上砂理佳のうぐいす日記

やっと秋らしくなりましたが、まだまだ日中は陽ざしがきついです。寒暖差で風邪をひかないように★

長い旅路の終わり★

2020-11-28 | アート・音楽・映画・本・舞台・ドラマ


私は「エール」のオープニング映像が大好きで、窪田君の「Happy birthday!」カードをNHKに送った際、ドラマ感想と併せこんなことを綴ってしまいました。
「オープニングの二人で海辺を走っていく映像が素晴らし過ぎて、毎日見てるのに毎日泣いてます(笑)
 きっと私が死ぬ時に、あの映像が脳裏に浮かぶのだと思います」。
映像を撮影された方の苦労話などもブログで読んでいたので、熱く語ってしまいましたが、あの至福感と疾走感が好きなんです。

若くて力がみなぎっている時に、大好きな人と手をつないで、晴れ渡った青空のもと、輝く海辺を走っていく。
これ以上の幸せがあるだろうか(いやない)。
。。。と常々思っていたら、まさかのそのシーンに最終回でクルリと戻るという(!)
裕一さんに支えられて(ベッドから出る時、裕一さんが音ちゃんの足を大事そうに支えて床に降ろすのも好き)、一歩また一歩、海を見に行くのかと思ったら、足元が白くなって。。。あれ?粉?
と思ったら、暗い木の床は美しい砂浜に変わり、年老いた足元は軽やかに駆け出す。
ここで二人が海へ駆け出し、耳馴染んだGreeeenの主題歌イントロが。
。。。って!
いやもう!
アカンて
号泣するわたくし。

これはきっと音ちゃんの「死への旅立ち」なのでしょうけど、間髪入れず流れる「♪泣いて 笑って ひびく命♪」の歌声で、「新しい命がどこかでまた産まれる。終わりは始まり」という「輪廻」すら感じるのです。
音ちゃんが産んだ命は、また新しい命につないでくれる。
裕一さんが産んだ曲たちも同じ。あの若い音大生たちに、音楽は受け継がれる。
人は老いて病んで必ず死んでいくけれど、精一杯生きて楽しんで、次にバトンを渡せば大丈夫。
だから悲しまないでいいんだよ。そんな「エール」が、鳴り響いているかのようでした。

出会った頃の若い姿に戻って、無邪気に駆け回る二人に、涙が止まりません。
(「まんぷく」のタラッタッタ♪ごっこが秀逸)
監督の演出はノープランで、二人の自然な演技にまかせた、とのことですが、同じ「若い二人」の姿をしていても、豊橋初デートの頃の二人とは違うのですよね。
長い年月を伴走し老いた二人が到達した、「本当の旅の終わり」。
二人が互いの存在に感謝し、出会いに感謝し、ともに過ごした年月の幸せを噛みしめる気持ちが、もうなんとも言えませんでした。バックが海のキラキラなのもいい。
役柄上だけでなく、コロナ禍での撮影の苦労をわかちあった「同志」感が伝わってきました。
これは天国の二人なのか、音ちゃんが亡くなる直前に見た夢なのか。
「見る人がいろんな感情を乗せて共鳴出来るように」無駄な説明は省いた演出だそうですが、「抽象画」ということね。
悲しい最期でなく、無邪気で破天荒に結ばれた二人らしい絵でした。

最後は二人が去った浜辺にオルガンだけが残り、
「人はいつか死ぬけど、音楽は残る」ということを、示唆しているかのようでした。
予想していたドラマとはぜーんぜん違ってたけど、最後のこの表現の素晴らしさで、マイナスポイントの全てが帳消しになった(笑)。
「終わり良ければ全て良し」ですね。フィニッシュは大事なんだねー。
音ちゃんと裕一さんは、天国でもずっと一緒でずっと幸せ。仲間たちも一緒にいる。お父さんもお母さんもいる(安隆父さんは?地獄?)。それがわかって良かったです。
ということは、私が毎朝感動していたオープニングは、「彼岸」だったのか(!?)
だから涙が出たのね(きっと)★
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エール最終週は「エール」★

2020-11-28 | アート・音楽・映画・本・舞台・ドラマ


朝ドラ「エール」第24週で遂に大団円。初めて朝ドラを飽きずに完走した!?
金曜はキャストの皆さんが古関裕而さんの名曲を歌い継ぐミニ・コンサート。
木曜が本編の物語ラストでした。
私の中ではやっぱり木曜の第119回が「完」だったので、金曜は「ボーナストラック」って感じでした(?)

