六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

昨日から続く歩みの万歩計

2010-01-30 15:58:23 | よしなしごと
 私の親しいひとには高齢者が多い。
 理由は単純で私自身が高齢者だからだ。
 集まると健康の話や孫の話になる場合が多い。
 
 幸い、私の親しいひとには孫自慢をするひとは少ないのだが、健康の話は避けがたいようだ。
 あそこがいたい、医者にこう宣言されたなどは目の前の現実の話だし、若い人と違って老い先短いとなれば、それ自身がいつ「おさらば」をするかに絡む話なのだから、まあ、やむを得ないのだろう。

     
            八つ手の赤ちゃんは五本指

 つい先日は万歩計の話が出た。
 私は万歩計というのを身に付けたことがない。
 「たかが歩くのを何で測らにゃいかんのだ。人間目的へ向かって歩くんで、歩くために歩くなんてまっぴらだ」と思っていたからだ。

 だから万歩計については全く無知である。ようするに、「歩いた歩数がでるのだろう」ぐらいしか知らなかったのだ、
 それがそこで出た話によれば、最近のそれはいろいろな機能を備えていて、自分の歩幅を登録しておけば歩いた距離なども換算できるらしい。

 
         ワカサギの南蛮漬けと白菜漬け(by六)

 そればかりではない。うちへ帰って調べてみたら、ごく普通のものでこんなにも機能が付いているようなのである。

・ 歩数測定  
? 距離測定
? 時刻表示
? 消費カロリー表示
? 脂肪燃焼量表示
? フリー装着(ポケットやカバンに入れたまま測定可能)
? データ保持機能(例:14日間保存)
? ラジオ付き
? コンパス付き(山歩きに便利)
? パソコンデータ管理
? 痴漢防止アラーム付き
? 音声ガイダンス付き
? キャラ育成機能

 この最後のものは「たまごっち」のようなゲーム機能だろうか?
 改めて感心した次第なのだ。

 健康といえば私も反省すべき心当たりがないわけではない。
 最近、左膝を鋭角に曲げると、つまり正座やあぐらをかこうとすると痛みが走る。腰にも痛みがある。
 医師に言わせると、それはヒアグロンサンの減少が云々かんかんと素人でも知ってる答が返って来るのみだ。TV等でけたたましいサプリメントは?と訊くと、「それが効くのならとっくに薬品になっています」との話。
 それはその通りだろうと思う。

     
              夜のエスカレーター

 私の反省に戻るが、最近、「万歩計など・・・」といっていた私の立ち居振る舞いがあまりよくないのだ。
 つい半年前までは、駅だろうがどこだろうが、エスカレーターやエレベーターは無視してわが足で昇降していた。それが昨今は膝への負担などといういじましいことを考え始め、つい人工の昇降設備に頼ってしまうのだ。

 自転車もそうである。雨降り以外は10キロ前後までは平気で出かけたのだが、昨秋以来、寒さにかまけて近くでも車の方のハンドルを握ってしまう。名古屋の連中は煙草を買いに行くためにまで車に乗ると馬鹿にしていたのだが、いまや徒歩10分の郵便局へ車で出かける私がいる。

 そのせいか、今冬は2キロの体重増である。といっても標準体重には後1、2キロはマイナスなのだが。

 なんやかんやで万歩計との距離が多少近くなった気がしないでもない。
 やはり、iPod 付きかなぁ。


  
 



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鶴亀の歩みを測る万歩計

2010-01-29 17:56:47 | 川柳日記
 

 いつも長いものを書いていて嫌われるので、今日はさっぱりと短い日記を。

 川柳の句会というものにでた。
 多少、川柳をかじっていて、ネット上での句会には参加しているが、一堂に会してのものははじめてである。
 とても勉強になったし、面白かった。
 
