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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

【旅にしあれば】ロシアの爪楊枝をめぐる謎

2019-10-28 16:48:56 | よしなしごと

 食後、歯にモノが挟まった状態のままでいることは不快極まりない。私には、いつも挟まりやすい箇所があって、食後の爪楊枝や歯間ブラシは必需品ともいえる。

 家食にしろ外食にしろ、日本の場合には爪楊枝に困ることはほとんどない。飲食店でもそれを置かない店はまずないだろう。
 しかし、諸外国では事情が異なるようで、そもそも爪楊枝を使うこと自体がマナー違反であるようなところもあると聞く。
 だから、数少ない海外旅行ではあるがその際には、それらを持参することとなる。

 今夏、ロシアのサンクトペテルブルクとフィンランドのヘルシンキを訪れた。やはり爪楊枝や歯間ブラシを携えて行った。
 ところがである、サンクトペテルブルクの飲食店では、レストラン風のところでも、アイリッシュバーや屋台に毛が生えたようなところでも、どこにでも爪楊枝がテーブルに常備されていたのだった。
 むろん、三日間の滞在だったからそんなに多くの店に入ったわけではない。しかし、おそらくそれを備えていない店はなかったように思う。

           
 ただし、日本のものと形状がやや違って、陸上競技の槍投げの槍のように、その両端が尖っているのだ。
 この両方が使えるロシア式はけっこう合理的ではないかとも思う。

 ならばなぜ、日本の爪楊枝は一方のみで、しかも尖っていない側には複数のクビレがついているのかも謎である。
 以前それを調べた折には、そこを折って、爪楊枝をテーブルに置く際の枕として、つまり箸置きのように使うのだというのがあってなるほどと合点したのだが、一方、いや、そんな実用性などなくて単なる装飾だという説もあるようだ。

           
 話はやや逸れたが、ロシアでの爪楊枝の装備率の高さに感心してヘルシンキに移動し、ここでは二日半ほど滞在し、当然数回の食事をしたのだが、ロシアとはガラリと変わって、爪楊枝を、少なくともテーブルに常備している店は皆無であった。
 その旨、頼めば出してくれるのかもしれないが、それも面倒なので頼んだこともない。
 ひょっとしてと思って、ロシアの飲食店で余分にポケットに入れてきた何本かの爪楊枝が、ヘルシンキでも活躍したのであった。

           
 しかし疑問は残る。サンクトペテルブルクから列車でわずか三時間余のヘルシンキでは、なぜ爪楊枝が必需品ではない(テーブルにないということはそうではないかとも思う)のだろうか、それがわからない。
 もちろん、爪楊枝は日本特有のものだというのは思い上がりのようなもので、ヨーロッパでは金属製で宝飾を施した博物館級のような立派なものもある。

 世界津々浦々、人間の歯間には、ものが挟まり、それをとる文化はあるはずなのだ。では、ヘルシンキの人たちはそれをどうしているのだろうか。それを知らずに帰ってきたのはうかつだった。
 ムーミンやスナフキンは、歯に挟まったものをどのようにしてとっているのだろう。

  家にあれば歯磨くものを草枕旅にしあれば爪楊枝せむ
  
》末尾の歌は、有馬皇子の残した二つの虜囚の歌の一つ、「家にあれば笥(け)に盛る飯を草枕旅にしあれば椎の葉に盛る」(万葉集巻二 142)のパロディ。
 この歌は、好きな歌で、機会があったらなにか書いてみたい。

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身近な秋 ノコンギクと誰も刈らない稲の稲穂揚げ

2019-10-23 13:42:27 | 写真とおしゃべり

 数々の台風がやってきて、夏の名残りを引きずっているようだが、私の周辺では確実に秋は深まっている。

 庭の片隅で何輪かのノコンギクが咲いている。多分私の記憶では、もっと前に一度開花しているのをみていて、それらが終わったと思っていたところでの開花だ。いうところの二度咲きのようだ。何らかの気象条件と関係があるのだろうか。

           

