実夫商店。


1988(昭和63)年5月1日

藍熊染料のビルは『日本近代建築総覧』に「S2、RC3、設計・施工:島崎組、S49に1F改造」。
藍熊染料はそのHPによると、1818(文政1)年に荒井熊次郎が現在地に「越中屋」の屋号で開業した。染料の老舗だ。明治中期には藍蝋の製造に成功し、「藍熊染料店」と改称している。藍蝋とは「藍染めの布を苛性ソーダなどを加えた液で煮出して藍を回収し、煮詰めて棒状にしたもの」。
1990(平成2)年に現在の8階建てのビルに建替えた。

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