 兼題は「かたち」「歩く」「橋」「逢う」などで、それぞれ佳句、秀句がよせられたが、意外に、詩をやっていらっしゃる方の句の評価が低かった。
 中でも、詩も俳句もやっていて、朝日俳壇などの入選経験もお持ちの M・I さんが選に引っかからなかったのは不思議であった。選評後の歓談の中で、「橋」に関して詠まれた句が披露され、それらはかなりいい線を行っていると思われたのに、実際に提出されたのは「歩く」にかかわるもので、しかも「万歩計」を詠んだものであった。
 私は万歩計というものを身に付けたことがなく、ましてやそれが歩幅換算で歩いた距離や消費かロリー、脂肪燃焼量まで検出する等とは全く知らず、したがって、M・I さんが万歩計に込められた思いを評価しえなかったのだろうと思う。まことに申し訳ない限りである。
 そんなことを思い返しながら、岐阜駅でバスを待つ間に、こんな戯れ句を思いついた。

       わが足の長短も問う万歩計
       脚線美までは測れぬ万歩計


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大ローマ帝国に遊ぶ

2010-01-27 17:40:42 | 歴史を考える
 過日、名古屋の I さんから愛知県美術館で開催されている「大ローマ展」のチケットを頂き、開催中にぜひ行きたいと考えていた私は、渡りに舟と行ってきたのでした。
 私たちが接するヨーロッパの文物には、ギリシア、ローマ、それにキリスト教の痕跡が色濃く根付いていて、それらにあまり詳しくない私は戸惑うことが多いのですが、その一端を担うローマに接して勉強しようという魂胆もありました。
 しかし、展示場へ一歩踏み込むとその展示物の規模と多様さ、それぞれの装飾の華麗さなどに目を奪われて、ただひたすらそれらのものたちが発するアウラのようなものに圧倒されるのみでした。

 ギリシアとの関連でいえば、後のルネッサンスの影響などもあり、学問・芸術などの分野ではヨーロッパをリードしてきたようにいわれていますが、実際にヨーロッパ全土、加えて、中近東からアフリカ北部への文明の伝承という点ではローマの方が圧倒的に力を発揮したのではないかと思うのです。しかも、ギリシアの信仰や伝承(アポロン神話やディオニソス神話など)をも継承しながらです。

       
                 (皇帝アウグストゥス座像)

 それが、ローマ帝国の勢力図に示されています。ようするに、上に見たように、ヨーロッパ全土、加えて、中近東からアフリカ北部に至る大帝国の形成です。ギリシアは、その意味では帝国を形成することはなく、その影響力は観念的なものに留まっていたのではないでしょうか。例えば、プラトンの哲人国家の実践がシチリアのシラクサで何度も失敗しているようにです。

 それに対し、ローマのあの広大な帝国形成はどのようにして可能になったのでしょうか。むろん、軍事面でのバックはあったのでしょうが、それだけで語り尽くせない統治のノウハウがあったように思うのです。
 もっとも、それが何かは不勉強な私にはわからないことばかりなのですが。

       
                   (豹を抱くデォオニュソス)
 
 さて展示品に目を戻しましょう。
 今回のそれらは、一部ローマ皇帝広場博物館などのものを含みますが、圧倒的な多数はナポリ国立考古学博物館のものです。ということは、すぐ近くのポンペイ遺跡からの出土品が圧倒的に多いということです。
 周知のように、人口2万ともいわれるこの都市は、紀元79年のヴェスヴィオ山の大噴火により壊滅し、そのまま18世紀に改めて発見されるまで、地中に埋もれていたのでした。

       

 それが幸いして(この言い方はそこで亡くなった方にはまことに失礼ですが)、私たちは今日、往時の人々の生活の様子やそこで使われていたものどもについてかなり克明に知ることが出来るのです。ようするに二千年前に埋められたタイムカプセルが改めてあけられたかのようにということです。
 
 実は私、ポンペイの地に立ったことがあるのですが、これだけの規模の都市が地中に埋もれていたとは信じがたい思いで、その辺の路地を散策していると、古代のローマ人がひょっこり現れそうな不思議な感覚に襲われたものでした。霊感の豊かなひとですと、湯浴みをする人々、酒場に集まる人々、娼館に集う人々など、往時の人々のさざめきが聞こえてくるかも知れませんよ。