「高原列車は行く」の間奏で長→短→長と転調するのが驚きでしたが、これは流行りそう。楽しい!
「イヨマンテ~」を歌う「岩城さん」の歌声は貫禄。
でも私は「細川たかしバージョン」の方が好き(うたコンでやってたの)。細川さんは民謡調だからかな。凄い迫力だった!
「イヨマンテの夜」が当時の素人のど自慢で盛んに歌われたってのもわかるわ。歌自慢の課題曲ね。
モスラ~も面白いし、「昌子さん」の「フランチェスカの鐘」は妖艶。
大トリが「音ちゃん」の「長崎の鐘」でした。裕一さんの指揮です!
二階堂ふみさんは、エールのオーディションの時にこの曲を歌われたそうで、もう感無量だったのではないでしょうか。
この最終回コンサートは、ドラマを作るプロデューサー側からの、キャスト陣への「エール」だと思いました。
コロナ禍で「歌う」場所を奪われた歌い手さんたちへの、敬意と感謝と励まし。
子役達も登場して良かったなあ。みんな1~2年たったらグーンと大きくなるだろうね。

本編の方は、月曜でまだ家族会議(!)裕一さんが豊橋へ押しかけたあの頃とカブります。
胃潰瘍あがりの裕一さんはさすがに老け込んでいる(笑)。天然っぽいアキラはどこか若い頃の裕一さんと同じ匂いがする?
火曜はあの小さな教会で手作り結婚式。またまたスピーチの裕一さんですが、檀上から降りる際によろけて、年齢を感じさせます。
結婚式が終わり、ガランとした古山家の夕日さしこむ玄関で、「俺たちも終わりに近づいたのかな」と音ちゃんに話しかけるところが切なかった。あの時代だと、子供を結婚させたら「お役御免」という感じかな。
と思っていたら、あっという間に孫が産まれ、華ちゃんは看護の仕事を続けています。そこへ「東京五輪マーチ」の作曲依頼が。

水曜では昔からの仲間たちが古山家に集結。肩組んでヒット曲を歌いまくり飲みまくり。
木枯さんが久々に古山家で「鉄男のおでん」を食べてて泣けます(ちゃんとはんぺんも入っている)。
若い時からの友達と、今も変わらずワイワイ出来るのっていいね。もう戦争も無い。幸福で泣けてくるよ。そして東京五輪へ。。。
で初回の開会式直前シーンにつながりますが、SNSで多くの人がつぶやいていたように、今の裕一さんは年はとれども経験も積んで自信に溢れてて、緊張でトイレに駆け込む人には、とても見えませんよね。。。
音ちゃんは「(あの人が逃げ込む場所は…)トイレだ!」とピンときて探しに行ってたはずだけど、あれを見て「カカア天下の音さんが弱気の裕一さんのお尻を叩いて進む物語なのかな?」と思ったものです。
古関さんの息子さんがブログで「父はあんな人ではなかった。もっと堂々としていた」と少々憤慨気味に書いてらしたので、制作側はちゃんと人物像を作り込まずにスタートしたのかもね。
そして、ドラマが進むにつれ予想外に「役」が成長してしまい、最初の脚本イメージとズレが生じたのかなあ。
なんてことも妄想してしまいました。漫画の連載のはじめの方と、最後の方で全然人物像が違うって、ままあること。あれかな。

ともあれ五輪も終わり更に年月は過ぎ、最大の仕事のパートナー池田氏が倒れ、音ちゃんも病の床に着きます。
金子さんが乳がんで60代後半で亡くなられたのは史実通りですが、小山田氏(山田耕筰氏)との確執は、実際はそれほどなかったような。もちろん尊敬して折々に仕事上の交流はあったようですが、「一定の距離を持った間柄だった」と自伝にあります。
でもこのドラマでは重要人物として位置づけられていたので、志村さんの死で裕一との直接のやりとりも無くなってしまったのが残念です。でも、最後の最後で「小山田氏は敵なの?味方なの?」の謎が解けたので、スッキリしました。
なんだか今も信じられない。
志村さんが亡くなったことで、「コロナで死んでしまう」ということが「現実」になった瞬間。
それが「エール」スタートの日だったというやりきれなさ。

様々なアクシデントに見舞われ、私の中で「不憫なドラマ」になりかけていたのですが、この暗いコロナ期に明るい「エール」が毎日あって良かった。春頃って、新作ドラマは「エール」と「麒麟が来る」だけだったのよね。
「鐘の鳴る丘」「君の名は」にワクワクしていた戦後の人々の気持ちが、痛いほど解ってしまいました(つづく)★
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