 もう何度も触れたが、耕作者が急逝したまま放置されている田んぼが近くにある。
 他の田では、すっかり稲刈りも終わったが、ここでは稲穂が垂れたままだ。とはいえ、この稲穂、今年田植えされたものではなく、昨年刈り取られた株からヒコバエのように自生してきたもので、ここに至るまで人の手はまったく加わっていない。

 しかし、その穂の色合いからして完熟の時期を迎えていることは間違いない。放置が続けば、このまま朽ちていって、その中の何粒かが発芽し、来年も生育が継続するのだろうか。
 まるで、何代にもわたって人間が改良してきたこの稲という植物が、今度は徐々に時間を後退し、先祖返りをしてゆくのを観ているようだ。

               

 ちなみに、どれだけの実をつけているのかを見ようと、籾殻を除いて米粒を観察してみた。やはり、やや小粒なように思える。噛んでみると、ちゃんと生米の味がした。

 このまま朽ちさせるのもと思い、何本かの穂を切り取って持ち帰った。穂を油で揚げて、いわゆる稲穂揚げを作ろうという魂胆だ。うまくゆけば、一面に白い花が吹き出たように広がり、ちょっと塩でも振れば、お茶請けかつまみになる。

           

 やってみたが、油の温度の加減がよくわからない。小さな実だから、あまり高温にしては一気に弾けるのではと気弱になったのがかえって良くなかったかもしれない。
 写真で見るように、あまり白く弾ける花にはならなかった。食べてみた。白く弾けたものは、ポップコーンのような食感であまり米特有の味はしない。
 意外なのは、あまり弾けなかったものが、炒り米のような香ばしさがあって美味いということだ。

           

 成功したような失敗してような、どちらともいいかねる結果だが、採っても叱られない素材がすぐ近くにいっぱいあるのだから、これからも試してみたい。
 
 うまくいったら稲穂揚げ専門店を立ち上げ、それに成功したら全国にチェーン展開し、さらには海外進出なんてことになったら、この国の米余り現象も解消するのでは・・・・などと考えているわけではない。

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桃色吐息の丘・コキアの丘 そして郡上八幡

2019-10-17 00:28:57 | 写真とおしゃべり
 以下は先般の奥美濃訪問、分水嶺公園の項の続き。
 
 「北と南の泣き別れ、われても末に逢わむとぞ思ふ」の分水嶺からものの三分もかからないところに、ひるがの高原スキー場がある。このスキー場、スキーシーズン以外は「ひるがのピクニックガーデン」として、広大なアウトドア空間を堪能することが出来るようになっている。

          
          
 入園料は五〇〇円だが、よく整備された空間、とりわけ山頂付近のお花畑の見事さ、加えてそこからの眺望の素晴らしさは、まさに値千金で、リーゾナブルな設定だといえる。。
 頂上へは、健脚ならば一時間もすれば到達できるだろうが、往復八〇〇円のリフトがお勧め。その傾斜や角度による風景の移りゆきは、登りの高揚感、下りの足下に開ける大パノラマと、老若男女ともに十分堪能することが出来る。

          
        もう少し早いとこの前方がペチュニアの赤い海だったという

          
 山頂エリアには日本最大級4万株の桃色吐息(ペチュニア)が咲き誇る。その花園に囲まれたあたりは「桃色吐息の丘」と称され、赤い海の中を漂流する気分になれるはずなのだが、残念ながら私の訪れた十月半ばは、ペチュニアの花はもう終わっていて、なるほどこの全盛期(九月)だったら、この辺りは赤い海だったろうと想像したのみだった。

          
          
 その代わり、もう一つの見もの、コキアの丘の方は、いまは盛りと燃え盛っており、そのたこ坊主が整列した先には、折からの晴天で、白山連峰がくっきりと見渡せるのであった。
 それほど視線を遠くにやらずとも、すぐ正面には、大日岳が展開していて、その山腹にしつらえられた幾筋ものスキー場のかもしだす模様は、人工の妙というべきか、自然加工の痕跡というべきかはともかく、面白いコントラストを成している。

          
          
