六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

おめでとうございます。

2024-01-01 00:23:47 | 日記

       

【おまけ】師走に頂いた信州そばで年越しそばを。

  

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ここはいつまでなんだろう?

2020-03-25 00:21:49 | 日記

              

 コロナ禍のなか、岐阜県図書館へ行く。
 書架も閲覧スペースも封鎖されているから、異常に静まり返っている。
 だいたい、図書館なんて静かなところだと思っていたが、やはり、複数の人間がいてその気配があるときと、それらがないときとでは全く違う。
 呼吸をしている静けさと、呼吸をしていない静けさか。

              

 図書館員以外で見かけたのは、私とすれ違いに出ていった人と、逆に私の帰りがけにやってきた人、それに、館の外壁の掲示を読んでいた人ぐらい。

              

 ネットで予約したものの授受をカウンターで行うだけだから致し方ないのだろう。二冊を返し、二冊を借りて、当面必要なものは確保したが、書架を眺めていて、「オッ、これは・・・・」と思い借りたものが、意外と面白かったというハプニングは当分お預けだ。

          

 カウンターで、「これはいつまで続きますか」と尋ねたら、「一応4月上旬までですが、その後については、その時点で判断するので、その後がどうなるかわからない」とのこと。そうだろうな。

              

 このとこと運動不足なので、散歩方々、図書館周りと隣の県美術館構内などをスマホで撮してきたのがこれらの写真。

              

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【日記らしきもの】コロナ禍の街・名古屋を征く

2020-03-16 14:03:26 | 日記

 昨日の日曜日、二七日ぶりというからほぼ一ヶ月ぶりに名古屋へ出る。
 岐阜からみて、名古屋は恐ろしいところだ。岐阜県全体ではコロナ感染者は二~三人とまだわずかだが、愛知では感染者は一二一人で北海道の一四八人に迫り、その死者も一二人と二桁に至っている。
 
 そんななか、定例の勉強会に出る。
 JR東海道線は日曜には近在近郷から名古屋へ遊びに出る人でもう少し混んでいるはずだが、通常の半分以下ぐらい、ガラガラに空いている。もちろん、知り合いでもない限り、並んで掛けることもなく、会話も少ない。
 とりわけ休日に多い子供の乗客がいなくて静かだ。おかげで、気を取られることなく読書が進む。

 名古屋駅から地下鉄で栄へ出る。普段の休日なら、ターミナルから街の中心への移動、車内は人でいっぱいのはずだ。しかしガランとして、みなが座席に掛けている。立っている人も二~三人いるが、席がないからではなく、立つ方を選んでいるからにすぎない。

      

 栄の駅もいつもなら肩擦れ合って進み、他の人に進路を妨げられたりするのだが、スイスイと目的の方角へ行くことができる。
 地上の街も静かだ。ストリートミュージシャンもいない。
 シデコブシがきれいに咲きそろっている通りがあって、前に見た折よりもいっそう樹が大きくなっているように思った。しかしそれを愛でながら歩く人影も少ない。

 会に出席。ヤナーチェクについての勉強で、このモラヴィアの作曲家についての概略説明のあと、そのオペラ、『イェヌーファ』のDVDを観ながらの解説入り鑑賞。
 寡聞にして、初めてのオペラだが、なかなか面白かった。大画面で観るそれはけっこう迫力がある。同時代のプッチーニなどとは、題材もその音楽も違い、確かにスラブの響きがある。

      
         これはその折のものではない

 できれば、ヤナーチェクのオペラ以外の楽曲にも触れてほしかったが、限られた時間ではないものねだりだろう。彼のよく知られた『タリス・ブリーバ』や『シンフォニエッタ』も特徴的であるが、その室内楽、不協和音でこれでもかと迫るような弦楽四重奏『クロイツェル・ソナタ』、『ないしょの手紙』、それにヴァイオリン・ソナタなどにも面白い表現がたくさんある。

 それはそれとして面白かった。
 終了して外へ出ると、日が長くなったのが感じられる。
 いつもなら、その後、懇親会があるのだが、それは時節柄中止。
 せっかく名古屋へ来たのにと、旧知の友人に電話をして金山で逢う。

 金山へ少し早く着いたので、駅周辺を歩いたが、半世紀前のサラリーマン時代ここに二~三年勤務していた頃とは大違いだ。
 駅周辺で、きれいなおベエと袴姿の娘さん三人組が窮屈に体を寄せ合って自撮りをしている。卒業式の流れらしい。行き合ったのもなにかの縁、三人揃った全身を撮ってあげようかといったら、「ワ~、キャ~」っと喜んでくれた。三~四枚を撮ってやる。