       
          (特別出品 ギリシア時代の知恵の女神・ミネルヴァ青銅像)

 さて、ひとつひとつの展示物については感嘆のしまくりで、どれがどうかはもうどうでもいい気持ちでした。
 石像などはその堂々たるたたずまいでいかにも大ローマといった風情でしたが、一方、壺などの道具類は、その機能の効率に留まらず、些細な箇所にも様々な装飾が施され、文明というのはまさにこうした余剰や過剰のありようなのだということをしみじみと知らされました。
 そして、そうした余剰や過剰を生みだしえたローマというのはまさに人類史上のエポックだと改めて思った次第です。

 改めて、こうした機会を与えて下さった I さんにお礼を申し上げます。




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ど真ん中の「24」ってなんのことかわかりますか?

2010-01-25 17:47:09 | よしなしごと
 24日(日)におこなわれた「全国都道府県対抗駅伝 男子」で、今期の都道府県対抗駅伝はすべて終了しました。
 その前の日曜日、17日は「全国都道府県対抗駅伝 女子」でした。
 そして昨年末、12月20日には全国高校駅伝の男・女の部がおこなわれました。

 この四つの駅伝、それぞれの都道府県が付けるゼッケンは統一したものに決められています。みなさんは、ご自分の都道府県のゼッケンナンバーをご存じですか?
 私の住まう岐阜県は「24」です。
 で、これになんの意味があるかというと、これがちょうど真ん中になるのですね。
 1都1道2府43県、合わせて47の都道府県がありますから、24はちょうどその真ん中になるのです。
 ちなみに、1は北海道、47は沖縄県です。

        
    たすきリレーの瞬間、転んだりするなよと思って見ています

 岐阜が真ん中というのは日本列島の地理から見てもそうですが、かつては、いまは郡上市に併合された美並村(円空さんが生まれたところとされています)が日本の人口の重心に位置するとして名を馳せていました。

 で、もとのゼッケンの話に戻るのですが、真ん中のナンバーを背負うというのはわかりやすくて、それよりも若い順位でゴールすれば全国の半分以上だと言うことで、それよりも数字が多い順位ですと真ん中より遅いということになります。

 かつて高校男子で、中京商業(現中京高 いずれも名古屋のそれとは違います)が全国制覇、しかも2連覇という記録がありますが、それ以降、あまりパッとしません。ですから最近では、ゼッケンナンバーを基準として、それより数字が少ないと、「おお、健闘しているではないか」ということになり、それより遅いと、「せめてゼッケンまで頑張れ」という幾分、屈折した応援をしてます。
 まあしかし、何位になるにしろ、晴れの舞台で胸を張って走る姿は美しく、とてもすてきだと思います。
 
 駅伝のひとつの魅力に「ごぼう抜き」があります。トップランナーといわれるひとたちは大抵これをやってのけています。増田明美さん、松野明美さん、高橋尚子さん、野口みずきさんなどなどがそうです(なぜか男子の名は記憶にない 笑)。そしてそのそれぞれが、二桁となるゴボウを抜いているのです。

          
         12月の中京高校のフィニッシュ・シーン

 今年の岐阜県勢は、やや不振でしたが、24日の「全国都道府県対抗駅伝 男子」では、3区を走った大西智也という選手(高校は私の後輩、東洋大学-旭化成)が17人を抜く区間1位の快走を見せ、一時は入賞圏内の8位にまで順位を上げたのですが、ああ、その後が続かず、ついにゼッケンより下の30位に甘んじてしまいました。

 ほかの結果は以下のようでした。
 「全国都道府県対抗駅伝 女子」(1月17日) アンカーの清水裕子選手が8人抜きの区間5位の走りを見せるも34位。
 「全国高校駅伝 男子」 中京高校 18位とゼッケンを上回りました。大会連覇の歴史を持つ学校です。
 「全国高校駅伝 女子」 益田清風高校 46位 来年は頑張ろう!