 とにかく空気がうまい。高原特有のカラッとした空気は、ちょっとしたその移動で、いとも心地よい風となって全身を愛撫してくれる。

 いつまでもいたい気分だが、そんなわけにはいかない。後ろ髪を引かれる思いで帰りのリフトへ。
 これがまた、眼下に展開する絶景を、ちょっとした優越感とともに見下ろしながらの快適な行程だ。

 五月頃だと、このすぐ横が水芭蕉の群生地なのだが、この時期それは諦め、蕎麦の栽培地を見にゆく。一面、白く広がるそれを期待したのだが、残念、それらはもう刈られたあとであった。

             
          
             
 帰途、郡上八幡に寄る。せせらぎの音があちこちから聞こえるなか、適度の散策であまり疲れたり遅くなったりしないうちに帰ることにする。

             
             
          
 ひるがの高原や郡上一帯は、亡父の出生地に近いこともあり、私にとってはソウルフルな地であることを再確認した。




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「われても末に」逢えるかどうかの分水嶺

2019-10-11 16:49:26 | よしなしごと
  先般、ほぼ10年ぶりぐらいに、ひるがの高原を訪れた。
 その折にも日記やブログに記したので、今回のものはその二番煎じとなる。
 国道156号線、ないしは東海北陸道を名古屋・岐阜方面から北上する。当初は長良川に並行しその上流へと進む。当然上り坂の連続だ。しかし、やがていつしか下り坂になり、今度は、荘川沿いに下流へと進むことになる。
 要するに分水嶺を越えるわけなのだが、その周辺がひるがの高原で、標高はほぼ1,000mといわれる。

 ひるがの高原内にある分水嶺公園はその二つの川の別れざまを分かりやすく見せてくれる場所である。

             
 公園といってもさして広くはない。上流から幅2メートルにも満たないせせらぎが小さな池のような箇所に至る。その流れの緩やかな場所では、イワナの子どもたちが戯れているのを観ることもできる。その池からの出口で水たちは池に突き出した岩の頂点のような箇所で左右に別れる。

          
 このささやかな別れが、実は、かたや荘川水系に合流し日本海へと至り、かたや長良川に吸収され太平洋へと注ぎ、要するに日本列島を横断する壮大な別れになるのだが、当の水たちはそれを知る由もない。

          
 ところで、詮索好きの私は、この別れゆく水たちの行く末を考えてしまう。ようするに、こうして日本海側と太平洋側とに別れた水たちが再び出会う可能性があるのだろうかということである。
 
          
 いってみれば、瀬をはやみ岩にせかるる滝川のわれても末に逢はむとぞ思ふ(崇徳院 詞花和歌集 百人一首にも収録)の現代的追体験の試みであり、「われても末に」逢えるか逢えないかということである。
 海は繋がっているからもちろん逢えるだろうでは答えにならない。そんな事をいったら世界中のどの河川も出会っていることになる。
 問題は日本近海で、しかもここぞという箇所でその可能性はあるかどうかである。
 
 日本列島に沿って、南側を日本海流(いわゆる黒潮)が、そして北側を対馬海流が北上している。
 だから、長良川へと流れた水は、伊勢湾で海へ出て日本海流(黒潮)と合流し、一方、庄川へと旅する水は、富山湾で海にいたり、対馬海流に合流する。

          
 ところで北上する黒潮は、北からの千島海流(いわゆる親潮)とぶつかり、大きく東へ逸れ、太平洋の真ん中へと進んで行く。一方、対馬海流はそのままオホーツクを目指して北上し続ける。こうなると、あの分水嶺で別れた水たちの再会の機会はないことになってしまい、「われても末に」は虚しい望みとなってしまう。
 
          
 ところが、ところがである、       
 海流図を見ていると、日本海側を北上する対馬海流の一部が、南下する千島海流に誘導されるかのように、本州と北海道の間の津軽海峡を通って太平洋側に至っているのだ。そしてそれは千島海流に伴走し、東北沿岸を南へと進み、銚子沖では日本海流(黒潮)と接することになる。