      
 
 話を聞いてみると可哀想に、卒業式そのものは中止で、証書のみをもらって散会になり、せっかくの衣装を無駄にしたくないので、こうして出かけ、写真を撮っていたのだという。
 私の頃の普段着ででかけた卒業式とはまさに隔世の感があるが、それはそれとしてせっかくこの日のために整えたのに、可哀想だと思った。
 別れ際、「ありがとうございました」と三人揃っての大声と深々としたお辞儀に、さほど多くはない通行人の注目を浴びることとなってこそばゆかった。

 たまに行く飲食店もいつもの喧噪はまったくない。
 これならマスクを外してもいい。もっともマスクをしたままでは飲食もできないのだが。

 友人と近況などを交わすのだが、お互い、この間、ほとんど外出をしてないので、さほど目新しい話題もない。
 そこそこに引き上げる。
 通り雨があったようだが、上がっていてくれて助かった。

      

 交通機関も街も静かであった。しかも想像以上に。
 これでは物販も、飲食などのサービス業も大変だ。何もかも中止・中止・中止ではやってゆけないだろう。
 リーマンショック以上の落ち込みになるのではという予測もあるようだが、いずれにしても、振り落とされるのは個人や零細、中小の経営だろうと思う。それらの助成を図るというのだが、果たしてほんとうに被害を被った人々にちゃんと行き渡り、彼らは救われるのだろうか。

 久々の外出だったが、やはり晴れやかにはなれない。

 

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嗚呼! 地獄の長時間労働!

2020-02-28 11:37:22 | 日記

 
 

 学童保育で利益を上げているところなどなく、ほとんどがギリギリの体制でやっている。一番困るのは学校の休み。朝から迎え入れる体制をとらねばならぬ。
 常日頃、余剰人員などいないから、その期間のみバイトなどで凌ぐ。それも確保できないと、既存の体制で応じなければならない。とりわけ今回のように急な決定とあって、バイトは確保は困難だ。
 かくて学童保育に勤務するわが娘は、朝五時半にでかけ、夜中すぎに帰宅する日を強いいられることとなる。

 「学校は一斉に休め」というは易しい。しかし、その実施にはとんでもない事態を伴う。
 対応の後手後手を指摘された安倍首相は思いきった施策を打ち出したつもりでドヤ顔をしているが、その影で、「働き方改革」とは真逆の不眠不休労働を強いられる存在がいることをどう考えるのか。そのための施策はあるのか!

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過日、岐阜県美術館にて

2020-02-18 17:37:19 | 日記

 講演を聴きに行く。「社会とアート」がテーマということで、昨年の「あいちトリエンナーレ」との関連でなにか勉強できればと思っていったのだが、あまり期待を満たすことはできなかった。
 旧知の人と出会ったが、とくに懐かしくもなかった。
 「円空大賞展」をやっていたがそれも観なかった。
 隣の県図書館へ移動して資料を探した。
 一冊返し、一冊を借りる。
 借りている分はこれで合計三冊。
 写真はいずれも県美術館でのもの。

     

  

 

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日曜日の日記 三題

2020-02-17 13:44:08 | 日記

【紅梅】
 亡父の残した紅梅の小鉢が今年も花をつけた。2,3年前、花の付きが悪くなってきたので、やはり木の寿命化(推定樹齢四〇年以上)かなと思っていたら、昨年は旺盛に花をつけ、実もたくさんなった。それで、梅酒ならぬ紅梅のウィスキー漬けを作ったがまだ味わってはいない。
 今年はどうやら、あまり花の付きが良くないようだ。

 

【地域の文化祭】
 毎年行われる学区の文化祭である。公民館などでサークルに参加している人などが、各種作品を出品する。
 音楽の催しや、カラオケ大会などもある。
 私は写真に参加。賞の選別や賞品なども一切ない。
 今年の私の作品は竹やぶに射し込む二条の光。


【おでん】
 かつて、大阪の老舗おでん屋にいた板場から、おでんのコツはつゆを濁らせないことだと聞いた。そのためには仕込みの段階ではともかく、下ごしらえ(大根の湯がき、こんにゃくのアク取り、はんぺんや厚揚げの油抜き)が終わって、最終的に出汁に漬けて以降は決して沸騰させず、低温でじっくりなじませることだと教わった。
 以来、それを守って作っている。

 

 

 

 