 

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老いざれば天使みかじめとりに来る

2010-01-23 15:35:22 | ポエムのようなもの
 

 私の天使は、といって少しためらう。
 「私の」といっていいのであろうか?たまたま私の所へも現れるのであって、たぶん私の専属ではないのだろうから。
 
 いずれにしても、そいつは来るのだ。
 とりわけ最近はよくやってくる。
 気がつけば私の傍らに当然といった顔つきで佇んでいる。
  
 それが何かを語るのを聞いたことはない。そもそもそいつが話すことが出来るのかどうかも分からない。
 しかし、そいつは来る。私の傍らに佇み、私に視線を向ける。
 黒曜石のようなそのまなこは、その焦点がどこに向けられているかはっきりしない。
 だから戸惑い、いつの間にやら私の浅薄な自意識は一層おぼろげになる。

    

 おののきを隠しながらそれと向き合っているのだが、根負けするのはいつも私の方だ。
 いつしか私は掻き集めた記憶の束を、掃除機に吸い取られるようにそいつに手渡してしまっている。
 そいつは、いつも冷笑するようにしてそれを受け取る。そしてそれをを吟味することもなく、まるでやくざがみかじめ料を平然と受け取るように懐に入れて立ち去るのだ。

 例え何であれ、私が生き、紡いできたものをそんな風に簡単に持ち去られては困るのだ。
 敢えて私のアイディンティティなどとはいうまい。そんなものは時間の推移には耐えられないことを知っているから。
 しかし、記憶の連結のようなものは残っていたはずだ。
 それらがあの焦点を結ばない黒曜石の瞳の彼方で失われてしまうのはいささかつらい。
 私にはもはやこれといった記憶はない。あってもそれはほとんど脈絡をもたない断片にすぎない。

 

 開き直るわけではないが、それは、つまるところいいことなのだろう。
 すべては新しく始まるのだ。
 来たるべきものはすべて新しいものだ。
 そのためには何かを失わねばならないし、また、去らねばならないこともある。

 あ、私の天使が戻ってきた。
 今度は何を盗って行くのだろう。
 


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「あんたらの立場も分かるけどなぁ」といわれたって・・・。

2010-01-22 01:56:06 | よしなしごと
 某月某日 名古屋市東区の某所を通る。
 時折訪れる場所だから見慣れた風景ではあるが、何となく今日は警官の立ち番が多いような気がする。
 だいたいこの辺り、いつもこんな気配なのだが、ときによって多少変動がある。ようするに、「何か」があって情勢が緊迫すると警備も厳しくなるのである。

 具体的に言うと、ここには中国領事館がある。
 でもって、ここは名古屋での中国の公の窓口だから、「何か」があるとその筋のひとやその筋ではない人たちもが押し寄せる。
 だから警官たちが周辺の辻を含めて立ち番をするという次第になる。

 この国とは、例えば直接には尖閣諸島(せんかくしょとう)、中国名ではでは釣魚島をめぐる領土問題がくすぶっている。また間接的には先の戦争においての事柄や歴史解釈などの問題がことあるごとに表面化する。また、チベットなど少数民族に対する中国自身の対応の問題もある。これから先は日中間の経済的な問題も大いに絡んでくるだろう。
 だから、「何か」があるとトラブルになる可能性がきわめて多く、また、そのトラブルの処理を誤るとさらに大きな問題に発展する可能性をいつも孕んでいる。



 しばらく前にこの前を通りかかると、だぼシャツにマルガリータのオッチャンが立ち番の若い警官に盛んに話しかけている。とくに激高してわめいている様子もなく、何やら説得調である。
 傍らを通りかかり聞くとはなしに聞くと(というか耳をジャンボにして聞くと)、「あんたらの立場も分かるけどなぁ」と言いながらの説教のようである。
 どうやら、自分たちがなぜここに抗議に来るかを警官に理解させようとしているようなのである。

