るりこんの気が付いたらの日記

あるアマチュア声楽家の忘備録とつぶやき

歌う意義が変わりつつある 2

2014-07-11 09:07:00 | つぶやき
私はあくまで、アマチュアとしていくつもりである。
プロの模倣をするつもりはない。
フリーランスだから「安定した収入」でないのは、私の職業も同じ。

バリバリのプロのL先生でさえ、「扶養範囲内の収入」というのである。
そして、政財界の人脈ができた、ということをよく話されるが、そういう人は必ずしもクラシックに詳しい人ばかりとは限らず、ポピュラーな曲を名刺代わりに歌われているのである。
ビジネスとしては悪くない方法だとしても、本当はL先生でないと歌えない曲も存在するのだから、アーティストとしては、もったいないような気もしなくはない。
それを失礼かもしれないと思いながらもL先生に話したら、怒ることなく、認めていた。

本当は、音大進学に反対した親に対する恨みは消えているか、といえば嘘になるが。
やはり音大卒でないとできないことはある。
まず、あらゆる面で情報交換できる人が少なすぎる。
音大卒でない、という理由で、覚悟がない人と見なされることもある。
「どうせアマだから好きにやれば?」という指導しか受けられないこともある。
ソルフェージュ的な弱みを補うための勉強ができていない。
F先生は地方出身なので、出身地の音大同窓会が主催するコンサートで歌われている。人脈などを考えると私が自分の出身地で歌う、ということは、プロコンクール入選以上の難しさである。

でも、「どうせアマだから、楽しければそれでいい」というのも何だか違うような気持ちもしなくはない。我々アマチュアが、プロの演奏家のことを語るには限界があるのと同じように、プロの演奏家がアマチュアのことを語るには、限界があるのだと思う。
プロから見れば、単なる自分中心の楽しみに過ぎないのだろうが、自分の楽しみだけではなくて、自分の大切な人のために歌うような気持ちがあっても良いじゃない?
その「大切な人」がお金を払ってまで自分の歌を聞きたい、というのではなくても。
リアルに会えない人のためであったら、尚更である。
そんなことを考えるようになったのは、つい最近のことなのであった。


歌う意義が変わりつつある 1

2014-07-11 01:40:00 | つぶやき
今回は、やや重い話だけど、イデオロギー、思想云々の賛否は抜きにして欲しい。
自分が入っている団体は、特にイデオロギーとしては中立であるはずなので。

8月は反戦がらみのイベントが多い、ということもあり、私が参加している団体とコラボしているアマチュア団体から、一緒に、某地方で歌わないか、という声がかかった。演奏する予定のものは元々メッセージ性のあるオリジナル作品の抜粋である。

が、その地方の出身者であるプロから「その日のその土地に演目がふさわしくない」という声がかかった。
その土地を調べてみると、既にその問題をテーマとしたオペラ作品は存在している。ケロイドだらけの青年が、娼婦によって幸福な気持ちにさせてもらい、幻覚を見ながら死ぬ可能性のある手術をしてでも直そうとする話。この日のこの土地にはそんな作品が相応しいのではないだろうか?
ここは厳粛で人間が犯した過ちを顧みる日であるはずなのに、私のいる団体のヒューマニズムにあふれた明るい作品は相応しいのか?と私は思った。
そのコラボしている団体との友情関係も大事にしたい、提携団体がその直後に演じるストレートプレイ自体は妥当な作品だと思う。

心の闇を表現できるようになった上でだったら、それも理解できるが、いつも明るく、子供がきゃっきゃと騒ぐような作品ばかりだったじゃない、その土地のその日に、これが相応しい?
苦しむ人を励ますために行うというのであれば、人の心の痛みにも寄り添える演奏ができた上でのことではないのか?と思う。
提案者も主宰者も、「ヒューマニズムというコンセプトは合っている」と言っていたけど、どうなんだろう?

いや、その現地だって、「いつもこの時期は暗い雰囲気になるから、ちょっとは明るく楽しくして欲しい」というニーズだってあるのかもしれないけど・・・
まぁ、「別の日にすれば?」という意見もあったが、そこへはGWで行ったことがあるから、そこはちょっと違うかな。
何もせずに無難に、という考えもどうかとは思うけど。

ただ、これが、単に「歌わせたい」「歌いたい」「作品の知名度を上げたい」ということが本音だったら動機だったら、賛成しかねる。
差し障りがない部分だけ抜粋しても、全体的なストーリーや背景を無視して鑑賞することも、まず不可能である。


コンコーネ25の質問

2014-07-07 00:48:00 | 声楽(レッスン)
今日はF先生のレッスンだった。
コンコーネ25は新曲のNo16。これも相変わらず16分音符が多い。
そこで、思い切って聞いてみた。

「コンコーネ25って、16分音符がやたら多いですよね。コロラトゥーラ・ソプラノでもないのに必要なのでしょうか?」

答えは、古典派・ロマン派には欠かせないという答えだった。
もっと転がるのは、パノフカらしいが、まぁソプラノとしてはこのくらい転がれるようにした方が、ということだった。


L先生の内輪コンサート

2014-07-05 22:46:00 | 声楽(レッスン)
L先生が、海外公演から戻ってきたことと、元の稽古場の改装が完了した、ということで、内輪だけの演奏会に参加した。
「演奏会」と言っても、ブランクがあって久しぶりに参加した、という人もいた。

椅子を入れれば、小さなリサイタルもできるようになる、ということだったけど、やっぱり内輪だけ、というのはなあなあで行ってしまう可能性が非常に高いな、と思うのだった。

一度、発表会で一緒に「乾杯の歌」を歌ったテノール氏が来年には海外移住をしてしまう、という話だったので、デュエットができるのはあと1回だけのチャンスだな、と思うと名残惜しい。
この教室でテノールは1名だけなのだが、まぁ、先方にも選ぶ権利があるんだけど。


手紙の返事が来ました

2014-07-04 09:17:00 | 声楽(鑑賞)
中学時代の先生に手紙を出したら、返事が来た!

顔も名前も覚えていることだった。
他にも印象のある生徒の名前を挙げていた。
どうして印象が強いのか、その理由は思い出せない、ということだったが、それでいいのだと私は思う。
しかしながら、私は記憶にある生徒というのはどうやら優等生と劣等生に二分化されているんだなって、思った。

既に引退されているが、ご自身も音楽の趣味を数十年続けられているので、まだ元気でいられること、私の手紙を読んで教師をやって良かったと思うことなどが書いてあった。

私なりに歌うことの意義を見出すことができそうな気がする。