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街なかの公園で鮭弁を食べる人

2020-02-16 14:00:43 | 日記

 街なかのほぼ正方形をした小公園は、かつてはしもた屋造りの家屋に囲まれ、近くの長屋からは鼻垂れ小僧や少女が三輪車など漕いで遊びに来る場所だったが、時の移ろいに従い、四方にマンションなどが建ち並び、今やまるで四角い井戸の底のようになってしまった。
 訪れる子どもたちもいない。

 それでも、申しわけ程度に数本の桜が並んでいて、一角には立派な銀杏の木がそびえていた。その対角線には花壇とおぼしきスペースもあり、夏には真っ赤なカンナが咲いたりした。

 しかしこの時期、そのカンナも桜も静まり返り、銀杏の黄葉もとっくに過ぎ去って、なんの色気もない空間がむき出しになっていた。
 かつては、ここを囲むようにマサキかなんかの常緑樹の生け垣が張り巡らされていたのだが、防犯上の理由とかで、そのすべてが撤去され、のっぺらぼうな空間がむき出しになったままだ。

 私は幼馴染ともいえるような古い付き合いの女性とベンチに座り、ある相談をしていたのだった。その相談の内容はというと、彼女とは別の女性と私との間のことで、この幼馴染には何でも相談できるという甘えもあって、かなり際どい立ち入った話もしていた。

 しかし、事態は思いがけず微妙に変化しはじめていた。
 というのは、話している途中でその問題自体がどんどん背景に退き、それを語る私の言葉も空疎になったまま、隣りにいる幼馴染が気になり始めたのだった。当然のこととしてぴったりくっついているわけはないのだが、そこはかとなく彼女の体温のようなものが感じられ、急にそれが艶かしく魅惑的に思われてきたのだった。

 相談内容はとっくに宙に飛んでしまって、幼馴染の体温のようなものをより感得したいものだと、1mmでも彼女に近づけないかと希求する私と、それだけはしてはならないと止める私とに引き裂かれた私がいた。
 私の視線は定まらないままにあちこち泳いでいたのだと思う。その視線に、ちょっと離れたベンチこに座っている人の姿が入るやいなや、私は弾かれたように立ち上がっていた。

 そこにいたのは、幼馴染の女性の連れ合いだったからだ。もちろん私とは顔なじみである。
 つい先刻まで、私を捕らえていた気持ちを知ってか知らずか、あるいは私たちがいたことに気づいていたのかどうかもわからない彼は、ベンチでサケ弁当を食べていた。
 鮭の切り身の赤さがなぜか鮮明で、これは紅鮭を使った上等な弁当だなと検討をつけた。

 「こんにちは。お食事中すみません」
 と、そちらへ駆け寄って声をかけた。
 「あれ、どうしたのですか?こんなところで?」
 と、彼は一見、無邪気そうに笑ってみせた。しかし、何もかも見通した上での対応かもしれないと思い、正直に相談の内容も含めて話したほうがいいと判断した。

 「じつはですね、あそこであなたの・・・・」
 と、さっきまで座っていたベンチの方を振り返って驚いた。幼馴染の姿が消えていたのだ。生け垣もなにもないこののっぺらぼうの場所からどうやってその身を隠したのだろうか。
 
 「いや、その、じつはですね・・・・」
 と、改めて彼の方を見て再び驚いた。彼もまた綺麗サッパリ消えていたのだ。しかし、彼を見たのは幻視ではない。その証拠に、ベンチの上には確かに食べかけのあの紅鮭を用いたサケ弁が残っていたのだから。

 マンションに囲まれた四角い空を見上げた。白い月がぼんやりと所在なげにそこにあった。
 ゴォと風が鳴って、銀杏の枝を揺らし、どこかに残っていた黄色い葉が一枚だけ、ハラハラと風と戯れていた。

                   (「夢六話」より 其之五

 

 https://www.youtube.com/watch?v=3Z6exFSma0I

 https://www.youtube.com/watch?v=KxrmdZyfOnI

 https://www.youtube.com/watch?v=I2zQGpdcpQg

 

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元日の散策から 希望や絶望から逃れて

2020-01-02 01:52:02 | 日記

 正月だ。これが契機で何かが変わるなどとは思っていないが、何かの節目にはなるだろうと、日ごろ苦手な掃除を少しばかりしてみたり、正月中の炊事をスルーするためのおせちなどを作ったりする。

          
            年末に降った雨でできた水たまりに、新年の空が映っている

 その過程で、味見だの何だのといってけっこう口に運ぶ。
 できたッ…といって一杯飲んだりする。
          

          

          
 

 大晦日の11時過ぎ、12時ちょっと前に年越しそばを作り、おとなしくそばだけ食べてればいいのに、そこでまた飲む。

               