 若い警官の表情を見やると、目を前方に据えてきっとしているのだが、その眉間の辺りの皺に「なんぎやなぁ、はよどっかへいんでくれへんかなぁ」と書いてある。
 一人で、丸腰でただ話しかけてくるだけのオッチャンを力ずくで排除するわけにも行かないのだろう。じっと我慢の警官が可哀想であった。

 公正を期すためにいうと、かつて左翼というひとたちがいて、そのひとたちのデモや集会などでも警備の機動隊員に話しかけるひとがいたものである。やはり、「あんたらの立場も分かるけどなぁ」で始まるお説教である。
 話しかける本人はお説教のつもりではないのだろうが、相手が個人としてそれに応答することが禁じられている以上、一方通行のお説教であることには間違いない。
 ようするに、バッキンガム宮殿の警備の衛兵に、英国王朝史の非道を説くようなものなのである。
 
 つまるところそれは、立っている警官にとっては迷惑至極でしかない。話しかける人は少しも「あんたらの立場」を分かってはいないのである。
 だいたい彼は、主義主張でそこに立っているわけではないのだ。
 個人的にいうならば、ここを断固守護しようとしているひともいるかも知れないし、また逆に、こんなところ俺が爆破してやろうかと思っているのかも知れないのだ。まあ、一般的に言って、命令だから職務の一環として立っているのだろう。

 最近のはなしに戻ろう。上の写真を撮った日である。
 写真を撮るにあたって、やはり一言いっておくのがマナーだろうと思い、正面に立っている警官に、「写真を撮っていいですか」と尋ねてみた。
 「内部や自分を撮さないでくれたらけっこうです」とのことだった。

 写真を撮ったあと、「ありがとう。いつもここですか」と尋ねると、「はい、何かがあると困りますから」との返事。
 気がつくと、あのだぼシャツのオッチャンと同じことをしている自分がそこにいた。
 もっとも私は、「あんたらの立場も分かるけどなぁ」とはいわなかったが・・・。

「あんたらの立場も分かる」で、上司の命令や職務への忠実さでは許されなかった例もある。ナチスの政権下でユダヤ人の移送を担当し、結果として百万単位のユダヤ人の「最終処理」を実現したアイヒマンの場合である。
 彼はユダヤ人を憎んだこともなく、差別をしたこともなかったといった。そして、「私はひとりのユダヤ人をも殺したことはない」とも。
 詳しくは、ハンナ・アーレント『イェルサレムのアイヒマン』を参照されたい。
 


 

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玉子発氷柱 【今年最初の川柳もどき】

2010-01-20 15:06:59 | 川柳日記
 「タマゴ」「持っ」て「次」に「ひらく」「発」見は「氷柱(つらら)」でした。
 上記の不可解な文章は、以下の句のお題を並べただけです。
 南野琴音! なんのことね!



         ポスト・フェストウム 祭の終わり

【タマゴ】
つるりんとして薄情なゆで玉子
玉子立つ 地球の丸さ際だてて
重み持つ かすかであるが受精卵

    
          行き止まりでしょうか、それとも

【持つ】
これもまた持ちものなのか影法師
決して旅立たないための荷物持つ
持って捨て捨てて持ってるジャグリング
聖俗をかけもっていて今は聖

    
           うすら灯り・ぼんやり灯り

【次】
空白の時間に次と書いてみる
この次はもうないと知る無言劇
次という時間に抜けるオフサイド

 
         並べられ、比較されてしまったものたち

【ひらく】
開いたり閉じたりできぬカレンダー
ひらいたらもうお終いになる自伝
どちらからひらいてみたらとべますか
おずおずとわたしをひらく背中から
これ以上ひらくところがない予感

