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ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 





巽倉庫、秦野精麦
千葉県野田市中根132
2006(平成18)年4月29日

東武野田線野田市駅から東へ400mほどのところの線路際に倉庫が2棟縦に並んでいる。倉庫の扉に「巽(たつみ)倉庫」と書いてあるので名称は分るが、その正体はなにも分らない。キッコーマン工場への引き込み線の線路が倉庫の横まで来ていたような感じだが、キッコーマンとの関連も分らない。倉庫はすでに使用されていないように見える。
上写真の右に門がある。それが左写真で、門を入ったすぐ右に下見板張りの洋風の2階建家屋があった。門柱には左に「巽倉庫」右に「秦野精麦株式会社 肥料工場」の表札があった。
左写真の家の前には、2010年頃からだと思うが、「ボーイスカウト野田第1団」「けやき広場」の看板が挙げられていた。「エクラシア野田」が建って家は取り壊されたようだ。



秦野精麦株式会社 肥料工場。野田市中根132。2006(平成18)年4月29日

門はトラックの出入り口だったと思われる。上の写真は門から中を覗いたもので、奥の建物が秦野精麦の肥料工場らしい。守衛小屋はトラックの発着をチェックしていたのだろう。線路沿いの倉庫は秦野精麦のものだった可能性が高い。工場が盛業中のときは肥料の袋が倉庫に貯められていたのだろうか?
写真の工場は、2019年7月に「エクラシア野田」という木造2階建て50戸の高齢者向き集合住宅に建て替わった。



巽倉庫。野田市中根132。2006(平成18)年4月29日

最近、東武野田線は清水公園駅-梅郷駅の間を高架にした。2021(令和3)3月28日が運用開始日。それによって11か所の踏切が廃止になったという。写真手前の踏切は「野 第169号踏切」。廃止になった踏切の一つ。

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旧平井家住宅。千葉県佐倉市新町(しんまち)186。2002(平成14)年5月5日

国道296号(写真右の通り)の新町交差点(写真右奥)のすぐ南の信号のある交差点の角にある、元酒屋の建物。左(西)にいく横丁は佐倉城の大手門に至る。佐倉城からの通りと旧成田街道が合わさる要衝だった地点だ。
佐倉市>旧武居家住宅、旧平井家住宅』によると、平井家は江戸時代以来の有力商家で、藩の御用商人として薪炭類を扱っていた。1872(明治5)年には新制度の郵便御用取扱い人になり、佐倉郵便局の起源となった。取扱所(郵便局)は新町43番地(新町通りの佐倉図書館=旧佐倉新町郵便局の辺りだろうか)にあったという(平成8年度歴史的建造物詳細調査と現在の状況について)。明治の一時期休業するも、明治後期には酒屋になって新町の大手商家の勢いを取り戻した。1958(昭和33)年に当主の高齢化により閉店、貸店舗としていたが、2008(平成20)年に佐倉市へ寄贈された。現在は建物を残して活用してくれる企業を募っているようだ。



旧平井家住宅。佐倉市新町186。2002(平成14)年5月5日

建物(店舗兼主屋・座敷棟・脇蔵)は2016(平成28)8月に国登録有形文化財に指定された。
店舗兼主屋は、1886(明治19)年に火災で焼失した後、建替えたもので、明治20~24年頃の建築と推定できる。主屋の裏に増築された平屋が座敷棟で、1931(昭和6)年の建築。横の通りに入ると庭越しに眺めることができる。脇蔵は1917(大正6)年の建築。土蔵造2階建。脇蔵の2階へは主屋から出入りする。敷地の西北に大谷石の2階建の蔵(石蔵)があるが詳細は不明。

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三谷家住宅。千葉県佐倉市弥勒町(みろくまち)186。2002(平成14)年5月5日

旧成田街道の、鈴木金物から西へ100mほどのところにある商家。2001年に佐倉市登録有形文化財に指定された。『佐倉市>三谷家住宅』によると、「江戸時代からの呉服太物を扱う老舗として佐倉に唯一残っている商家」。まだ商売をしているかのような言い方だが、どうもそうは見えない。店売りをしていないだけかもしれないが。「袖蔵の創建は棟札により明治17年(1884年)と判明し、主屋もその頃には建っていたと考えられる」。「主屋」は写真左の出桁造りの店舗。「座敷屋は昭和10年(1935年)位頃に建てられている」。座敷屋は主屋の後にあって、写真左手前の横丁に入ると覗ける。「いずれの建物も近代の佐倉における有力商家にふさわしく造形的に優れた建物であり、出桁造の主屋と並んで袖蔵が建つ当時の商家の構えが残されている」ということで、佐倉に残っている商家の中では最も大きい店構えが見られる。
三谷家住宅の旧成田街道の向かいに「三谷屋綿店」という大きな蒲団屋がある。三谷家と縁戚関係にあるのだろうか?



