上砂理佳のうぐいす日記

「夏への扉」展では暑い中、たくさんの方にお越しいただき誠にありがとうございました!★

読み終わり★

2015-01-14 | 大ちゃんたら大ちゃんたら
「なぜ本のタイトルが“2000days”?」と考えていたけれど、2008年秋に大怪我をしてからソチ五輪男子フリーまでが「ほぼ2000日」。そういう事かしら。

昨日、ある方のおかげで、さだまさしコンサートに行ってきました。
実に10代以来の「生さだ」です。
「すごい!」「すごい!」「すごい!」の連発。
笑って泣いて、しんみりして踊りまくって、眼を閉じて曲の情景を思い浮かべて…圧倒されてノセられているうちにお開き。
3時間休憩無しとは思えない、アッちゅうま!

62歳になったさださんは、さすがに若かりし頃のヒット曲はキーが高いのか、高音が苦しそうでした。声がかすれて。
でも、正直そんな事は、「どうでもいい」事でした。
声がかすれようが何だろうが、昨日ハッキリわかったことは、私は、さださんの「生きざま」に圧倒された。
歌・演奏・トーク・パフォーマンス・構成・演出…上手いとか下手とかそんな規準で測るのではなく、舞台から「さだの生きざま」が伝わってくるからこそ、感動するのでした。
しかもそれは「俺ってどうよ。すごいでしょ!」と押し付けがましいものでなく、ただただ謙虚に粛々と「…お聴き頂ければ幸いです」でもなく、「祭りだワッショイ」でもない。
満場のお客さんの、様々な感情を揺り動かすコンサートでした。心の表層か奥底か、それはその人それぞれですが。

昨日の衝撃で、初めて解った。
私は、スケーター・大ちゃんの「生きざま」に心掴まれて、拍手したりスタンディングオベーションしたりしているんだな、ということ。
さださんの声の枯れが「どうでもいい事」と同じように、ジャンプの回転が足りないとかどうでもいい。
いや、完璧に綺麗に跳んだジャンプは、それこそ歌い手の「美声」ではありますが、フィギュアスケートは一本のプログラムを通して「生きざま」が伝わってこないと、いくら美声で歌いあげても感動することはない。そういうことです。

これは、どこかの本で読んだのだけれど。
例えば「美術館でピカソの絵を見てきて感動した」を、人に伝える場合。
「左向きの女の人の横顔と正面顔が合わさって、右上に赤い三角形があって左下に黒丸がある絵を見て感動した」とは言わないでしょう。
「ピカソの絵を見た。感動した!」これでオーケーです。

「選手・高橋大輔」にとって、試合の緊張感と、競技用プログラムに求められるハイレベルな技術を追求することは、「自分の能力をギリギリまで高める」快感があったのでしょう。
「勝つため」だけだったら、余計な要素は捨ててひたすら「点数稼ぎ」に集中すればいい。その方が効率がいいのですから。
でも、毎年毎年プログラムの傾向を変えて、変幻自在に音楽を表現してきたことは、まさしく「高橋大輔の絵」なのです。
何枚も何枚も「傑作の絵」があるので、それで「美術館の高橋大輔の絵」を見に行ってしまう。
だから試合やショーに、性懲りもなく足繁く通ってしまうのです。
「高橋の4回転の回転が足りているか否か」ではなく、「高橋の絵」を味わいたい。
それは、他のスケーターでも同じでしょう。

深い深い「2000days」でしたが、今後のこと。
本の中で明確に「日本のアイスショーには出ない」と書いてないわ。
フツーに考えて、フレンズ10周年とクリスマス・オン・アイスと、「ビールを注ぎに」日本帰って来る…と思ってる私は、やっぱり相当能天気なんでしょか(笑)★
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