 
            涙・・・のようなもの 痕跡

【発】
発芽するもの懐に旅に出る
発禁のリストに愛と書いてある
もう捨てる 発情しない愛なんて
発散と後悔いつも抱き合わせ
発想はいいですという褒め殺し

 
        ふたつある かんけいがある ものである

【氷柱(つらら)】
垂直に命滴り氷柱笑む
氷柱飼う 頑なな夢抱きながら
氷柱研ぐ 刺したいものもないままに 
氷柱からしたたり落ちる童歌

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浅川マキ・逝く・・・・・・・

2010-01-18 11:52:47 | 音楽を聴く
 昨夜というか明け方早く、Kさんという今池時代の友人から、17日の浅川マキのライブ(名古屋 Jazz inn LOVELY・17日)へ行ったが、彼女はホテルで倒れていて病院へ搬送されたためライブが流れたという知らせを受け、密かに心配していました。
 起きてみたら、結果は予想される最悪のもので、その後、彼女はそのまま逝ってしまったようです。
 突然のことですが、ご冥福を祈るしかありません。

 実は、奇しくも昨年の同じ1月17日、やはり、名古屋 のJazz inn LOVELYで彼女のライブを聴いています。
 その折りの日記を再録して、彼女へのオマージュにしたいと思います。


浅川マキとの長い付き合い 「ハスリン・ダン、私のいいひと・・・」

 浅川マキのライブへいってきました。
 ジャズ・イン・ラブリィ@名古屋です。
 
 実は私、彼女の隠れファンなのです。
 といっても、物事にそれほどおタッキーになれない私は、つかず離れず付き合ってきたといえます。
 しかし、ファン歴は長いのです。60年代後半に、彼女が「かもめ」と「夜が明けたら」でレコードレビューをして以来のファンです。
 もう40年以上になるのですね。

            

 当時は、岐阜ー名古屋間を車で往復していましたから、もう既に廃れつつあるカセットデッキのそのまた前の、一本のカセットが弁当箱程もあるようなエイトトラックのデッキを買い込んで、それらを車中で聴いていました。
 正直に告白しますが、加藤登紀子流のストレートなメッセージや、多少暗くとも所詮は明るいところへ戻るんだろうという疎外論的なスタンス(?)より浅川マキの方が好きです。

 彼女は、悲しみも暗さも惨めさも丁寧にとり上げて歌います。しかし、そこには憐れみを乞う姿勢はありません。ルサンチマンがないということです。
 そこからは、それらを総て引き受けながら、それにウィといって生きている人間模様が立ち上がってくるようです。

     

 彼女の歌い方が、それに息吹を注ぎます。
 彼女の歌はもともと歌と語りのグラデーションのようでしたが、ここへ来てその要素は一段と強くなったようです。
 宣言でもなく、ぼやきでもなく、「私こう生きてるのよ、なにか?」というまさに生きている場をそこに刻印するような歌なのです。
 時にはアカペラで、そして大半はセシル・モンローのドラムスのみをバックに歌われます。それがいっそう彼女のモノクロ風の表現を引き立たせているようです。

 休憩を挟んで二時間程のライブが終わりました。盛大な拍手で見送られたことはいうまでもありません。
 ラブリィというこの店、高名な割に狭く、店舗内に楽屋を設けるスペースがありません。演じ終わったアーティストは、店の外へ出て別の場所にある楽屋へ向かいます。
 彼女が出ていって、さしもの盛大な拍手がおさまろうというときです。再び拍手の音が大きくなりました。振り返ると、一度外に出た彼女が引き返してきてアンコールに応えようというのです。
 彼女のライブをけっこう経験している人も、こんな風にアンコールに応えるのは初めて見たといって喜んでいました。

 
 
 「ハスリン・ダン、わたしのいいひと~」
 彼女のアンコール曲が流れます。むかしよく聴いた懐かしい曲です。
 もう青年とはいえない年代でしたが、いろいろ思い煩うことがあった折りに聴いた彼女の歌は、意外と体の芯にまでしみ込んでいるようです。
 
 岐阜へ着き、自転車を漕いでいると、「ハスリン・ダン」という彼女の少し鼻にかかった歌声が、真夜中の路地からふいに聞こえてくるようでした。







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冬の木々たち <付>浅川マキさんのこと

2010-01-18 02:48:56 | 写真とおしゃべり
 17日の日曜日、名古屋は東区、高岳界隈で主として街路樹に使われている樹木を撮してきました。
 葉のない木々はどれも寒そうです。
 