           
 だとするとこの銚子沖で、ひるがの高原で南北に別れた水が再び出会う可能性があることになる。
 水たちのこんな会話を想像してみる。
「よう、久し振りだな。どうだい調子は?」
「いいに決まってるじゃないか。こうしてお互い再会できた場所が場所だけに、銚子がいい

  ひるが野で岩にせかれし滝川の銚子沖にて逢わむとぞ思ふ(不徳院)



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オダギリジョー監督『ある船頭の話』を観る

2019-10-06 01:43:45 | 映画評論
 これを観たのは、オダギリジョーが自ら脚本を書き、長編初監督に挑んだ映画だからである。
 彼はこれまで数々の映画に出演し、私が観た範囲では、そのどれもいい映画であり、彼の演技も良かった。それだけに、今度はメガホンをとる立場でどんな映画を作り上げたかに興味があった。

             
 作品に込められたメッセージは明らかで、近代化、合理化が人間に何をもたらし、何を奪ったかという古くて新しい問題である。
 そして、それはよく分かる。いや、分かりすぎてしまうのだ。そこが問題だと思う。

          
 古くからの渡船場、その渡し船の船頭を演じるのは柄本明、彼がこの役を演じたらこうだろうなという期待通りの持ち味を発揮していて、その意味でははまり役と言える。
 この渡守の小屋と、その上流に築かれつつある橋、というだけで、伝統的なものと近代的なものとの二項対立はガッチリと設定されている。

          
 そこへ、さまざまな乗船客や寓意的なアイテムが差し込まれ、それだけでもう、「伝統vs近代化」の図式は十分に示し尽くされている。にもかかわらず、それらが、つまり映画がはらむメッセージ性が、随所でセリフとして語られるなど過剰に表現されている感がある。

          
 そうなると、観ている方は、この料理はこのようにして食べなさいと重ね重ね念を押されているようで、それらの料理を自主的に味わう余地を奪われてしまうのだ。

          
 オダギリ君は生真面目でやや小心に、自分の意図が観客に伝わらないのではないかと頑張りすぎてしまったのだと思う。
 誤解を恐れずにいえば、君の意図が伝わるかどうかなどは問題ではなくて、大切なのは、君の提示した映像が、誤解や曲解を含みながらどこまで私たちの想像力を刺激し、開放し、膨らませてくれるかにあるのだと思う。

          
 初監督の映画に、いささか辛辣すぎるかもしれないが、上に描いたような問題をはらみながらも、やはり楽しめる映画であった。随所で繰り出されるオダギリ監督の想像力による映像アイテムは、けっこう刺激的であったし、ラストシーンに至る畳み掛けはそれまでの静謐さを裏切るように迫力があり、それまで受け身を貫いてきた主人公の船頭が決断し、行為する様はまさにクライマックスにふさわしいものであった。
 その後のクレジットに続くラストシーンの美しさも含めて。

          
 映像は、滔々と流れる山あいの清流を挟んだ地域に限定されるが、それらは自然の呼気のようなものを余すところなく捉えていて、カメラワークも抜群である。それだけでも一見の価値がある。
 調べてみたら、撮影監督は、かつて、私も感動した香港映画『花様年華』(ウォン・カーウァイ監督 トニー・レオン、マギー・チャンが主演男優、主演女優)を撮ったクリストファー・ドイルという人だとか。

          
 オダギリジョーが今後も監督を続けるかどうかはわからないが、もし続けるようならば、映画の文法、つまり映画においてはそのシニフィアン(語り)は映像そのものであることを是非学んでほしい。

 

 













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読まないほうがいい話 読むなら「自己責任」

2019-10-03 15:00:21 | 日記
「てんとうデンデン虫症候群」をめぐる経緯について

 デンデン虫の抜け殻がひっくり返った状態のまま発見される事態の頻発を受けて、NASAの自然観察部門が非公式に調査した結果、カルフォルニア州のみで前年比56.8%増とという驚くべき数値に至っていることが判明。しかもそれらの現象は、ヨーロッパからアジアの広い範囲にわたって発生していることが確認された。なお、オセアニア大陸については、それに関する権威ある数値が今のところないため、そうした現象が起きているかどうかについては未確認としている。