元商家。佐倉市弥勒町183。2002(平成14)年5月5日

三谷家住宅と横丁を介して並んでいる商家だったと思われる家。佐倉市登録有形文化財になってもよさそうな物件だが、詳細が分らないからだろうか。

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鈴木金物株式会社。千葉県佐倉市弥勒町(みろくまち)148。2002(平成14)年5月5日

鈴木金物があるのは旧成田街道(蘭学通り)の、佐倉順天堂記念館のある本町交差点から西へ350mのところ。鈴木金物のHP によると、「明治3年12月、印旛郡佐倉町に於いて、桐箪笥等の家具、建具等の製造販売そして、金物製品の販売を営みとして創業」し、今は「金物製品を中心とした生活用品や建築・土木資材販売」の会社。写真の店舗の左は蔵で、右には資材置場と建材の加工場がある。


民家。佐倉市弥勒町159
2002(平成14)年5月5日

鈴木金物の向かいにあった民家。今は建て替わって普通の住宅になっている。

成田街道は佐倉市では現在の国道296号とほぼ重なる。西から来ると佐倉城の北をかすめて京成佐倉駅の手前で南へ曲がり(市役所通り)、新町(しんまち)交差点で東へ(新町通り、蘭学通り)、クランクを経て順天堂記念館の前を通って東へ続いている。この辺りは台地に細かく谷が入り込んでいるのだが、街道は台地上の尾根を、谷に下りるのを避けるように通っている。江戸-佐倉藩の往還として整備され、成田山新勝寺へも延長されたように思われる。国道から外れる部分を「蘭学通り」としたのだろうか。明治以降はこの成田街道沿いに街が発展してきたようだ。戦前築の古い商家はほぼ成田街道沿いに点在して残っている。

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県立佐倉高等学校記念館。千葉県佐倉市鍋山町(なべやままち)18。2002(平成14)年5月5日

1910(明治43)年(授業開始は4月28日、落成式は11月10日)に「千葉県立佐倉中学校本館」として建設された校舎。現記念館が建つ前は佐倉中学は佐倉城追手門前にあったらしい。建設に当たって、最後の佐倉藩主堀田正倫(まさとも)から土地の購入費と建設費4万2千円が寄付された。
設計は久野節(くのみさお、1882-1962、東京帝国大学建築学科卒業、千葉県技師、後に鉄道省の初代建築課長)、後藤政次郎(詳細不明、棟札にあった名前と思われる)。『日本近代建築総覧』には竹川駒次郎の名前も載っている。施工者は『総覧』では島崎留次郎。
木造2階建ての建物の平面は東西に長く、西端で北側に突き出た部分がある。外壁はドイツ下見張り(板を横に張り、その合わせ目は目地にして面は垂直)。屋根は当初は石製スレート瓦葺。南側には縦長の教室の上げ下げ窓が並び、廊下は北側。中央の玄関周りは柱を外面に出した「スティク・スタイル」という様式。玄関両脇のドームを載せた塔と、中央の丸窓の屋根、大棟の換気塔が建物を特徴付けている。
1974(昭和49)年、新校舎が竣工し、「記念館」と改称した。記念館は管理棟(校長室、職員室、会議室、応接室、事務室、保健室等)として使用されることになる。2005(平成17)年に国登録有形文化財に指定された。



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大多喜活版所。千葉県夷隅郡大多喜町久保191。2003(平成15)年6月1日

大多喜駅から大手町通りを東へ行くと200mで城下町通りに出る。そこで真っ先に目に入るのが、大多喜活版所と奈美喜手房が並ぶ景観だ。2棟とも近年改修したのかと思われるくらいきれいだ。右側に軒を延長した形で門を構えているところが似ている。ただし、大多喜活版所の2階の高さが格段に高く、大きさも奈美喜手房の倍ほどもあって迫力がある。
大多喜活版所は社名に「活版」とあるが、活字を使った名刺などを作っているのかは知らない。たぶん昔からの社名が続いているだけなのだろう。奈美喜手房は手芸品や布製品小物などを売っている店。土産屋といっていいようだ。
観光案内の地図では大多喜活版所が「旧高師邸」「高師邸(活版)」、奈美喜手房が「奈美喜邸(生糸)」で載っている。
Deepランド>歴史散歩>大多喜⑹』によると、「松井天山が描いた昭和5年の鳥瞰図」には「大多喜活版所」と「並木肥料店」として載っているそうだ。


奈美喜手房。大多喜町久保187。2003(平成15)年6月1日

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伊勢幸酒店の向かい側。千葉県夷隅郡大多喜町久保170。2003(平成15)年6月1日