 
               これは桜です

 こんな枯れ枝の中から、しばらくすると芽や花が顔を出し、やがては見事な緑陰を作るなんて信じられないくらいです。
 しかしよ~っく見ると、枝先がかすかに膨らんでいたりして、確実に春への備えをしていることが分かります。

 
          ヒトツバタゴ、通称ナンジャモンジャ

 樹木のひとつの面白さは、その枝の伸び方ですね。それぞれの木がそれぞれの伸び方のルールを持っているのでしょうが、それがよく分かりません。
 植物に詳しい学者と、計算に長けた数学者が集まって、ある樹木の枝の伸び方を予測してもおそらくは当たらないのではないでしょうか。

    
          ヒトツバタゴとイチョウのコラボレイト

 全くアトランダムではないが、かといって固定した法則性に縛られているわけでもない、その辺が面白いところでしょう。

    
                  アオギリ

 そんなことを考えて枝の伸び方を見ていると、そのよじれや歪みが、その木独自の枝振りという規則性に従いながらも、なおかつ、内外の力によってそれが果たせなかった結果として、事実としてこうある他はないという境地に達しているかのように思えます。

    
      アオギリの幹 新芽や枝を人間に刈り取られた抵抗の痕跡

 ようするにその捻れやよじれは、その木の生命が、自己表出をして行く際に経験する出来事の軌跡としかいいようがないと思うのです。

    
             名古屋市東区の木・モクレン
 
 思えば、私もたくさんのよじれや歪みを背負っていますが、それらは私に訪れた出来事の痕跡といえなくもないでしょう。
 それにしても歪みやよじれが多すぎますね。

 
          同モクレン ほら、もうつぼみが用意されて

 ここまで書いたとき、浅川マキのライブ(名古屋 Jazz inn LOVELY・17日)へ行ったKさんから、彼女がホテルの浴槽で倒れ、ライブが中止になったという情報がもたらされました。
 彼女は名古屋大学の病院へ搬送されたのだそうですが、それ以降のことは分かりません。

 私が彼女のライブへ行ったのは、奇しくも昨年の1月17日、同じライブハウス・Jazz inn LOVELYでした。
 大事に至らないことを祈るばかりです。

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新撰「花言葉」NG特集 一挙掲載!

2010-01-15 02:16:53 | よしなしごと
 これを載せたら品位が落ちるとNGにしたものが以下です。
  (結局載せるんだからちっともNGではないじゃないか)

ん大会 
 今でもこんなことするのかなぁ。いじめやパワハラじゃないですよ。

 三っ蜂
 そのまんまじゃないかって? 蜂の数を数えて下さい。

アスパラ禁煙 
 「明日から」のつもり?説明がいるもんなど載せるな!

トマトジェリー
 これも説明要るかなぁ? なしで済ませよう。

大葉鹿者 
 あなたのことではありません。もちろん私のことです。

つつじ
 たくさんの四つ辻を間違えて通ってきました。

八つ手
 あ、もう三時か。今の子も三時がおやつなのだろうか?

 オクラ入り
 せっかくの作品が公表されない。写真はオクラの花。きれいでしょう?

気吐息
 今の私です。

 
 安全な所へなら致し方ありませんね。

キュウイ
 救急車で担ぎ込まれると・・・。私の場合もよろしくお願いします。


  ハナミズ キをつけろ!
 ガキと年寄りは出ていても気がつかない。

 俺にモクレン(三河弁)
 ちょっとローカルだったかな?

ジャガー芋
 古人曰く「ジャガーに乗っても芋は芋」

猫ジェラシー
 猫も嫉妬するのだろうか?

         このシリーズはこれでお終い。
         撮り溜めた未使用の写真を見てもらいたいための企画。
         つまらないもの見せてゴメンね。


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