バリトンの先生からレッスンを受けて、イタリア語のoとeは、それぞれ2種類の発音があること、母音に挟まれているrは1回だけ舌を巻くと教えて貰ったが、こんなことって、入門の段階で早めに知っておくべきことじゃないのだろうか?
最初の先生の3倍のレッスン料を払って、イタリア演奏を続けている先生に付かないと教えてもらえないことなのだろうか?今まで自分でイタリア語を勉強しようと思ったことがない自分が一番悪いのだが・・・
そんな訳で、バリトンの先生からは、イタリア語の発音の間違いの指摘をされて、「今までやった中で、言葉の少ない曲持ってきて」と言われている。
「少ない」の基準って一体?と思ったら「O mio babbinoとか」とおっしゃっていて、その単語数を調べてみたら、40前後であった。
つまり、イタリア古典歌曲のうち、該当するのは半分くらい。モーツァルトも「Porgi amor」とか数曲ある。役がスーブレットだったりレチタティーヴォがあると、言葉の数はぐんと増える。
ベルカント系のアリアは、カヴァティーナだけだったら、該当するものが多い。今F先生の所でやっている「愛の妙薬」が当にそうだが、バリトンの先生の細君は日本人の中ではトップのアディーナ歌いだから、持って行くには抵抗がある。
近現代は小曲でも、言葉の数が多いものが見られる。
調べて見たら、時代が新しくなるほど、同じ言葉の繰り返しが減ってきているようだ。誰からも教えられてはいないことだが、これは結構、新しい気付きであった。
何はともあれ、「あなたは基礎がなっていない。イタリア古典歌曲、コンコーネ50からやり直し!」と言い出す先生に出会えるという悲願が叶ったから良いのか・・・
それも、単に初心者に戻れというだけではなくて、今まで通りかそれ以上に、本番の数もこなせということなのであった。
次回のレッスンの日程を相談したら、かなり後の日付を指定された。何か本番でも?と思って、F歌劇団のサイトを見たら、案の定、公演情報に載っていた。
L先生だったら、自分の本番のチケットを一生懸命、生徒に売り込むので、「これが音楽家のビジネスモデルなのか」と納得したのだけど、ご自身の演奏活動を語りたがらない声楽家もいるのか・・・と考えさせられた。
いずれにせよ、バリバリの演奏家に習う、ということは、こういう風に間が空いてしまうことが多い、ということは留意しておく必要はある。
最初の先生の3倍のレッスン料を払って、イタリア演奏を続けている先生に付かないと教えてもらえないことなのだろうか?今まで自分でイタリア語を勉強しようと思ったことがない自分が一番悪いのだが・・・
そんな訳で、バリトンの先生からは、イタリア語の発音の間違いの指摘をされて、「今までやった中で、言葉の少ない曲持ってきて」と言われている。
「少ない」の基準って一体?と思ったら「O mio babbinoとか」とおっしゃっていて、その単語数を調べてみたら、40前後であった。
つまり、イタリア古典歌曲のうち、該当するのは半分くらい。モーツァルトも「Porgi amor」とか数曲ある。役がスーブレットだったりレチタティーヴォがあると、言葉の数はぐんと増える。
ベルカント系のアリアは、カヴァティーナだけだったら、該当するものが多い。今F先生の所でやっている「愛の妙薬」が当にそうだが、バリトンの先生の細君は日本人の中ではトップのアディーナ歌いだから、持って行くには抵抗がある。
近現代は小曲でも、言葉の数が多いものが見られる。
調べて見たら、時代が新しくなるほど、同じ言葉の繰り返しが減ってきているようだ。誰からも教えられてはいないことだが、これは結構、新しい気付きであった。
何はともあれ、「あなたは基礎がなっていない。イタリア古典歌曲、コンコーネ50からやり直し!」と言い出す先生に出会えるという悲願が叶ったから良いのか・・・
それも、単に初心者に戻れというだけではなくて、今まで通りかそれ以上に、本番の数もこなせということなのであった。
次回のレッスンの日程を相談したら、かなり後の日付を指定された。何か本番でも?と思って、F歌劇団のサイトを見たら、案の定、公演情報に載っていた。
L先生だったら、自分の本番のチケットを一生懸命、生徒に売り込むので、「これが音楽家のビジネスモデルなのか」と納得したのだけど、ご自身の演奏活動を語りたがらない声楽家もいるのか・・・と考えさせられた。
いずれにせよ、バリバリの演奏家に習う、ということは、こういう風に間が空いてしまうことが多い、ということは留意しておく必要はある。