               
 年が明ければ明けたで、さしてめでたくもないのに、めでたいと強弁し飲んでしまう。
 植木等風に言えば、「これで身体にいいはずないさ」ということで、昨年末より2キロの体重増加。

          

               


 ならば歩かねばと、元日の午後、重い尻をあげて歩いた結果がこの写真たち。
 前半は初詣だが、神仏にあまり好かれていないことを自覚しているから、少しばかりの遠慮と距離をおいての対面。

               

          
 しかし、この鎮守様の森の佇まいは好きだ。人びとが祈る空間には、寺社にしろ教会にしろ、かつてより祈られたことどもが堆積し、独特のアウラが形成されている。

               

          
 

 神社を離れてなおも散策する。
 急速に都市化しつつあるこの界隈にもまだまだ面白いスポットがある。それらは早晩、消えゆくものかもしれないが、だからこそ、この瞼に焼き付けておきたい風景でもある。

              
 冬の夕暮れは早い。いつの間にか雲が色付き始めた。さあ、早く帰って洗濯物を取り入れなければ・・・・。

              

【付録】途中、ちょっとショッキングな光景に出会った。かねてより心配をしていて、昨年夏の記事にも触れたところの畑も家も取り壊され、売地になっていたことだ。この家に何があったのだろう。私に柚子をくれた女性にどんな変化があったのだろう。
 なんか、胸キュンの風景ではある。
 それについての関連記事は以下をご覧ください。
  https://blog.goo.ne.jp/rokumonsendesu/d/20190730

 

 

 

 

 

 

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穏やかな師走の一日の雑感 食い物/ニュース/ドキュメント

2019-12-13 17:25:56 | 日記

■再開発(これのみは昨日のこと)
 久々に岐阜の中心地へ。唯一のデパートに隣接しながらも、見事にシャッターっ通り化していた地域の再開発の模様。どうなるかに関心はあるが、ここが完成するまで永らえるかどうか。

         

■あんかけ焼きそば
 朝刊の料理コーナーで美味しそうに紹介されていたのと、たまたまドラッグストアで一袋8円(誤記ではありません)で買ってきた焼きそば用の麺があったので昼食につくる。味噌汁は好きなので、品はないがお椀に目一杯。

         

 

■女性たちの進撃

 これも朝刊ネタ。フィンランドに34歳の女性首相が誕生。この夏行ってきて、この国に住みたいぐらい好感度が高い。大学までの教育費は無料、医療費も無料らしい。また女性議員も半数を占めていて、しかもみな若い。

 現実的にはいろいろ難題もあるようだが、頑張ってほしい。
 それにしても、こちらの国の首相の汚物にまみれた存在との対比は・・・・。
 あ、そうそう。分野は違うがJRAの藤田菜七子騎手が女性初の中央重賞レースを制したという。競馬、しばらく遠ざかっているが、ちょっと興味が出てきた。
 それはそうと、彼女とか彼という性別を固定する言い方は次第に改められつつあるという。勉強しなければ。

         

         

■歌姫の変遷の物語
 午後、BS1でドキュメンタリー(再放送)を観る。「ジェイクとシャリース~僕は歌姫だった~」。紹介は面倒なので、NHKの番組表からのものを貼り付けておく。

 フィリピンの貧しい家庭からアメリカンドリームをつかんだ少女シャリース・ペンペンコ。アジア人アーティストで初めてとなるビルボード・アルバムトップ10入りから7年後、自らの性自認が“男”であること、つまりトランスジェンダー男性だと公表。「ジェイク・ザイラス」と名前を改め、シャリースとしての名声も高い声も捨てての再出発。彼の人生と新しい挑戦を追いながら、自分の声を見つけるまでの等身大の姿を追いかける。

 なかなか感動的であった。様々な抵抗に出会いながらも、他人の視線に忖度しながら生きるよりも、自分に正直に生きる道を選んだ人間のみがもつオーラがそこにはあった。
 正直言うと、女性時代のあの圧倒的な歌唱力がなんだかもったいない気がするが、記録された音源が残っているからまあいいか。

         

         

■つまらない発見と驚き
 この2つの器、形状は違うがその容量はまったくいっしょなのに驚く。かたや和風基準、かたや洋風基準のはずなのになんでだろう。
 それもだが、なんでこの2つの器の容量を比べてみたのか自分でもわからない。自分で自分がわからない。・・・・って、認知症の為せる技?