県道127号(城下町通り)にある国登録有形文化財の伊勢幸酒店の向かい側の家並み。写真では商店の構えにした家が6軒並んでいる。現在は、右端の家はなくなって空き地。その左の看板建築のような2軒は「川とや」という骨董屋に建て替わった。写真右手の街灯の右に、隠れるようにバス停が写っているのだが、小湊バスの「久保」バス停。このバス停は今も同じ位置に多分同じ標識のものが置いてある。街灯の左にあるのは煙草の自販機。
写真中央より左の2軒は、商店のような外観を改装して住宅になってしまっている。その左の方はGoogleマップに「鈴木クリーニング店」とあるので、撮影時ではそれだったのかもしれない。
さらに左の2階建陸屋根の家が「中村タイヤ商会」。写真の家並みの中で、現存していて外観が変わらない唯一の家だ。

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渡辺家住宅。千葉県夷隅郡大多喜町久保。2003(平成15)年6月1日

大多喜駅から東へ200mの県道127号(城下町通り)に面している、江戸期に建てられた商家。1969(昭和44)年に国指定重要文化財になっている。
現地の案内板(平成2年、大多喜町)には、「嘉永2年(1849)年に地元猿稲町(さるいねまち)の棟梁、佐治兵衛によって建造された江戸時代末期の代表的な商家造り」。嘉永2年は黒船来航の4年前。「猿稲」の地名は今も在り、渡辺家住宅の久保町の少し北、いすみ鉄道がカーブしている内側(南)である。「寄棟桟瓦葺(創建時は茅葺)2階建で、正面入り口は縦格子戸を、表板戸には上下戸をつけてある」「慶応4年(1868)に房総地方鎮撫副総督柳原前光が宿泊した記念の資料が残されている」などとある。
千葉県>渡辺家住宅』によると、「渡辺家は、大多喜藩の御用達を勤めた町の大通りに面した商家で、「穀家」の屋号で知られる」とある。なんの商売をしていたのか書いていないのだが、屋号から米だろうか。いろいろ手広くやっていたのかもしれない。茅葺きから瓦葺きに改修したのは1934(昭和9)である(まるごとe!ちば>渡邉家住宅)。


洋品店。大多喜町久保
2003(平成15)年6月1日

渡辺家住宅の北はセブンイレブンの駐車場だが、そこにあった洋品店。

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田中蒲団店。千葉県夷隅郡大多喜町久保。2003(平成15)年6月1日

写真の通りは県道172号で、大多喜駅付近では主要な通りである。右奥の民家が重要文化財になっている渡辺家住宅で、その南に並ぶ家並み。現在も写っている4棟は残っていて変わらない景観だ。地名の久保は窪地のことらしい。大多喜駅から大手町通りを東へ行くと200mで写真のセブンイレブンの看板のところに出るが、その間ずっとゆるい下り坂である。
写真左の家がGoogleマップに「田中ふとん店」とあった。看板がないので営業しているのか心配だが、声がかかれば蒲団の打ち直しなんかをやるのかもしれない。



山本燃料店。大多喜町久保。2003(平成15)年6月1日

1枚目写真の左から3軒目の家。Yahoo!地図に「山本燃料店」とあった。店頭に出ているのは炭・練炭・七輪などだろうか。ストリートビューで現状を見ると、2階の窓に角材で手すりが取り付けられている。昔の外観に復元したように見える。1階のガラス戸が取り替えられているが、左右の端に戸袋が作られた。これも復元したのかもしれない。建物左の木戸が取り払われて車が入るようになった。

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レストラン キャノン。茨城県牛久市柏田3612。2005(平成17)年12月13日

醗酵室(神谷傳兵衛記念館)の西端から南へ突き出した、元・貯蔵庫だった平屋の煉瓦造の建物。東側の壁は木造だった。レストラン「キャノンCANON」の開店は1976(昭和51)年9月。
国指定文化財等DB>シャトーカミヤ旧醸造場施設』の解説には「貯蔵庫は、煉瓦造平屋建、建築面積404.58平方メートルで、南妻を寄棟とする。当初の西面は腰の高い位置に小さな丸窓を並べた倉庫然とした貯蔵庫であるが、現在は、丸窓の下部を穿ち大きな開口とする等の改造を施してレストランに活用している。小屋組は木造のキングポストトラスとする」とある。
牛久シャトーの建物は3棟とも2011年の東日本大震災で被災し、2016年3月で復旧工事が完了した。閉店していたレストランは2015年1月に「レストラン」として再開された。ところが2018年12月でまたも閉鎖に。思うように客が増えなかったようである。それが日本遺産の認定に合わせてまた復活された。

2007年、経済産業省は牛久シャトーの旧・事務所、醗酵室、貯蔵庫の3棟を「牛久醸造場関連遺産」として近代化産業遺産(18.官民の努力により結実した関東甲信越地域などにおけるワイン製造業の歩みを物語る近代化産業遺産群)に認定した。2008年に国指定の重要文化財に、2020年には文化庁より日本遺産(日本ワイン140年史~国産ブドウで醸造する和文化の結晶~)に認定された。

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