相澤三郎
相澤三郎考科表抄
考科表とは陸軍の定期異動 ( 進級、退職も含む ) の月たる八月、
それに異動のある三月、十二月の人事異動の参考に資すべく、
直属上官が作成する部下の成績表である。
官衙 ( 陸軍省、参謀本部、教育総監部など ) や諸学校においても、
もちろん局長、部長、課長、校長などにより考科表は作成されるが、
聯隊に勤務する将校 ( 中佐以下の隊付将校 ) はいずれも聯隊長がつくる。
聯隊長の考科表は師団長が作り、
少将、中将の階級にある軍人の人事は、人事局長、陸軍次官、参謀次長、
教育総監本部長、参謀総長、教育総監でほぼ決せられ、
最後の決定は官制により人事権を持つ陸軍大臣によりなされるのである。
この考科表により青年将校時代の相澤の成績は判明するし、
また後年 相澤事件を起す精神的萌芽が既にいくつかの箇所にあらわれていることは、
読まれるごとくである。・・・現代史資料23 国家主義運動3 資料解説 から
一、性質
朴直にして活氣あり、志操堅確にして高尚、
気概頗る新取の氣性に富み 難局に當り不屈不撓 之を遂行せざれば止まざる風あり。
體格強壯。
ニ、出身前の經歴及出身時の景況
明治四十一年五月三十日 陸軍中央幼年學校卒業
同月三十一日 士官候補生として 〔 福島若松 〕 歩兵第二十九聯隊へ入營、
同四十三年五月二十八日 陸軍士官學校歩兵科生徒五百九名の内九十五番を以て同校敎育課程卒業。
三、勤務
頗る熱心にして躬行率先の微風に富み、著意周到毫も労苦を厭はざるを以て實務の成績も亦良好なり。
四、學術及特有の技能
軍事學は典令敎範 其他に於て理解記憶共に良好にして其應用も概して要領を得、
外國語は佛語にして普通の會話に支障なし。
實兵指揮は號令活潑、指揮嚴正にして其應用も亦概して適切なり。
體操は其技術最も長ずる所なり。
五、義務心及品行
奉公の念厚く品行端正。
六、家政、家計
家政は父之を掌り一家五人、相団欒し動、不動産合せて約四千五百圓餘を有し、本人は勤倹質素なり。
將來將校として品位を貶おとすることなし。
七、交際の景況
上下に對し礼儀正しく 同僚間の厚誼敦厚なり。
八、既往現時の變易及將來の見込
氣概品性共に向上の傾きあり。
亦 職務に忠實にして著意可なるを以て將來益々發達の望みあり。
・・・明治四十三年十二月 日 歩兵第二十九聯隊長 森 知之
・
一、本年二月 戸山學校を終へて歸隊せり。
其の修業成績左の如し。
総員百五名中第三位 歩兵科総員七十四名中第三位
戸山學校より歸隊後體操術大いに發達し、頗る熱心にして其敎育方法も亦適切なり、
將來発達の見込あり。
・・・大正二年十一月 日 歩兵第二十九聯隊長 寺西秀武
・
一、終始一貫誠實且熱心、其職務に勉励し其成績良好。
又 劍術に長じ志氣常に旺盛なり。
將來大に發達の見込あり。
・・・大正四年三月 日 歩兵第二十九聯隊長 村岡長太郎
・
一、朴直にして謹嚴氣概に富み古武士の風あるも稍單純なり。
責任観念旺盛にして毫も勞苦を厭はず常に引率力行し、範を生徒に示して指導しつつあり。
唯 思想稍單純なるを以て時に常軌を脱する嫌なきにあらざるも、
本人として誠心誠意の發露にして、從て生徒の信望は相當之れを受けつゝ在り。
要するに本人は配属將校として正確に稍欠くも、
軍隊指揮官としては性格上適切にして相當の眞価を發揮し得べきものと認む。
・・・昭和四年十二月三十一日 歩兵第一聯隊長 東條英機
・
一、其後の服務情態を鑑察するに、熱心精励毫も變易なく成績漸次向上しつゝあり。
又本年聯隊劍術寒稽古に當りて愛子の病中にも不拘、一日の欠席なく早暁出場し
専ら下士官兵卒の指導を補助し、其の熱心と義務心に厚きは衆人の認むる処なり。
・・・昭和五年十二月三十日 歩兵第一聯隊長 東條英機
・
一、性格
純情にして木彊所謂一本調子にして感激性強く思想稍單純なるも古武士的氣魄に富む。
一、服務
大隊長として未だ成績の見るべきものなきも熱心にして率先力行範を垂れつゝあり。
一、學術技能
久しく隊を離れありし關係上充分ならざる點あるも、素質良好にして研究眞摯なるを以て進歩の見込あり。
一、統御其他
率先垂範情味に富むを以て部下次第に心服す。
本年處分せられたるは時事に憤慨悲憤の餘り、同志と相結び企畫實行する所あらんとして
未發に終りし事件に因するものにして、爾来謹愼輕擧を反省するに至れり。
一、將來の見込
思想單純 時に思慮の周密を欠き常軌を逸するの行動に出づることあるも、
一面正純なる思想を有し、尊信すべき人物なるを以て指導宜しきを得ば、好箇の隊附將校たらん。
・・・昭和六年十二月三十一日 歩兵第五聯隊長 平田重三
・
一、本年四月聯隊主力渡満後、留守隊大隊長として時々夜間にも出勤巡視するなど
率先垂範 熱心其職務に精励せり。
又 部下を愛護する情味を有し部下又心服しあり。
然も其行動時に常軌を逸し、又過度に部下を愛護するの風あるを以て將來此點に注意指導せば
隊附將校として見るべきものあり。
五月十五日事件突發直後上京せんとせしも、元來其性 率直單純なるを以て爾來謹愼反省せり。
・・・昭和七年八月八日 歩兵第五聯隊長 谷 儀一
・
一、性朴直純情にして古武士の風あり。
上を敬ひ下を慈む。
眞に模範的武人なりと雖も、世相の變遷に伴ひ中佐の心境に一大變化を生じ、
國家改造の外 又他に興味なきが如し。
然れども世相にして一進化を遂げ得、又本人の心境一轉化を來さんか、
本來の優良なる 「 彼 」 を復活するならん。
・・・昭和八年十二月二十八日 歩兵四十一聯隊長 樋口季一郎
・
一、本夏季 中耳炎治療して歸隊して以來別人の如く隊務に精励し、
經理委員首座として綿密事を處理し傍ら 特務曹長、曹長に對する諸敎育を担任し其成績可なり。
此狀態を以て變化なからんか、獨立守備隊長等に用ひ得べし。
・・・昭和九年十二月二十五日 歩兵四十一聯隊長 樋口季一郎
現代史資料23 国家主義運動3 から