         

■掃除
 部屋の隅のホコリがただならぬほどだということに気づいてしまった。掃除機にホコリが溜まるほどの掃除が苦手な私。仕方がないので時ならぬ掃除。時ならぬって、普通のうちでは毎日やっているのだろうに。欠陥主夫の情けなさ。
 ある程度きれいになった満足感もないではないが、この腰の痛さはなんとかならぬものか。フ〜ッ。

 

 

 

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ボヤキと半径五百メートルの散歩道で・・・・

2019-12-12 01:30:01 | 日記

 今頃はやれやれ、なんとか逃げ延びることができたと祝杯を上げている連中がいることだろう。尻に帆をかけて、早々と国会を閉会してしまったサクラ内閣の中枢部分のことだ。

          
 うちのすぐ近くの家の門扉のデコレーション 黄色いのはプチトマト 住人は近くの洋菓子店のオーナー 流石に洒落ている

 言語というのは、何ごとかを伝達するツールだとナイーヴに考えている人はおめでたいという他はない。人間は言語とともに嘘をついたり隠蔽したりするスキルを手にしたのであり、その最も露骨でいやらしい面を見せつけているのがこのサクラ内閣の連中だ。彼らは、言語のマイナス面を徹底的に使い倒し、その腐りきった汚物の山を、宝の山のように言い立てる。

          
 一見、きれいに見える田だが、今年は耕作されなかった ちゃんと管理はされているようだが、来年はどうなるのだろう


 その方法は稚拙ながら巧妙かもしれない。証拠になるもの一切を闇に押し込めて、知らぬ存ぜぬでひたすら逃げたりはぐらかしたりだ。自らの潔白も完全に証明できないが、しかし、黒とも言わせないグレーゾーンに逃げ込んで、あとは時間の経過を待つ。ひとの噂も七五日だ。モリカケもそれで乗り切った。

          
 うちよりも遥かに遅く建った鉄筋コンクリートの建物(3階建)が解体されていた このあと、なんになるのだろう
 
 行政そのものに自浄能力がなく、立法側の大多数がサクラ内閣の取り巻きであるとき、本来ならここで司法が乗り出すところなのだが、この国は、韓国ほどの司法の独立性、三権分立ももち合わせてはいない。ようするに民主主義後進国なのだ。

                
 集落にある地蔵堂 頭がちょん切れてしまったが、立派な鬼瓦をもった瓦屋葺きの屋根だ
 
 ここしばらく、検察は政治の領域に踏み込んだことはない。モリカケのような国家資産をお友達に呉れてやるようなあからさまな犯罪もスルーだ。ようするに、法の番人としての誇りももはやもたない彼らは完全に舐められているということだ。

              
 集落を走るU字型コンクリートの水路 かつては農業用水として田に水を送っていたのだが、耕作されている田がめっきり減ったいまも機能しているのだろうか
 
 しかしである、これほど明白な犯罪行為を犯すサクラ内閣の支持率は、ほとんど動かず、昨日のNHKの世論調査の結果では、なおかつ45%の支持が寄せられ、不支持を引き離している。それこそ気味が悪いではないか。
 街をゆく二人に一人ぐらいの人が、あの腐敗しきった犯罪集団と縁続きのような連中、サクラ内閣を良しとしているのだ。オイオイ、もういい加減に支持するのをやめようよ、やつは裸の王様なんだぜ、と話しかけたくなる。

          

 この車、気づいてからでももう10年以上前からここにある 四輪ともに空気はないし、おそらくエンジンも掛からないだろう これだけ長い間、ここにあるということは、この土地の地主のものか、あるいはその了解のもとにあるのだろう どんな事情があるのかそれがわからない もひとつ不思議なのは、こうして放置されている車の場合、大抵はナンバープレートがないのだが、これはちゃんとついている ということは自動車税は払っているのだろうか わからんなぁ 

 なんてことをぼやきながら、ここ2、3日というもの家から一歩もでていないことに気づき、ポストへハガキを出しに行くついでに少しだけ大回りをしてご近所を散歩。

          

 ここは、私が長年田んぼウオッチングをしてきた田 オーナーが急死(孤独死)して今年は耕作されなかった 見えている稲は、昨年の刈跡からヒコバエのように生えてきたもの 真ん中の赤いのは、どこかから飛んできたケイトウの種が立派に育ち、折から傾き始めた陽に照らされて赤く映えているところ このコントラストがよけい哀れを誘う

 しばらく、出歩かないうちにご近所でもいろいろな変化が起きているようだ。変わらないのはあのサクラ内閣の凡庸な悪事のみか・・・・と、またまたそこへ帰ってしまう。
 ヤダヤダ、うちへ帰ったら、今夜は温かいおでん風の煮込みでも作ろう。

 

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