 こうした結果を受けて、各国の諸研究機関がその原因などの解明に動き始めているが、そのうちのひとつ、日本の東動大(東京動物大学)の動物形態学研究室の根中幹札(ねなか・みきふだ)教授のチームが、この度、以下のような仮説をまとめるに至った。

         
 それによれば、こうした現象の始まりは、紫陽花の葉や木の幹を這っていたデンデン虫が、その独自のセンサーによる感受性により、太陽の黒点の増減などに過剰反応し、衝撃を受けた結果、まずはそこから「転倒」し地上へと落ちる(1)、その結果、地上にうまく着地した場合は上下に移動したということでそのままその場を去ることができるが(2)、そうではなく、不幸にしてひっくり返った状態になった場合には空間自体の上下逆転現象が生じることになり(3)、当該固体はその本能において正常への復帰を試みるが、一定の割合において、それを果たし得ない場合がある(4)、その場合当該固体は殻を捨てて本体のみの脱出を図るのだがそれも当初はうまくゆかない(この現象を「デンデン」という。日本では「出ん出ん」と表記されるようだ)。
 
 しかし、やがてその努力は結実し、本体のみの脱出を完遂するに至る(5)。その結果残されたのがひっくり返った状態での殻で、要するにそれらは、上記の(1)ー(5)の継起によって生じた現象である。したがって、それら一連の状況を「てんとうデンデン虫症候群」と名付けるべきだろうということである。

         
 では、脱出した殻のない本体はどこへ行ったのか。それについて根中教授は、「それらは各家庭の台所などに潜伏し、ナメクジになった可能性が高い」としている。
 なお、この仮設を揺るぎなきものにするため、同教授のチームは、今後の課題として、太陽の黒点などの自然現象とひっくり返った殻の増大との相関関係、デンデン虫においてのそれらの現象を感知するセンサーの有無の検証、さらには、脱出した本体の追跡捜査などの裏付けなどなどを必要としていて、とりあえず、ひっくり返ったデンデン虫のその本体への小型電波発信器などの装着を検討しているという。
 
 これに関連して根中教授は、ひっくり返ったままで地上でもがいているデンデン虫を見かけたら、現状を維持したまま、直ちに同研究室に連絡してほしいと呼びかけている。
 なお、この研究に対し教授は、「デンデン虫の歩みは遅々としているが、この研究成果はわれわれ人類にとっては大きな一歩となるであろう」と語り、さらに、私の名前(根中幹札)を音読すると「コンチュウカンサツ」になるのもなにかの縁と、この研究に寄せる並々ならぬ情熱を吐露してる。

この根中教授、デンデン虫を昆虫だと思っているようだが、その研究者魂に免じて、この際、大目に見ることとする。

これに対して、さまざまな反論もでているようだが、そのひとつに動物心理学専攻の蒸野白勢(むしのしらせ)教授のものがある。蒸野教授によれば、根中教授の説は、その過程を物理的な現象に還元するのみで、その動物の心的な状況に応じて生じる現象、つまり、その心理学的側面を虫、いや無視しているというもの。

         
 蒸野教授によれば、デンデン虫が転倒をしたという、まさにその事実にこそ真相解明の鍵があるとする。その転倒という事実は、デンデン虫に大きなトラウマとなって作用し、その心的抑制からの脱出が課題となる。その際、デンデン虫がとるのは、「転倒」という事実を逆手にとって、自らをそれに同化させることによって、つまり、自らをテントウ虫に変身させることによって、「テントウしたデンデン虫」という分裂状態を止揚し、新たなアイディンティティを構築するのだという。

 この説に対しても、事実確認の検証が求められているのに加え、動物の心理が、変身という具体的物理現象に昇華するとするにはいささか無理があり、唯心理論的偏向があるのではないかという批判も散見できる。

 話がテントウ虫とデンデン虫だけに、どうも、テンデンばらばらといった感が強いのが実情である。

 なおこれらの研究に対し、助成金を支給するかどうかについて、表むきは文科省、文化庁において検討中であるが、実際の決定は 萩生田大臣と官邸筋の協議において決せられるものと思われる。




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